スポーツを支える人々
~ネクスト・キャリア・フロンティア~

Vol.2 島田慎二 氏【前編】
Bリーグチェアマン(法学部新聞学科卒)

卒業生
2020年08月07日

今の僕の基礎を築いたのは、日大山形と日大法学部の7年間です

2016年に開幕したB.LEAGUE(以下、Bリーグ)は、今年で5シーズン目を迎える国内唯一の男子プロバスケットボールリーグだ。本学卒業生(以下、表)も多数在籍し、NPB、Jリーグに次いで、第3のプロスポーツリーグとして、今注目を集めている。7月1日に就任した新チェアマン、島田慎二さんも、また本学の卒業生だ。ただ、バスケットボール未経験にして、ご本人曰く「スポーツビジネスの素人」の島田さんのモットーは「厨房の見えるラーメン屋であれ」。その真相に、前編・中編・後編の3回に渡って迫ってみたい。

《卒業生現役Bリーグ所属選手》
篠山竜青(文理学部卒・川崎ブレイブサンダース)
太田敦也(文理学部卒・三遠ネオフェニックス)
菊地祥平(経済学部卒・アルバルク東京)
松脇圭志(経済学部卒・富山グラウジーズ)
門馬圭二郎(経済学部・青森ワッツ)
栗原貴宏(経済学部卒・山形ワイヴァンズ)
新号 健(文理学部卒・山形ワイヴァンズ)
上江田勇樹(文理学部卒・群馬クレインサンダース)
古牧昌也(文理学部卒・群馬クレインサンダース)
飛田浩明(文理学部卒・ファイティングイーグルス名古屋)
ジャワラ・ジョゼフ(経済学部卒・ファイティングイーグルス名古屋)
種市幸祐(商学部卒・バンビシャス奈良)
坂田 央(文理学部卒・愛媛オレンジバイキングス)
石川海斗(文理学部卒・熊本ヴォルターズ)
本村亮輔(文理学部卒・熊本ヴォルターズ)

※現在Bリーグは移籍期間中ですので,今後所属チームが変更になる場合があります。
※開幕は10月2日に決定。

“縛られた”高校3年間

「バランス」と「根性」の人だ。そして、人間の「幅が広い」。

島田慎二さん、49歳。Bリーグ三代目チェアマン。
2020年7月1日に就任したばかり新チェアマンのオフィスにお邪魔した。この取材から一週間も経たぬ間に、某国営放送のゴールデンタイムのスポーツ番組で特集され、生インタビューを20分受ける、いわば“時の人”だ。
そんな“時の人”の時計の針を、先ずは30年ほど戻してみたい―。


「すぐそこですからね、私ね」

Bリーグ、正式名称は「公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ」。今回の取材の意図を説明していると、矢先、オフィスのあるビルのチェアマン室の窓の外を指さして、島田さんは笑う。

川崎ブレイブサンダースに所属する、日本代表ガードの篠山竜青選手

川崎ブレイブサンダースに所属する、日本代表ガードの篠山竜青選手もBリーグ選手。母校でバスケットボール教室も

Bリーグオフィスから程ない、東京・水道橋にある本学法学部に通った学生時代は、「とにかく弾けちゃって(笑)」と話すほどやりたいことをやった4年間だった。

理由はある。

「高校時代は下宿生活で、サッカー部に入ったものの、自分とのレベルの違いに愕然としたんです。なので試合に出ることよりも、『サッカー部を辞めないこと』を目標に切り替えました」

高校は二つ上の兄を追いかけて、名門・日大山形に進学。故郷の新潟から越境入学でサッカー部に入部した。

しかし、辞めない、と言っても、4軍まである全国区の強豪チームの練習は厳しく、自分の家ではない下宿先での生活は、「あの時の苦労は大きい」と話すほどだった。

その上、高校サッカーは正月の「全国高校サッカー選手権大会」出場が目標で、レギュラー以外の3年生も、冬になっても当然、練習に明け暮れた。

「付属校ですから、大学(日本大学)の統一試験が11月くらいにあった。でも、その試験に落ちてしまって(苦笑)。このまま大学行けないのかな、って」

高校選手権が終わって、ようやくサッカー部を引退。大学受験に取り掛かれたのは年明け1月10日過ぎたあたりだった。

「でも統一試験に落ちて、時間が経つにつれ、親に申し訳なくなってきて。一人暮らしはさせてもらって、サッカー部でも公式戦に出られないわ、統一試験は落ちるわ、で、自分って何も取り柄が無いと思って」

奮起した。

付属校の統一試験が通らないのに一般入試なんて受かるはずがない、そんな外野の声には耳を貸さずに、睡眠時間は一日、2、3時間。約2カ月の受験期間中は、「とにかく、死ぬほど勉強した」。

結果、“日東駒専”と呼ばれる大学に、三、四つ合格した。

「それでも、やっぱり日本大学に入ろうと思ったんですよね。兄貴も日大に進学していましたし、今は娘もお世話になっています(笑)」

“弾けた”大学4年間

全国レベルの強豪校で下宿生活の中、3年間サッカーを続け、引退後、死に物狂いで猛勉強して合格をつかみ取ったおかげで、人生の扉は開き365日×4の時間を手にした。

縛られた高校3年間があった分、大学の4年間はその反動で弾けたそうだ。

「大学時代は、遊ぶお金欲しさに警備員や居酒屋、コンビニなど、アルバイトに明け暮れていました(笑)」

様々な人との出会いの中で、その間、本も読み、映画は年間300本くらい観て感受性を鍛えた。すると、いつしか漠然と「一発当てて故郷に錦を飾りたい」と思うようになった。当てる発想もスケールが大きい。芸能界で当てるか、石油を当てるか、それこそビジネスで当てるか。直ぐに、劇団にも入った、石油会社も就活で受けた。中でも一番現実的だったのがビジネスに思えた。

「野心がありましたから、お金持ちになりたい、と(笑)。分かり易いですよね。じゃあ、社長という手段を取って、そのステージを目指そうと思ったんです」

しかし、就職活動は仲間たちよりもだいぶ遅く、4年生の秋からだった。結果、50社受けて49社落ちた。

「まさにモラトリアム(社会人となるべき自信がなく大学の卒業などを延ばしていること)ってやつです。普通に就職した方が良いのか、悶々としていたんですよ。何をすべきなのか、それこそ、何の為にこの世に生を成したのか、と。結構、そうした哲学的なことを考えまくっていたんですよね」

考えすぎて、選択ができなくなっていた。だから、就職活動も皆より遅くなった。

「でも究極、考えて考えて出てきた答えは、考えすぎても仕様がない。やるしかない、ということでした。考えることは大事だけれど、考え過ぎて前に進めないのは意味がない。考えて行動するなら良いけど、考えて行動を狭めるなら、考えることは意味がない。やらないと結果出ないし、やってみないと白黒も出ないし、自分のやっていることが正しいか、正しくないかも分からない」

だったらとにかく一歩踏み出すことが優先なんじゃないか、と悟って就職活動を始めたのが木枯らしの吹く頃だった。

「就職戦線は二次採用みたいな時期に(就職活動を)始めているんで、そもそも逆風なんですけどね(笑)。でも」と島田さんは続ける。

「(30年経った今も)あのときの“縛られた”高校生活と、“弾けた”大学生活の両方を7年間で経験できたことが、社会人3年で有効的に活きて、独立を早められた。そこから色々あって今に至っているから、結局、僕の基礎を築いたのは、あの7年間です」

島田さんの「幅の広さ」が生まれたのは、高校、大学の青春真っただ中にあったようだ。

(中編に続く)

<プロフィール>
島田慎二(しまだ・しんじ)

1970年(昭和45年)11月5日、新潟県岩船郡朝日村(現村上市)生まれ。
幼少期は野球、中学からサッカーをはじめ日大山形に進学。大学は一般入試で本学法学部新聞学科に入学。卒業後は、マップ・インターナショナル(現HIS)に入社し、3年後の1995年に法人向け旅行会社ウエストシップを立ち上げ共同経営者として起業。2001年、アメリカ同時多発テロ事件を契機に独立し、ハルインターナショナル社長に。2010年、39歳で同社をバイアウトし、セミリタイア後、2012年に千葉ジェッツ社長に就任。2017年にはBリーグ副理事長を兼務し、2020年7月1日より現職。