ラグビー サントリー前監督
サンウルブス コーチング・コーディネーター(文理学部史学科卒)
アジア初の開催となったラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会は、8強入りを果たした日本代表の活躍もあり、盛況のうちに幕を閉じた。余熱も冷めやらぬ11月下旬、東京・代官山に大会のテレビ解説者を務めた沢木敬介氏(文理学部卒)を訪ねた。
沢木氏は現役時代、日本代表の司令塔として活躍。前回W杯ではエディージョーンズ・ヘッドコーチ(HC)の右腕として南アフリカ戦勝利を演出した後、低迷していたサントリーを就任1年で優勝に導いた。日本ラグビーの将来を見据える同氏に、ラグビーや本学への思い、指導者としての生き方などについて聞いた。
ー日本でのW杯が高い評価を得て終了しました。成功の要因は何でしょう。
一番はやはり日本代表がしっかり結果を残したことです。いい成績を出すことによって、日本ラグビーに対する考え方が少し変わり、今まで興味のなかった人もファンになった。盛り上がった大きな要素だと思います。
元々ラグビーW杯は、サッカーW杯、オリンピックに次ぐ集客力のあるスポーツイベント。南半球やヨーロッパでは地域に根差したスポーツで昔から人気がありますが、日本でW杯をやることによって自己犠牲の精神をはじめとする独特のラグビー文化や楽しみ方を知ってもらういい機会になった。試合後(ノーサイド)には対戦相手と飲んだり、ファンのビール消費量も相当なものですが(笑)。
ーラグビーに出会ったきっかけを教えてください。
小学校2年生から自然に始めていました。地元が(ラグビーの盛んな)秋田で、当時は秋田市役所が強く、東北には新日鉄釜石がいた。僕らの周りの、ちょっとやんちゃな運動神経のいい子は皆ラグビーをやっていた。そういう時代でした。
ー在学時の思い出をお聞かせください。
(2度の学生王者に輝くなど)日大ラグビーが古豪といわれた時代もありましたが、僕らは2年と4年の時、大学選手権でベスト4まで進んだ。国立競技場でプレーできたのはいい思い出です。
ー卒業後はサントリーに入社され、主に司令塔のスタンドオフ(SO)として活躍。全国社会人大会優勝2回、日本選手権優勝2回に貢献し、日本代表としても7キャップ(出場試合数)を獲得されました。現役時代のエピソードをお聞かせください。
今のチームは3分の1くらいプロ選手ですが、当時はちゃんとサラリーマンもしていました。午後5時半まで営業の仕事をして7時半から練習。家に帰ると午前0時を回っていた。1998年入社ですが、サントリーは95年に強豪、神戸製鋼に勝って日本選手権初優勝。2000年、01年にも日本一になりました。ちょうどサントリーが強くなってきた時期にプレーができた。
ーその後、U20(20歳以下)日本代表ヘッドコーチや15年W杯日本代表のコーチング・コーディネーターを歴任されました。
07年フランスW杯日本代表に選ばれていましたが、首を怪我し、脳震とうの癖もあった。当時のサントリー監督で現日本ラグビー協会副会長の清宮克幸氏に相談したら、それならコーチをやってみないかということで、その年にコーチに転向しました。
当時サントリーに来ていたエディー・ジョーンズ(現イングランド代表HC)のもとでコーチの勉強をしながら、2年間、U20を上のカテゴリーに昇格させる仕事をし、エディーが日本代表のHCになったときにそのまま代表スタッフになりました。
ーサントリー監督としても活躍されました。
何かを劇的に変えないと結果も変わらないと思ってマネジメントの仕方からトレーニングのやり方まで大きく変えました。周りからは怖い人と思われていたかもしれませんが、一番こだわっていたのは「いい人」にならなくていいということ。結果的に選手をしっかり伸ばせれば選手からは信頼される。僕の中では「いい人」と「いいコーチ」は違う。現役時代いろんなコーチに会ってきて、「いい人」の方が居心地はいいけれども、そういう人のコーチングを受けていても成長できない。嫌なことを言われてムカッとしても、その方が成長できると思っていた。嫌われるのはもちろん嫌ですが(笑)、コーチングのフィロソフィー(哲学)、考えとしてそういうのはある。
ー運動部の監督やコーチがちょっとしたことでメディアなどでたたかれる時代ですが。
結局はコミュニケーションの取り方。監督が何のために言っているか、何のためにやっているのか、どこにフォーカスすればいいのかをしっかり理解していれば、選手は自ら意志を持って取り組めるはずです。
ー南半球最高峰リーグ、スーパーラグビー(SR)の日本チーム、サンウルブスへの〝入閣〟が報じられました。今後の目標についてお聞かせください。
11月末でサントリーを退社し、12月からサンウルブスのコーチング・コーディネーターに就きます。これは選手にいつも言っていることですが、「コーチはあくまでもサポート。自分が成長できるプランを自分で持て」と。僕もコーチとして成長するために環境を変え、さらに上のレベルでやらなければいけないと思いました。SRは世界のトップリーグ。サンウルブスは来年1年しか参戦する権利がないのでチャレンジします。
ー日本大学の「自主創造の精神」につながるものですね。
そうです。
ー日本ラグビーの魅力とは。
弱みの部分をある程度克服しないと強みは伸びない。そのバランスが大事。日本人が劣るパワーの部分は外国人を入れ、得意の早いテンポでボールを運ぶのが日本のオリジナルの強み。世界の強豪国とやるときにはフィットネスの部分で絶対に負けてはいけない。ハードトレーニングができるのも日本の強みです。
ー選手として、コーチ・監督として一番の試合を教えてください。
サントリー選手時代、01年にウェールズ代表に45対41で勝った試合(自身もSOとして2トライ)と、監督としては、去年サントリーがSRのブランビーズ(豪州)に28対26で勝った試合は思い出に残りますね。強豪相手にどうやったら勝てるかというヒントにもなっています。
ーラグビーから得たものは。
ラグビーからしか得てないですね(笑)。他の競技とは違う、ラグビー文化とも重なりますが、自己犠牲の精神とか我慢強さ。人とのつながりも。ラグビーに成長させてもらったというのはすごくあります。
ー日本大学の魅力とは。
ラグビーで日大といってもあまりピンと来ないので大野均(01年工学部卒、東芝ブレイブルーパス)とかと頑張らなければと言っている。日本大学の練習場、アスレティックパーク稲城はすごい。世界のトップチームのいろんな施設を見たが、あのジムは間違いなく世界一です。ああいう環境で練習できるというのは素晴らしい。
ー日本大学で学ぶ後輩にメッセージをお願いします。
学生の時は未来のターゲットをなかなか明確にできないと思いますが、小さくてもいいので、その目標にどうやってアプローチしていくか、しっかり自分で考えることが大事。人間は居心地のいい空間を求めがちですが、それでは成長できない。失敗を恐れず困難なことに常にチャレンジしてほしい。人生は1回だけ。行動を起こさなければ何も変わらない。
沢木 敬介(さわき・けいすけ)
1998年 日本大学文理学部史学科卒
サントリー(現サントリーホールディングス)入社。サンゴリアスでSO、CTBとして活躍
2007年 現役を引退し、サントリーコーチに
2013年 U20日本代表監督に就任。チャンピオンシップ昇格を果たす
2014年 日本代表コーチング・コーディネーター就任。2015W杯では南アフリカ戦勝利に貢献
2016年 サントリーサンゴリアス監督に就任。前年度9位のチームをトップリーグ、日本選手権2冠に導く
2018年 2年連続で2冠を達成
2019年12月 スーパーラグビーの日本チーム、サンウルブスのコーチング・コーディネーターに就任