スポーツを支える人々
~ネクスト・キャリア・フロンティア~

Vol.3 大野 均 氏【後編】
東芝ブレイブルーパス普及担当(工学部機械工学科卒)

卒業生
2020年09月04日

卒業後の進路は機械部品のエンジニアか消防士

先輩の熱烈な勧誘によりラグビーに引き込まれた大野さん。

ラグビーボールは不規則にバウンドすることで「人生の縮図」と例えられるが、大野さんの楕円球人生ここからは真っ直ぐ転がりだす。

工学部ラグビー部は、学部の特性で研究や実習が多く、練習では全員が揃わないことがほとんど。自然と走り込みの練習が多かった。

「身体のどこかが痛いからと練習を休むとチームに迷惑をかけるので、少し痛くてもグラウンドに立つ」。福島の自然で培った頑丈さと、ラグビーを続けられた根底にあるタフさ、仲間を思いやる気持ちは工学部ラグビー部で教わった。

一方ゼミでは「石炭液化油」をディーゼルエンジンに適用に関する研究を進めた。検証するのに、毎回同じ状態テストするために、エンジンを分解して中まできれいにしてまた組み立てる作業を繰り返した。

「研究して夕方にラグビー部の練習に出て、また研究に戻ってデータまとめるということをやっていました。研究室の仲間がいい人たちで、人の縁でいい学生生活を送れたと思います」

4年生になると早々に機械部品の設計会社へ内定をもらい、並行して消防士を目指し勉強をしていた。

楕円球がつないだ人の縁

そんな折、国体の福島代表に選ばれる。そこで出会ったFWコーチが「身体が大きくて走れるやつがいる」と大学の同期であった薫田真広氏(現東芝GM、元日本代表主将)に声を掛けたことで、大野さんが東芝のトライアウトに参加できることになる。

名門・東芝で参加した練習は「その年で一番きつい練習」だった。そう入部後に先輩から聞きかされた。コンタクトも激しかった。その練習で大野さんは肩を亜脱臼してしまう。

しかし。

「わざわざ福島から呼んでもらって練習に参加させてもらい、『肩が痛いので抜けます』はあまりにも情けないと思って、最後まで練習にくらいつきました。根性だけ認めてもらって、東芝に採用してもらいました」

福島で育った頑丈さ、タフさで東芝ラグビー部の門をたたくことになった。

その後の活躍は書くまでもない。

2004年、日本代表へ初招集。走力を見込まれ自身も驚いたWTB・バックス(※注)での起用だったが、目の前のことに集中して、日本代表歴代最多98キャップを積み重ねた。

そして東芝入部から19年、膝の状態が回復せず引退を決意した。

初心、積み重ね、挑戦

引退後、普及担当としてチームに残ることが発表された。役割、今後についても聞いた。

「東芝ブレイブルーパスの魅力、ひいてはラグビーの魅力、これまでラグビーに触れたことのない人にも届けられるように出来ればと考えています。ラグビーは体の小さな選手でも気持ちさえあれば、大きい選手をタックルで止められます。どういう人でもラグビーではできるポジションがある。多くの人に知ってもらいたい。これまではラグビーは痛い、というイメージのスポーツだったと思いますが、昨年のW杯でラグビー選手が持つ精神性、自己犠牲が伝わってあれだけの盛り上がりになったと。ラグビーのよさを多くの人に伝えたい」

伝えたいことの一つに、自身が野球からラグビーに競技を変えた、新しいことに挑戦することを挙げた。

「新しいことに挑戦することに魅力を感じています。最初に感じた魅力を大事に感じていられるように、初心を忘れない。私はラグビーで変わりません。チームの役に立ちたいという思い、自分に与えられた目の前の練習に100%出し切ろう、という気持ちは代表に入っても変わらずにやっていました。それが代表98試合、現役19年につながったのかもしれません」

初心、積み重ねの大切さを伝えられるのは、大野さんの経験ならでは。

東芝ブレイブルーパス

東芝一筋。日本代表だった先輩方をみて自身も成長した。今度は自身の背中を後輩に見せ、新たなキャリアを踏み出した。

自分にしかできない経験をさせてもらったからこそ発信できるものがある、と続けた。

「大学に入って出会ったラグビーで人生を送ってこられた。学生・若い人もいま出会っていない何かで自分の人生を形づくるチャンスがある。いろんなことにチャレンジして、学生時代に失敗はないので、経験したことすべてが身になるのでチャレンジしてほしい」

「いま、多くの方が困難に直面している中で、自分自身が経験したどんなにキツイ練習、合宿も必ず終わりが来ました。いつか終わるのであれば、その時間を少しでも自分の身になる時間にして、必ず成長できると思ってやってきました。ここまで、野球で身について役に立ったこともあるので、いままで自分がやってきたことが0になることはありません。必ずどこかで役に立つので、いま自分の目の前にあることに100%力を出し切ってほしいと思います」。

丁寧な語り口調の奥から、熱気を帯びたメッセージが続いた。

「灰になってもまだ燃える」。

新たなスタートを切った大野さんの心の炎は、まだまだ燃えている。

<プロフィール>
大野均(おおの・ひとし)

1978年(昭和53年)5月6日、福島県郡山市生まれ。清陵情報高校時代は野球部。
日大工学部進学後にラグビーを始める。トライアウトで認められ2001年に東芝ブレイブルーパス入り。
07年フランス大会、11年ニュージーランド大会、15年イングランド大会と3度のW杯に出場を果たした。代表キャップ98は歴代1位。192㎝、105㎏、ポジションはロック。
現在は東芝ブレイブルーパス普及担当。