我、プロとして

Vol.3 和田泰治 氏【後編】
ドーバー洋酒貿易株式会社/軽井沢ブルワリー株式会社代表取締役会長(1961年商学部商業学科卒)

卒業生
2020年12月25日

いつの時代でも、“情熱”と“着眼”があれば、
一騎当千(人並優れた勇者のたとえ)できる

和田さんの話には、格言が沢山出てくる。
「人はね、頑張ってますね、と言われても嬉しくない。言うなら、活躍してますね、とか」
「配慮された言葉ひとつで、決して貧乏はしない」
「お笑いタレントじゃないんだから、提供するのはお笑いじゃなくて、心地よい話」
確かに、その通りだ。

「軽井沢」と「千住博」

「僕は諦めが悪いんです(笑)」

極寒の冬を越えて、春先、浅間山頂から一滴、二滴と筋をなして溶け出す雪解け水が、やがて和田さんが立ち上げた「軽井沢ブルワリー(株)」のクラフトビールブランド「THE軽井沢ビール〈浅間名水〉」となっていった――。

「軽井沢は避暑地があって、日本中で知らない人がいない。首都圏にも近く、気候が良くて、水が美味しい。しかし、念願の軽井沢には条例があり、パチンコ店と工場は出来ない。そのため江戸時代から清酒の酒蔵が13蔵あり、浅間伏流水に恵まれた佐久市に工場を建設した。軽井沢の住民は20,000人ほどしかいないのに、毎年、夏だけで600万人以上の観光客が押し寄せる。クラフビートビールをやるなら“ここしかない”と思いました」

千住博画伯の描いた絵本「星のふる夜に When Stardust Falls…」と「THE軽井沢ビール」

作中、一切言葉が書かれていない千住博画伯の描いた絵本「星のふる夜に When Stardust Falls…」と「THE軽井沢ビール」

そして、もう一つ。

和田氏と軽井沢ブルワリー(株)にとって、運命的な邂逅があった。

そう、日本画家・千住博画伯とその作品『星のふる夜にWhen Stardust Falls…』である。

軽井沢ブルワリー(株)を創業した2011年、同じ年の10月に「軽井沢千住博美術館」が開館。早速、訪れた和田さんは、千住芸術の美しさと奥深さに強い感銘を覚えたという。中でもひときわ心を奪われたのが、『星のふる夜にWhen Stardust Falls…』の原画だった。

そのときの心情は、軽井沢ブルワリー(株)のホームページの中の「ブランドストーリー/運命的な名画との出会い」でも触れている。「この美しい家族愛の絵画をラベルに描いたビールを届けることができたなら、どれほど幸せなことだろう。私たちが造るべき真のプレミアムビールの夢の姿が、まぶたにまざまざと浮かんだのです」

その想いが通じ、世界的画家・千住博画伯の絵は、「THE軽井沢ビール」のパッケージとなった。

そこからさらに2年後の2013年に、上信越自動車道・佐久ICから車で1分の立地に自社工場を据え、本格的始動した。千住画伯の名画と造りたてビールが楽しめる工場は首都圏からの交通至便もあり、旅行会社の団体ツアーも人気で開場6年後には来場者数が5万人に達した。

クラフトビール、二つのテーマ

「やってみると色々と分かってくる。それまで年間で200万ℓだったビール製造認可が一気に6万ℓまで引き下げられたから、日本中で地ビールメーカーが誕生した。参入しやすくなったんだけど、やっぱり酒税は大きいから、普通に考えれば、大手メーカーのように量産しないとビジネスとして成立しづらい」

そこで考えたのが、利益率が高くなくても、息長く続けられるビール造り。宣伝費を使わず、とことん品質にこだわって、世界最高級の原材料と、大手にも負けない工場の蒸留器や濾過機などの高性能コンピュータ装置に投資した。

こだわりは容器にも及ぶ。イタリアより輸入した手で開けられるツイストキャップ、2度のフロスト加工により軽井沢の高級レストランにも相応しい瓶に仕上げた。精魂こめてデザインされた缶・瓶はすぐに捨てるには惜しい。

「僕がテーマにしているのは、“いつまでも何杯でも飲みたいビール”であり、“最後まで残るクラフトビール”にすること。”だから、美味しいビールを造るためには、惜しみなく良い原材料と時間を使いましょう、と入社してくれた匠(たくみ)たちと話しています」

現在、軽井沢ブルワリー(株)には、大手メーカーからきた3人の熟練ブルワーと、プロパー4人の国立大学卒の博士、修士が醸造を担っている。

まさにクラフトマンシップにこだわった、ものづくりの原点。

「自分のブランドを造りたい」と想い描いた和田さんの夢は、ついに実現し、着実に成果を出し始めている。

新商品「軽井沢 香りのクラフト 柚子」

新商品「軽井沢 香りのクラフト 柚子」。9月に行われた「ワールド・ビア・アワード」で金賞を受賞。香料無添加、天然の柚子果汁だけでこだわりの香りを再現

発泡酒の免許も下りた今、今年4月には缶のパッケージにもセンスの光る新商品を開発した。

「僕はデザインにも『人がどんなデザインだったら喜んでもらえるか?』を考えています。千住画伯の作品を使わせて頂いたのも、すべては『心地よいモノは何だろうか?』という、私の商人としての原点にある」

小学校から店番で養った人の心の機微を感じ取る才能と、実業家だった父譲りのビジネスに対するDNAを受け継いだ和田さんは、商人でありつつ、職人の感性をリスペクトし、尊重できる、類稀な実業家となった。

「美しい味」を求めて。これからも

この日、取材前に、本学校友会の社長会があった。そこで和田さんは、名誉顧問に就いたそうだ。

「自分は取材を受けるような立派なことはしていない。でも、体験談ならお話しできる」

インタビュー冒頭も、そんな謙虚な言葉で始まった。

「座右の銘は、『深慮遠謀』。深く思考を巡らせて、遥か先のことを見通して計画を立てる。思いつきでバッといかないことですよ、遠くをみて考える力がないといけない。国難と言えるコロナ禍の終息を願い増産を続けているアルコール除菌剤は34年の歴史を有す製品だ。2004年からは南極観測隊に連続採用されているのです。食中毒を起こさず隊員の健康維持と国家事業へ貢献できていることは誇りです。こうした長年の実績と品質への信頼が時代を超えて選ばれる製品となっています」

今の若者にも知ってほしい、そう和田さんは言う。

「いつの時代でも、“情熱”と“着眼”があれば、一騎当千(人並優れた勇者のたとえ)できる。何でもいいから、“情熱”と“着眼”をもって諦めなければ、きっとできる。何せ、僕が言うんだから間違いない(笑)」

◇   ◇   ◇

工場完成時、玄関ホールの千住画伯の代表作「ウォーターフォール」を展示した時にテレビのインタビューが行われた。その際千住画伯と和田さんとの関係についての質問に、画伯がこう答えている。

「和田さんの『美味しいビールを造りたい』という志は、
『美しいものを描こう』という私の志とベクトルがまったく一緒でした。」

画伯の名言に感動した和田さんが、美味しいビール造りに懸ける想いを強くした瞬間だ。

続けて、千住画伯が語る。

「人は美しいものに触れると、生きていてよかったと思う。
食もそうです。『美しい味』と書いて『美味しい』と読む。
『美味しい』と思うとき、やはり人は、生きていてよかったと思う」

「美しい味」を求めて、製菓の世界から、ビールの世界へ。

和田さんが生涯を懸けて追い求めてきた心地良さは、
「美味しい」と思う瞬間と、それを分かち合う瞬間、ではなかったろうか。

お菓子の話をしていたとき、こんな話がこぼれた。

「一回覚えた美味しさっていうのは、特にケーキっていうのは、家族だんらんのお菓子ですからね。クリスマスでも誕生日でも、みんな『おめでとう』と笑顔になる楽しい仕事。その家庭で好まれる美味しいものっていうのが、大切なんです」

<プロフィール>
和田泰冶(わだ・やすはる)

1938年5月19日生まれ。1961年商学部商業学科卒。群馬県高崎市出身。
小学校1年生で終戦を迎え、父親の家業を手伝うことで商人としての才覚を養う。高校は県立高崎商業に進学。剣道を始め、全国大会個人戦で優勝。一般入試で本学商学部に入学し、卒業後の1961年、東証二部上場のモロゾフ酒造(株)に入社。突然の会社倒産により独立。
1969年和田商事(株)(のちのドーバー洋酒貿易(株))を設立。製菓用洋酒という新たな市場をつくる。2011年にはクラフトビール市場に参入し、2013年「THE軽井沢ビール」販売開始。現在では、製菓用洋酒500種類以上、クラフトビール常時10種類以上を扱う。