我、プロとして

Vol.6 荻原康弘 氏【前編】
Kisvin Winery代表取締役(1983年農獣医学部畜産学科〔現・生物資源科学部動物資源科学科〕卒)

卒業生
2021年01月08日

(世界で)一番を目指さないとつまらない。それだけのことです

2017年、山梨県甲州市にある「Kisvin」という小さなワイナリーがワイン界に衝撃を与えた。ワインの神と呼ばれる世界的なソムリエが彼らのワインを絶賛したのだ。ワイン発展途上国と言われる日本から世界が認めるワインを送り出す荻原康弘。彼のブドウへの情熱と飽くなき探求心に迫った。

世界一のワインを目指して

荻原は農業生産法人株式会社Kisvinを2009年に設立。自社醸造施設「Kisvin Winery」が建設され、ワイン醸造が開始されたのは2013年のことだ。

それから4年後に、ワイン界の神と呼ばれるソムリエ・故ジェラール・バッセ氏がKisvinのワインを賞賛。2020年には「ANAオリジナルKisvin甲州」が全日空の国際線ファーストクラスの機内搭載ワインに採用されることとなる。

ワイナリーの誕生からわずか7年でワイン界を駆け上がってきたKisvinだが、荻原にとって、これらの功績は、いつか通る道が少しばかり早く訪れただけだったのかもしれない。

なぜなら彼が目指しているのは世界一のワインを造ることだからだ。

「世界で一番って言うと、笑う人もいますよ。多くの人に日本で世界一のワインを造るのは無理だと言われもしたよね」

世界的に有名なワイン産地の多くは乾燥地だ。例えばカリフォルニアのナパの雨季は11~3月で、ブドウの生育期間中はほとんど雨が降ることはない。フランスのワイン産地も同じく降水量が極めて少ないことで知られている。

一方、日本では3月から徐々に降水量が増え、6月には梅雨を迎える。つまり世界各国の有名産地とは真逆の降水グラフを辿っているのだ。

ワインにおける日本という土地が「世界一」という発言を嘲笑する一因なのだろう。しかし、そんなことは荻原も当然承知している。

「車、電化製品、新幹線など、日本のものづくりは世界に高く評価されています。多くの誇れるものを作り出してきたのにワインを造れないなんて格好悪いでしょ? それに一番を目指さないとつまらない。それだけのことです。『世界一って何?』って笑って聞いてくる奴には『目指さない者にはわからない』って答えていますけどね(笑)」

それでも全く同じ問いかけをした筆者に対して荻原は、世界一について優しく教えてくれたのだが、それは後編で述べることにしよう。

競争原理を意識

農獣医学部畜産学科に在籍していた際、荻原が夢中だったのはバイクだ。その腕前は全日本選手権に出場するほどで、当時の夢はプロレーサーになることだった。そのほかに思い出されるのは飲食店でのアルバイトで、当時の経験は現在にも生きているそうだ。

大学では友人も少なくあまり思い出もないそうだが、実習は好きな時間だった。

「畜産学科ですから、1週間泊まり込んで牛の世話をするというのが、年に2回ほどありました。そのときに、なぜか俺が行くと牛が出産するんですよ。何度もあるから周囲からは『産気を催す何かが荻原の体から出ている』なんて言われていましたよ(笑)」

Kisvinの醸造責任者・斎藤まゆによると、大学時代について楽しそう語ることも少なくないそうだ。

確かに学校での思い出は少ないのかもしれない。それでも荻原にとって大学時代はかけがえのないものだったに違いない。そう思わせてくれたのは、現在の彼に通ずる姿勢が熱中したバイクにもあるからだ。

「物の進化やイノベーションは競争原理からしか生まれないと考えています。例えば誰かがシャルドネを飲みたいと思ったら、ショップやレストランなどにあるシャルドネの中から選ぶことになります。つまり産地などは関係なく、お客様のコンペティションの中に放り込まれ、うちのワインはそこで選ばれなければならない。競争原理については常に意識していますし、根底にこの考えがあるのはレースでの経験が影響していると思います」

木にとって最適な環境作り

農園のブドウ

農園のブドウ

代々ブドウ農園を営む家系に生まれた荻原が大学を卒業したのは1983年のことだ。

しかし、すぐに農家になった訳ではない。父の勧めでトラック販売会社に就職し、その後保険会社に転職した。ワインと出合ったのは90年代後半で、アメリカ人の友人とカリフォルニアを訪れた際のことだ。

「父が2000年ごろに病気を患い、当時は自分で保険の代理店をやっていて、自由が利いたので、農園と自分の仕事を掛け持っていました。それより少し前からカリフォルニアのワイナリーにも行くようになって、『うちの農園でもワインができるんじゃ?』と思ったことがワイン造りのきっかけです」

株式会社Kisvin設立のきっかけとも言える、醸造用ブドウの勉強会グループ「Team Kisvin」を2005年に立ち上げた荻原。主なメンバーは彼と同じくブドウ栽培者の池川仁氏と当時東京大大学院の研究員だった西川一洋氏の3人で、それまで食用ブドウが主だった農園にワイン用ブドウを栽培し、同時に規模の拡大にも着手した。

食用ブドウとワイン用ブドウの大きな違いは見た目にある。前者は粒が大きく食べやすいものが好まれるが、後者に形は関係ない。

「ワイン用ブドウはワインにしたときにどれだけおいしいかが全て。糖が全てアルコールになるから、そのまま食べてもすごくおいしいんですけどね。ワイン用ブドウは見た目にとらわれないから参入する人も多いのですが、日本は加工を前提とした農作物を作るのに弱く、技術的蓄積も少ない。その中でもブドウは育てるのが難しい植物だからそんなに簡単にうまくいくものじゃないんだけど」

先述した通り、天候に恵まれない日本においてブドウ栽培は困難を極める。

荻原には代々受け継がれる経験、仲間の助け、弛まぬ努力があり、それらが現在の評価につながっているのだ。そしてブドウの木に最適な環境を提供することが何より大事だと荻原は語る。

「自然派とか言って、殺菌剤も殺虫剤も使わないのが素晴らしいみたいな風潮があるけど、それを人間で例えると病気に対して予防も治療もしないのと同じなんですよ。虫に食われて木が枯れることだってあるんだから、そのための対応をするのは当たり前でしょう」

接ぎ木について語る荻原氏

接ぎ木について語る荻原氏

知り合いの農家が花弁の付かないカベルネ・ソーヴィニヨンを抜くというので、譲り受けたことがあるが、荻原にも状態を改善させることができなかったそうだ。そこで彼はカベルネ・ソーヴィニヨンに接ぎ木をし、シャルドネに生まれ変わらせた。農園内には枝の途中から色の変わる木が多く見られた。

「ブドウの木はワイン造りのための道具じゃなくて、生き物なんだよね。それを理解していたら『自然が一番』なんてとてもじゃないけど言えないよ。農家や畜産業に携わる人間は、その命が自身の仕事の全ての始まりであることを肝に銘じて向き合わなきゃいけない。俺はそう思っているよ」

<プロフィール>
荻原康弘(おぎわら・やすひろ)

1960年1月26日生まれ。1983年農獣医学部畜産学科(現・生物資源科学部動物資源科学科)卒。山梨県出身。代々続くブドウ農家に生まれ、2001年に父・登より家業を継ぐ。
09年農業生産法人株式会社Kisvinを設立。13年自社醸造施設「KisvinWinery」を建設し、ワイン醸造を開始。翌年からワインの販売をスタート。自社畑の充実と丁寧なワイン造りをモットーに、世界水準の品質を目指しクリーンで果実味あふれるワインを生み出している。