我、プロとして

Vol.8 競輪選手 山崎賢人(2016年商学部経営学科卒)

卒業生
2021年01月27日

5年以内にはSSに上がり、競輪界を盛り上げたい

「日本の競輪」が「世界のケイリン」となったのは今から20年以上前のことだ。そして2024年のパリ五輪を見据え、日々汗を流している山崎賢人に今注目が集まっている。人気俳優と同じ名前のアフロヘア―は競輪界きっての人気ライダーだが、驚くことに大学時代はバレーボール部に所属していたという。悔しい思いをした大学時代、プロ選手となった今、そして競輪選手として目指す未来について語ってもらった。

打ちのめされた4年間

大学時代を振り返る山崎選手

大学時代を振り返る山崎選手

山崎賢人は、2017年にプロ競輪選手としてデビュー戦で勝利すると、そこから勝ち星を重ね、わずか1年半後の2019年1月にはS級1班に上がった。

競輪にはS級とA級、さらにそれぞれ三つの班があり、全6階級に分かれている。選手の強さを表す競輪得点(直近4カ月の得点)で上位に入る、または9連勝をすることで一つ上のカテゴリーに昇班できるというシステムで、一番上のS級S班には9人しかいない。

競輪選手は2000人以上おり、プロスポーツ選手の中で最も多いと言われている。つまりS級1班はトップクラスの実力がなければ上がれない階級なのだ。

現在の山崎の実力を見ればアマチュア時代から自転車競技で結果を残してきたように思う方も多いだろう。ところが大学まではバレーボール選手だった。

「中学からバレーボールを始めました。高校時代は県でベスト8が最高です。スポーツ推薦ではなく一般で日大に入ったのですが、バレーボールが大好きなので大学でもサークルではなく、部に所属しました」

大学4年間のバレーボール部では常に打ちのめされてきたそうだ。

同期には高校時代に全国制覇を果たしたメンバーがいるなど実力者が揃っていた。そのため4年間、控えの控えから脱することができず、試合に出場することも少なかったという。

それでもバレーボール部での時間は楽しかったと山崎は語る。

「競技の部分では悔しい思いしかしていませんし、コツコツと練習を重ねた記憶ばかりで印象的なエピソードもありません。それでも個性的なメンバーと共に楽しく充実した4年間を過ごすことができたのは間違いありません」

現在は個人競技のため、チームスポーツとは単純に比較をできないが、振り返って思うところはある。それは周囲の意見をあまり取り入れなかったことだ。

若さゆえ、自分の考えだけで突っ走ってしまったことが大学時代の反省点として今に活きている。

競輪選手・山崎賢人

立川競輪場で行われたKEIRINグランプリを観戦したとき、衝撃を受けた。

「それまでに感じたことがない、スピード、音、迫力で圧倒されました。最高峰のレースを見て、絶対に競輪選手になると決めました」

大学を卒業し、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)に入学するまでの2カ月間は地元長崎で競輪選手と共に練習を重ねた。当初はウォーミングアップについていくのもやっとだったという。

そして競輪学校入学後も試練の時は続く。

テレビ番組で「登坂訓練」などをご覧になった方も多いだろうが、競輪学校での生活は想像を絶する過酷さだ。朝から晩までスケジュールが管理され、山崎は慣れるのに2カ月を要した。もちろん教官の指導も厳しく、あの頃には戻りたくないと当時を振り返る山崎の笑顔が妙に印象に残る。

2017年の7月に山崎はプロとして初めてバンクに立つ。デビュー戦に勝利すると、そこから15連勝を果たすなど、破竹の勢いで勝ち続けるが、慢心はなかった。

「一緒に練習をさせていただいた中にS級の選手など、明らかに僕より実力のある選手がいたので、高飛車になることも過信することもありませんでした。今でも実力不足を感じていますし、上を見て、コツコツとやるべきことを重ねていくというのはデビュー当時から変わりません」

プロとして着実にキャリアを積み重ねていく山崎だが、練習以外にもデビューから変わらないことがある。それは自身が使用する道具を大事にすることだ。

競輪選手は自転車を自分自身でメンテナンスしてレースに臨むのだが、競輪学校を卒業したばかりのデビュー前の選手は先輩に道具を借りることも多いそうだ。

「先輩からお借りした物ですし、ましてや自分の仕事に必要不可欠なものを雑に扱うわけにはいかないという気持ちが自然と芽生えてきました。ですから今でも練習後はきれいに車体を拭きますし、チェーンの張り、ねじの緩みなどは必ずチェックしています」

パリ五輪、SS選手を目指して

オリンピックには自転車競技がいくつかあるが、2000年のシドニー五輪から柔道に次ぐ日本生まれの競技として「ケイリン」が正式種目になった。

山崎は19年の12月にナショナルチームに加入。現在(2020年10月)はBチームに所属している。

オリンピックを目指していた訳ではないが、アマチュア時代に練習を共にした中に、アテネ五輪のチームスプリントで銀メダルを獲得した井上昌己氏がいるなど、少なからず縁は感じている。

「競輪は鉄、ケイリンはカーボンの自転車に乗るという違いがありますし、競技では瞬発的な練習が多く、疲労度も別物です。それでも自転車に対する視野が広がりましたし、競輪にも好影響があると感じています」

現在山崎に求められることは国際大会で結果を出し、監督・コーチにアピールすることだ。

「競技での目標はAチームに上がり、国際大会、そしてパリ五輪に出場することです。200mのタイムは9秒09が僕のベストなのですが、日本記録の9秒0562に少しでも近づきたいです。競輪では5年以内にはSSに上がり、競輪界を盛り上げる一助となりたいですね」

競輪に馴染みのない方はきっと多いことだろう。それでも競輪界が誇るトップランナーの走りを見れば、山崎と同じようにあなたもきっと魅了されるはずだ。

是非競輪場へ行き、彼の雄姿をその目に焼き付けてもらいたい。

<プロフィール>
山崎​賢人​(やまさき・けんと

1992年12月17日生まれ。2016年商学部経営学科卒。長崎県出身。本学ではバレーボール部に所属。
立川競輪場で行われたKEIRINグランプリに衝撃を受け、競輪選手になることを決意。日本競輪学校第111期生。
デビュー戦から15連勝を果たし、1年後にはオールスター競輪の決勝に進出するなど注目を集める。18年1月にS級2班に特昇、19年1月にS級1班に昇班、同年12月にはナショナルチームのB指定選手に選出される。18年JKA優秀新人賞、19年ベストナイン。