我、プロとして

Vol.18 岡崎正信 氏【後編】
株式会社オガール 代表取締役(1995年理工学部土木工学科卒)

卒業生
2021年07月06日

人々に営む生きる権利を与える

紫波中央駅前都市整備事業「オガールプロジェクト」で、注目を集めた岡崎正信氏。その功績から令和元年度ふるさとづくり大賞し、本学理工学部創設100周年「100のひと」にも選出された。後編では彼の手掛けるまちづくりのルーツとなる大学時代、地域振興整備公団にスポットを当てていこう。

故郷への恩返し

推薦入試で本学理工学部土木工学科に合格した岡崎氏。あと数日で上京するというある日、父から何のために大学に通うのかと突然問われた。

「何も答えられずにいたら、大学の4年間は社会の常識を疑うための目を養う時間で、そのために世界を見ろと言われました。つまり今までにはできなかった経験を積むことができる人生で唯一の時間で海外を見ろということです。ですからアルバイトでお金を貯め、夏休みや春休みには海外へ行っていました」

海外旅行で印象に残っている場所が2つある。

一つはボストン美術館。
アメリカの建築家、ルイス・I・カーンの『都市というのは、少年が朝に出かけて行き、帰ってくるときには、彼が一生かけて取り組む仕事を見つけられるような、そんな場所のことだ』という言葉に衝撃を受けた。

もう一つはスコットランドだ。
カントリージェントルマンを目の当たりにしたことは忘れられない。

「直訳すると田舎紳士なので、勝手に小汚いおじちゃんというイメージを持っていたのですが、実際の彼らは決して不作法に振舞うことのない本物の紳士でした。そして地方に暮らしながら常に中央(=ロンドン)に目を向け、最先端の考え方、近未来を読む力を養っているのです」

それまで岡崎氏は町のコンテンツが最先端を左右し、日本の最先端は東京にあると考えていた。しかしカントリージェントルマンの振る舞いから、住む場所はどこであれ、暮らす人々の意識の違いで最先端が決まり、その暮らしにプライドを持つことが何よりも大切なのだと思い知らされた。

二つの旅を経験し、何のために大学へ行くのかを改めて自分自身に問いかけ、「生まれ故郷への恩返し」という答えを得た。そして恩返しを実現するには、常識にとらわれずに未来を予測する力が必要だということに気づく。

「僕が13歳のときに父が独立して建設会社を作りました。建設業は受注産業ですから、誰かが仕事を作ってくれなければ生活は成り立ちません。大学に行けたのは地域の人々に支えてもらったからであり、その感謝の気持ちを恩で返すための大学進学だったのです」

その想いを大切に抱き、地域振興整備公団(現・都市再生機構)に岡崎氏は入団をすることになった。

経験をベースにした言葉

地域振興整備公団と建設省時代について語る岡崎氏

地域振興整備公団と建設省時代について語る岡崎氏

地域振興整備公団では国鉄清算事業団の所有する地方都市の駅周辺開発に携わった。ここで社会人としての常識を学び、さまざまな町を見たことが、現在の仕事に活きている。

また建設省(現・国土交通省)へ出向し、官僚と共に法律作り、制度作りの現場を経験できたことが、岡崎氏のその後の人生に大きな影響を与えた。

「建設省では『国家国民のための仕事をできているか?』と、上司からよく問われていました。霞が関や官僚にマイナスイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際の彼らは常に自分を律し、国家国民のために愚直に仕事をしているのです」

オガールプロジェクトを進める際にも「紫波町のためになるか?」と自分自身に問うことは多かった。建設省への出向経験がなければオガールプロジェクトは違った形になっていたのかもしれない。

「経験というのは知識を省くことができると考えています。その意味で地域振興整備公団と建設省で多くの失敗を経験したことが、その後のオガールプロジェクトにも好影響を与えています。もちろん知識をおろそかにしていいということではありません。ただ、知識よりも、経験をベースにした言葉の方が説得力を持つのです。僕の仕事において、言葉は最大の武器になります。だからこそ経験値が強みとなるのです」

岡崎氏が建設省に在籍したのは1年ほどだが、当時の上司や先輩には今でもかわいがってもらっている。まちづくりというフィールドで、岡崎氏が素晴らしい仕事をしているということを、今では日本のトップで働く彼らが喜び、陰ながらサポートをしてくれているそうだ。

営生権

民間複合施設「オガールベース」

日本初のバレーボール専用体育館やビジネスホテルなどが入居する民間複合施設「オガールベース」

現在岡崎氏は新事業として紫波町に通信制の高校を作るプロジェクトを進めている。
主要5教科を通信制カリキュラムで行うのは他の通信制高校と変わらないが、美術や体育などの技能4教科をビジネスから学ぶというのが最大の特色だ。

つまり新たな人材育成拠点として紫波町に高校を設立しようというのだが、オガールプロジェクトと同様に過度に国からの補助金には頼らず、ハーバード大学の資金運用を参考に学校の運営を進めていくそうだ。

「ハーバード大学の運営経費は年間6000億円で、そのうちの2000億円は寄付金を運用して稼いでいます。僕らが作る学校も最初に寄付金を募り、そのお金を優秀なファンドマネージャーに預け、運用してもらいます。そして収益を学校の維持経費とすることで、パブリックに頼らないパブリックマインドの学校を作っていこうと考えているのです」

岡崎氏はまちづくりをする上で「営生権」という言葉を大切にしている。これは東京商科大学(現・一橋大)や慶應義塾大で教授を務めた福田徳三氏の言葉だ。

「福田先生は国家が国民のためにすべきことは、営む生きる権利を与えることだと主張し、道路を作り、井戸を掘るなど、インフラの整備は目的ではなく、単なる道具に過ぎないと、はっきりと仰っています。この言葉を聞いたとき、僕の人生で起きたことがしっかりとつながる感覚があり、本当に感銘を受けました」

オガールプロジェクトは、紫波町の人々に営む生きる権利を与えるためのプロジェクトなのだ。まちづくり、地方創生、学校運営など、岡崎氏はこれまでにたくさんのプロジェクトでその手腕を発揮してきたが、その全ての答えは「営生権」にあると彼は主張する。

刻々と変化する時代の中で、今後岡崎氏が紫波町に何をもたらすのか。そして彼からバトンを受け継ぐ若者がオガールをどのように成長させていくのか。しっかりと見届けていきたい。

<プロフィール>
岡崎正信(おかざき・まさのぶ)

1972年12月26日生まれ。1995年理工学部土木工学科卒。岩手県出身。本学卒業後に地域振興整備公団(現・都市再生機構)へ入団。東京本部、建設省(現・国土交通省)都市局都市政策課、北海道支部などで地域再生業務に従事する。
2002年に家業である建設会社を継ぐために帰郷。故郷の紫波町で企画立案から携わった「オガールプロジェクト」は過度に国の補助金に頼らない公民連携まちづくりとして注目を集め、その功績が認められ、令和元年度のふるさとづくり大賞(総務大臣賞)を受賞している。