我、プロとして

Vol.19 中越節生 氏【前編】
株式会社八〇八 代表取締役(1995年農獣医学部水産学科〔現・生物資源科学部海洋生物資源科学科〕卒)

卒業生
2021年07月09日

循環型農業を目指して

海のイメージが強い神奈川県藤沢市で農業を営む中越節生氏。小田急線善行駅前で彼が経営する「駅前直売所八〇八(やおや)」は自社農園や農家仲間から仕入れた野菜を直売するだけでなく、それらを調理した料理や加工品も販売し、近隣住民から高い支持を集めている。また彼が栽培する世界三大健康野菜の一つである『菊芋』は多くのメディアで紹介されるなど、注目を集めている。農業とは全く縁のなかった中越氏が、なぜその道を志すに至ったのか、その歩みを見ていこう。

海の街・藤沢で農業

相模湾に接している神奈川県藤沢市は、湘南の中心地として全国から多くの観光客が訪れる都市だ。江の島、片瀬・鵠沼・辻堂海岸などを有しているため、読者の多くが海の街として記憶していることだろう。

2012年、中越節生氏は農業をするためにこの地に降り立った。
そして小田急線善行駅から徒歩1分のところに「駅前直売所八〇八(やおや)」をオープンさせる。

「藤沢市の北部は緑が豊かで、多くの畑があります。ただ農家の高齢化や後継ぎ問題で休耕地、休耕田が多いのが現状です。僕はそういった田畑を再生させ、環境保全にも役立たせ、地域の人々にも作ったものを食べて喜んでもらうという、無理のない、やさしい循環型農業を目指して藤沢にやって来ました。今では農業をやりたい人にまず『菊芋』を育ててもらって、それをうちが買い取って収入を安定させるということもやっていて、地域活性循環型ビジネスとして、その輪は大きくなっています」

駅前直売所八〇八で販売している菊芋商品

駅前直売所八〇八で販売している菊芋商品

『駅前直売所八〇八』では自社農園や農家仲間から仕入れた野菜を直売するだけでなく、食堂や加工品の販売も行っている。農業だけでなく、野菜の直売所や食堂を開いたのには訳がある。

「元々、流山で農業をしていたのですが、ある理由で農業だけでは立ち行かなくなってしまったんです。ただ農家を辞めるつもりはなく、リスクを分散させるために直売所兼食堂を作りました。直売所も食堂も自分自身が『あったらいいな』と思うものを形にしました」

直売所は車でなければ行けない場所にあることが多い。また有機野菜をシンプルに使った農民料理を提供する飲食店は少ない。この二つに着目し、中越氏は『駅前直売所八〇八』を作ったのだ。

彼の『あったらいいな』は次第に地域住民に認知されていく。また、藤沢市の農業担当者と親交を深めたことで、タレントで藤沢観光大使の、つるの剛士氏への農業指導役を任されることになり、彼の活動は世に広く知られるようになった。

現在、中越氏が作る野菜の中で注目を集めているのが『菊芋』だ。ヤーコン、アピオスと並び世界三大健康野菜の『菊芋』はダイエット効果のあるスーパーフードなのだが、まずは中越氏が農業と出合うまでの道程を紹介していこう。

アルバイト漬けの大学時代

大学時代について語る中越氏

大学時代について語る中越氏

東京都出身の中越氏が農業と出合ったのは2005年のことだ。
さらに時を遡り、本学では農獣医学部(現・生物資源科学部)に入学したが、在籍していたのは水産学科で、農業とは全く縁のない人生を歩んでいた。

「文理学部を第一志望にしていたんですが、農獣医学部に進むことになりました。ブラックバス釣りが好きだったという理由で水産学科を第二志望にしたのですが、それが今では生物資源科学部くらしの生物学科と一緒に研究に取り組むようになって、不思議な縁を感じますよね。僕が大学1年のときには湘南台に1人暮らしをして、よく海で遊んでいました」

大学生活を満喫していた中越氏だったが、大学2年時にその生活は一変する。父が事業に失敗し、多額の借金を抱えてしまったのだ。

「借金の返済だけでなく、学費と生活費も自分で稼がなくてはならなくなってしまい、大学2年からはバイトばかりの日々でした。朝ガソリンスタンド、昼に喫茶店、夕方に塾講師、夜は居酒屋、深夜にバーテンダーなど、4~5件のバイトを掛け持ちするのも当たり前でしたね」

他にも旅行の添乗員、葬儀屋など、お金になるならばどんなアルバイトもしたという。当然大学に通うこともままならなくなり、自主退学を考えた。しかし父から大学を卒業するよう、懇願されたそうだ。

「父は高卒で、サラリーマンを経て独立したのです。昭和の人ですし、高卒ということで不自由な思いもしたようで、息子には大学を卒業してもらいたかったんですね。結局、6年かかりましたが何とか卒業することができました」

本学卒業後、長男の中越氏は家族のために借金を返済する必要があった。彼が選んだ就職先は固定給プラス歩合で稼ぐことのできる不動産会社だった。

農業と出合うまで

中越氏が就職した不動産会社は厳しい環境だったそうだ。

「当時は何をやりたいか、やりたくないかではなく、とにかくやらなきゃいけないという状況でしたから、嫌な思いをしても『これは神様からの試練だ』と自分自身に言い聞かせて仕事をしていました。その甲斐もあって、28歳のときには営業部長になり、年収は2500万円ぐらい。6000万円ほどあった借金を5年で完済しました」

お金も貯まり、自由に使えるようになった。それでも何を買っても幸福感を得ることはなかった。そんな折、客の1人からヘッドハンティングを受けた。

「外資系の生命保険会社のマネージャーさんにスカウトされたんです。パンフレットを見たらファイナンシャルプランの仕事がありました。不動産会社では、支払いが厳しい人にもマンションを販売していたので、そのようなお客さんの力になりたいと思って転職しました」

3年かけて不動産会社時代の顧客全てを回り、生命保険会社でも見事な成績を収めることができた。こちらでも高収入を得ていたが、やはりお金と幸せが結びつくことはなかった。

また、生命保険会社に在籍したことで、死について考えることも増え、いつからか自身が死んだ後にも何か残るものを作りたい思いを抱くようになる。そして知り合いの工務店社長に頼み込み、大工になった。

3年後、千葉県流山市に中古物件を購入し、それを壊して、自らの力で家を建てた。

「家は4カ月ほどで完成しました。その期間中、内装ばかりしているとストレスが溜まるので、近くの土手をよくランニングしていたんです。走っていると休耕地や休耕田がすごく目に付きました。なんで誰も使用していない田畑がこんなにもあるのだろうと思って、図書館に行って調べたんです」

それが農業との出合いだった。農業の高齢化、農薬汚染、食糧自給率問題、後継ぎ問題などを知り、自分がやらなければならないという使命に駆られたという。

そして農業を始めるために市役所へ相談に行くのだが、門前払いを食らってしまう。素人が簡単にできる仕事ではないから入ってくるなということだった。

しかし、この行政の対応は、中越氏の農業への情熱に火を点けるきっかけとなった。

(後編に続く)

<プロフィール>
中越節生(なかごし・せつお)

1970年5月5日生まれ。1995年農獣医学部水産学科(現・生物資源科学部海洋生物資源科学科)卒。東京都出身。
本学卒業後、不動産会社に勤務。その後、外資系保険会社、工務店勤務を経て、農家に転職。独立し、千葉県流山市でオーガニック野菜の宅配販売を行うが、東日本大震災の影響で2011年に休業。翌2012年に藤沢市に移住し、株式会社八〇八を設立。善行駅前に直売所兼八百屋カフェをオープンさせ、菊芋栽培で注目を集める。ふじさわ観光名産品協議会理事。