【研究者紹介】
人々の自立と幸せに寄与する環境会計

商学部 村井 秀樹 教授

研究
2021年04月08日

環境問題を分析
原発安全神話崩壊後の指針を検討

商学部 村井 秀樹 教授

商学部 村井 秀樹 教授

26年前、村井秀樹教授は『環境先物取引』という文字を日経金融新聞で目にした。それはアメリカで最初に行われた二酸化硫黄取引を伝える記事の中の言葉だった。

当時アメリカでは酸性雨の影響で、森林が枯れる、銅像が溶けるなどの問題が起きていた。二酸化硫黄による大気汚染が原因で、その排出を抑制するために排出上限が定められたのだ。環境先物取引とは、上限以上を排出する会社が、上限に達していない会社の余剰分を買い取ることを指していた。

「会計学のコアとなる財務会計論を専門とする私にもなじみのない言葉で、面白いと思いました。ただ当時は年に1度程度の取引でしたし、会計学と環境問題を結び付けて研究されている方はあまりいなかったと記憶しています」

1997年、国連気候変動枠組条約締約国会議が行われ、京都議定書が締結された。96年から98年まで海外研究員としてカナダのウォータールー大学にいた村井教授は、帰国後にこの条約に関心を持つようになる。特に注目したのが温室効果ガスの排出量取引だ。

「これは二酸化硫黄が二酸化炭素に変わっただけで、あの記事と同じことだと思いました。個人的に企業会計を主とする研究に閉塞感を感じていたこともあり、この時期から環境会計に取り組むようになりました」

原発の安全神話

村井教授は幼少期を高松で過ごした。父親は四国電力に勤め、原子力に関する部署に所属していたため、伊方発電所へ赴くことも多かった。伊方原発訴訟があったのもその時期だ。1973年に伊方原発建設に反対する住民が起こした訴訟で、原告側の敗訴に終わった。

この結果により日本の原子力発電の安全神話ができ上がったと言われている。

「父は幼い私に伊方原発の岩盤を見せて、関東大震災の3倍の地震にも耐えることができると言っていました。もちろんその言葉を信じましたし、以降も原子力発電の安全性に疑問を抱くことはありませんでした」

時は流れ2007年、村井教授の長男が原子力発電所の安全性に疑問を呈したそうだ。理科部に所属する中学3年生は「トイレなきマンション」という言葉を口にした。つまり使用済み核燃料を廃棄する場所がないのに安心安全と言うのはおかしいと一刀両断にしたのだ。   

「息子の言葉は胸に刺さり、原発について調べました。それでもいつかは使用済み核燃料を処分できると信じていたのですが、東日本大震災が起こり、私や父の考えが完全に間違っていたと思い知りました」

電力の新時代到来へ

第20回全国学生対抗円ダービーで3位入賞を果たしたゼミ生とともに

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安心安全、そしてローコストというのが原発のうたい文句だ。しかし、現在イギリスで造られている原発の建設費は1基1兆2000億円に上る。また日本国内を見れば、高速増殖炉もんじゅは一日に5000万円の維持費が必要だった。

「もんじゅは20年間で5000億円以上の資金を投入したのに1kwも生み出していません。これがコストに見合わないのは誰の目にも明らかです。そしてスリーマイル島、チェルノブイリ、福島原発での惨劇を見れば、安心安全と言うことなんてできない。温暖化対策ができ、効率よく電気を生み出せるということで政府は原発を推進していますが、危険が伴うものに1兆円以上をかけるなら、そのお金を太陽光発電などの再生可能エネルギーに利用すべきだと私は考えます」

近い未来に人々が電力を自家生産・自家消費する時代が到来するといわれているが、その意味で国民一人ひとりのエネルギー自立は必要不可欠だ。村井教授の研究は自立のための一助となり、温暖化の影響を受けている世界中の人々の幸せに寄与することだろう。

商学部
村井 秀樹(むらい・ひでき)教授

1986年本学商学部卒。92年同大学院商学研究科博士後期課程満期退学。92年同商学部専任講師。助教授。2004年から教授。06年ポーランド・ウッジ大招聘教授。10年東京大大学院新領域創成科学研究科博士後期課程単位取得退学。
日本経済会計学会理事、会計理論学会監事、環境経営学会副会長などを務める。
著書に『統合思考とESG投資~長期的な企業価値創出メカニズムを求めて~』(文眞堂、共著)など。香川県出身。