【研究者紹介】
楽しみながら持続的にスポーツへ関わるために

スポーツ科学部 森丘 保典 教授

研究
2019年12月04日

望ましい競技者育成システムづくりへ。
五輪控え、陸連の選手強化・育成も

ACミランで背番号10を背負った本田圭佑選手は、ガンバ大阪ジュニアユースから昇格できず、金沢の高校へ進学した。メジャーリーグで活躍し、日本球界に復帰した上原浩治選手の高校時代は、甲子園に出場できないチームの控え投手だった。

勝負は高校から

森丘教授

スポーツ科学部 森丘 保典 教授

本田選手や上原選手はまれなケースで、本来の才能を伸ばせず早い段階でドロップアウトしたり、逆に周囲の過熱や勝利至上主義によりアスリートとしてのピークを早く迎え、燃え尽きる選手も少なくないといわれる。

「要はさまざまな競技プロセスを示す選手がいるということ。陸上競技では、少なくとも高校まで続けてみないとどうなるか分からない。100メートルで言えば桐生祥秀選手は中学からずっとトップレベルだが、山縣亮太選手は全中大会では予選落ち。その2人、いま日本のスプリント界をけん引している」

エビデンスで説得

「一番の関心は誰もが楽しみながら持続的にスポーツに関われる社会をつくること。まずは陸上で各年齢層に応じた望ましい活動プログラムを提案するなど、トレーニングやコーチングの最適化を図るための施策を展開していく。その説得材料となるエビデンス(データ)をつくる研究を行っています」

日本陸上競技連盟が全国大会出場者(小中高・大学)と日本代表選手の誕生月分布を調べたところ、小学生の全国大会出場者のうち、1~3月の早生まれの比率は7.4%で、中学校期でもかなりの偏りがみられたが、オリンピックや世界選手権
レベルになると四半期別誕生月の構成は25%に平準化していく。小中学校期の競技成績には発育発達の遅速の影響が大きいことを示すエビデンスだ。

すべてがつながる

ゼミ生との懇親会で撮影

ゼミ生との懇親会でバラを携え

高校時代はリレーでインターハイ準決勝に進出し、大学卒業まで400メートルハードル(400mH)の選手。元々は高校教師として陸上部の指導をしたいと思っていたが、大学4年の時「専門的知識を持って教員になりたい」と院に進学しスポーツバイオメカニクスを専攻した。それがきっかけで、約四半世紀にわたり400mHの日本記録保持者・為末大選手をはじめとするトップレベル選手のレース分析とフィードバックを行ってきた。

前職の日本スポーツ協会(日スポ協)スポーツ科学研究室では血中乳酸測定をはじめとする運動生理学的な研究も手掛けるなど、競技スポーツの技術と体力の関係に関心を持ち続ける。

「はたからみると『何が専門だかよく分からない人』でしょう。でも私の中ではこれまでやってきたものが少しずつつながり始めています」

教授らの研究をもとに日本陸連は昨年、幼児期から生涯までを6ステージに分け、それぞれに適した競技活動や競技会の在り方についての指針を作成した。

実際に大会種目の変更も行った。2020年の鹿児島国体からは成人(シニア)および少年(高校)の400mが300mに、少年種別では400mHも300mHに変更される。

「400mや400mHでは、レース前半から速いペースで突っ込んでいかないと世界で勝負できない。大会で実施される種目の距離や負荷などを変えることによりトレーニング現場の意識や内容を変えていくことも必要です」

五輪以降の底上げへ

181cmの長身。朝晩の2食のみで現役選手時代の体重67kgを下回る65kgをキープ。「体は軽いし、午後の仕事もはかどる。お金もかからないのでおススメですよ」

大学の本務に加え日スポ協や陸連の選手強化・育成・科学にまたがる仕事も抱えるが、「今後はさまざまな競技者の育成プロセスを描いてみたい。『コーチング学』の体系化やスポーツ指導者養成の発展にもつながると思います」

東京五輪を前に、テニス、フィギュアスケート、卓球と勢いづいている日本。教授らの研究により、2020年以降もスポーツ界のさらなる底上げが期待できるかもしれない。

スポーツ科学部
森丘 保典(もりおか・やすのり)教授

筑波大大学院体育研究科コーチ学専攻修了。
平成7年日本体育協会(現・日本スポーツ協会)スポーツ科学研究室研究員。主任研究員、室長代理を経て28年4月本学スポーツ科学部競技スポーツ学科教授。
日本オリンピック委員会強化スタッフ、日本陸上競技連盟強化・普及育成および科学委員会副委員長などを歴任。
主著に「コーチング学への招待」「スプリント学ハンドブック」。埼玉県出身。49歳。