主張――
東京美装興業代表取締役,JOC会長・八木祐四郎(やぎゆうしろう)氏
「超氷河期」といわれる厳しい就職難時代,それを打開する方策はないものか,私の経験を通して提言してみたいと思います。
私は昭和4年,北海道稚内市に近い中頓別町に生まれ,小学校入学と同時に日支事変,中学校(現旭川東高等学校)入学と同時に第2次世界大戦勃発と,卒業まで全て戦争遂行のための世代でありました。
日本がかつて味わったことのない敗戦といった現実,当時軍人志望の夢を断たれた私は,男らしく人生を生きるには,自らの能力をスポーツの道での挑戦に置き換え,日本大学入学と同時に体育会スキー部に入部し,2年間選手生活を過ごしましたが,戦時中競技生活から完全に離れていたため,技術的にも体力的にも到底選手としての大成は期せられず,母校スキー部の選手育成指導にその目標を置き換えることにしました。
昭和27年,法学部法律学科を卒業と同時に監督代理,同30年に監督を命ぜられ本年まで45年間にわたって部員と共に大学スキー界の頂点に立つ目的で精進を続けております。昭和34年まで1度も優勝の経験がなく,閉会式で,早大や明大の校歌を背に寂しく会場を去ったものです。しかし私は早稲田の部員も明治の部員も同じ人間,努力次第で必ず勝てるという信念を貫き通しました。
まず選手の資質の発見と栄養補給と基礎体力の充実を中心に不撓不屈の精神力を養う事にとりかかったのであります。卒業後,就職した国民金融公庫の給料では選手に腹一杯メシを食べさせることはできませんでした。何かうまい方法はないか?寝ても起きてもこのことばかり考えておりました。そんなある日,私の机の後ろの窓ガラスを拭いていた職人から話を聞いて「これだ!これなら資本無しでも,健康な体さえあれば事業を始めて腹一杯メシを食わせてやることができる」と小躍りして叫んだのであります。
昭和32年9月,思い切って公庫を退職し,ビル清掃を主たる事業とする現在の東京美装興業を興しました。勿論,私は単なるひらめきだけで創業に踏み切ったわけではありません。敗戦から復興し,経済が立ち直ると共に次々とビルが建てられて行くのを見て,ビル清掃の仕事は増える確信があり,目的意識を持っての挑戦が始まりました。
スキー部も昭和34年に初優勝以来,男子は不滅の13連覇を含む26回,女子は19回の優勝。全日本スキー選手権大会天皇賜杯10回の最多記録を樹立することができました。
若冠30歳にも満たない私が全く未知のビジネスに挑戦して何とか生き残ることができたのも,スキー王国と言われるほど強いチームになったのも,全て従業員や部員をはじめ大学,OB・OGや関係者のご支援の賜物であります。
さて,昨今の厳しい就職戦線を乗り切る方策はないのかということであります。私が助言できるとしたら,それはただ1つ。「謙虚に人の力を借りなさい。借りた恩に報いる努力をしなさい」ということです。
幸い,わが日本大学の校友数は全国で85万人をオーバーしております。これら校友と全教職員が就職問題について情報を提供し合うなど,強固なきずなを構築することで,就職難を打開する道が開けるものと確信いたします。
(東京美装興業代表取締役,JOC会長)
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