2021年6月27日、東京五輪の代表選考会となる日本選手権で、橋岡選手は6本目に日本記録にあと4cmに迫る8m36を記録。圧巻の跳躍で優勝を飾ると共に、派遣条件を満たして初の五輪出場を決めた。2019年の世界選手権(ドーハ)で日本人史上初となる8位入賞を果たし、世界トップクラスのジャンパーとなってから、およそ2年。日本陸上界のエースが次に見据えるのは、世界の表彰台だ。

大阪・ヤンマースタジアム長居で開催された第105回日本陸上競技選手権大会、最終日。男子走幅跳決勝にエントリーしている13人のうち、橋岡選手を含め3人が五輪の派遣標準記録8m22を突破しており、この試合で3位以内に入れば東京五輪代表に内定する。
午後3時40分、梅雨らしい曇天ではあったが風はほとんどなく、良好なコンディションの中で試合が始まった。13番目に登場した橋岡選手は8mを悠に超える跳躍ながら1回目、2回目とファウルが続き、苦い表情を浮かべる。
続く3回目の試技、ここでの記録がトップ8以内に入らなければ4回目以降に進出できなくなるというプレッシャーが掛かる場面。両手で顔を叩き深呼吸し、遠くを見つめるように集中してから助走に入る。トップスピードからラインギリギリで踏み切ると、きれいな弧を描いて着地。計測結果を確認した橋岡選手は両手の拳を握りながら吠えた。8m27(追い風0・6m)の大会新記録だった。
3回目を終えて暫定トップに立つと、5回目で8m29と記録を伸ばし、迎えた6回目。この時点で優勝は確定していたが、これまでと変わらず集中した表情で橋岡選手はトラックに現れた。スピードのある助走から、日本記録(8m40)を示すライン近くに着地する大ジャンプを見せると、スタンドからどよめきが起きた。橋岡選手自身は納得いかない様子で首を捻っていたが、電光掲示板に8m36という記録が表示されると、その表情を少し緩ませた。出場選手中ただ1人8m台を記録して2年ぶり4度目の優勝と同時に、五輪の舞台のスタートラインに立つことが決まった。

日本選手権の戦いをステップとして

日本選手権の最終試技では大会新記録、自己ベストとなる8m36の大跳躍。リオ五輪銅メダル相当の記録で優勝を飾った。「両親の支えがなければ、ここまでたどり着けなかった」と元陸上選手の家族の思いも背負って、五輪の舞台に臨む。

―日本選手権優勝、五輪代表内定おめでとうございます。試合を終えてどんな気持ちですか?
ありがとうございます。まずは一安心といったところですが、自分としては不甲斐ない試合をしてしまったという思いです。
―1回目、2回目とファウルが続きましたが、3回目はどのような気持ちで臨みましたか?
とても緊張していましたが、ファウルさえしなければトップ8に残る自信はあったので、自信と共に跳びました。
―最終試技で8m36という好記録が出ました。
最後は日本記録更新を狙っていたので、そこに届かなかった分、悔しい思いのほうが大きいですね。
―日本選手権に臨むにあたり考えていたことは?
日本選手権は五輪に向けて、いい感覚をつかむための試合という位置づけで捉えていて、優勝を最低限の目標としていました。しかし、今は国内の大会でも勝つことは難しくなってきているので、8m20台をコンスタントに跳べる状態を維持して、試合に臨めればと考えていました。日本選手権をしっかり勝ち切って代表権を獲得し、自信を確信に変えられるような一戦にできればという思いでしたね。
―直前の試合(デンカアスレチックスチャレンジカップ)では優勝しましたが、反省点も口にされていました。
日本選手権に向けた調整の位置づけとなる試合で、 2020年に8m29で優勝したインカレに続いて、五輪の派遣標準記録を超えることができたので、結果として満足できるものでした。また、今年に入ってから、試合でファウルが多く出るようになっていたので少し不安を感じていたのですが、1本目で8m19、2本目では8m23と安定して記録を出すことができ、とても安心しました。ファウルを気にして助走が乱れて、さらにファウルが出てしまうという悪循環に少し陥っていましたが、助走の鋭さが戻ってきた感覚がありました。
―安定して8m台を跳べるようになった訳は?
昨年は例年より試合が少なく難しい部分はありましたが、その分、基礎的な部分からもう一度しっかり積み上げようということで練習してきました。その結果、助走の出力的な部分などが徐々に高まってきて、安定性も増してきたと感じています。五輪が近づいているということもあり、練習の質をより高めていこうという意識でやってきたのが良かったのですかね。

五輪本番に向け、不安はもうない

2020年8月、東京五輪の舞台となる新・国立競技場で開かれたセイコーゴールデングランプリでは、優勝したものの8m超えはならなかった。しかし、2021年5月に同会場で開催された五輪テストイベント「READY STEADY TOKYO」では、唯一の8m超え(8m07)の跳躍で優勝した。
―五輪の本番会場で試合をした感触は?
2試合を戦って、さまざまなことを感じることができたので、五輪に向けていい経験値になりました。セイコーGPの時は助走のしづらさを感じたのですが、トラックが少し柔らかく馴染んできたのか、今年はその感覚がなくなっていました。助走面での不安要素がなくなってきたので良かったと思います。
―昨年、五輪延期となった時はどんな思いでしたか?
社会情勢を見て延期はある程度覚悟していたので、もう1年でさらに成長しようと、しっかり気持ちを切り替えることができました。コロナ禍で、大学のグラウンドや施設が使えなくなった期間は、練習場所探しに苦労しましたね。基礎的なベースアップを行うために、人が少ない時間帯に広めの公園に行って走ったり、ウエイトトレーニングもできないので、器具を購入して自宅でトレーニングしたりと、さまざまな工夫を凝らしながらずっと練習していました。時には両親を背中におぶってスクワットをしたこともありましたね(笑)。

8m50を跳んで、表彰台に立ちたい

2019年に開催されたアスリートナイトゲームズイン福井では、1回目の跳躍で8m32を記録。橋岡選手を指導する本学スポーツ科学部・森長正樹教授が1992年にマークした日本記録8m25を27年ぶりに更新した。しかし、それからわずか30分後、城山正太郎選手が3回目に8m40を跳び、新たな日本記録が誕生した。
―日本記録についてどんな思いがありますか?
記録はどんどん塗り替えていくものだと思っていますし、切磋琢磨しあえる城山選手の存在はとてもありがたいですね。また更新したいという思いはもちろんありますが、いつかは問題なく超えられると思っているので焦りはありません。いつ実現できるかは体の調子と相談してという形になりますが、やはり五輪など大きな舞台で跳ぶことができると、おもしろいなと思います。
― 森長先生とはどんな話をされていますか?
日本選手権よりも五輪本番に照準を合わせて、どう仕上げていくかということを話し合っていました。今季は各大会でいい跳躍ができているので、このまま調整していけば本番でも大丈夫だろうと言われています。 
―世界における自身の現在地をどう捉えていますか?
2019年の世界選手権で8位に入った時、「やっと世界のスタートラインに立てた」という感じでした。今はそこから一歩進んできたかなというぐらいで、まだ経験的には足りていないので、東京五輪がさらにもう一歩踏み出すきっかけになれば良いと思います。
―五輪とはどのような存在でしょうか?
僕の競技人生において大きな分岐点の1つになってくると思っています。これまでの競技人生の集大成として臨む大きな舞台ですし、今回は自国開催ということもあり、とても強い思いがあります。4年に1度しかない大舞台ですから、ここで結果を残せるかどうかで、今後の人生が大きく変わってくるものと思っています。 
―五輪を最初に意識したのはいつでしたか?
中学3年時に全国大会で表彰され、周りの友人から「五輪に行けよ」と言われ、自分も「おぅ、行ってやるよ」みたいな受け答えをしたときですかね(笑)。 初めはとても軽い気持ちでしたが、その年に東京五輪開催が決まったので、何か縁もあるのかなと今ではそう思っています。
―五輪での抱負・目標をお願いします。
世界選手権では8位だったので、今回はその上のメダル獲得を目指しています。記録としては8m50を出すことを狙っていて、本番で跳ぶことができれば表彰台も見えてくるはずです。五輪まで残りわずかですが、できる限りの準備をして、皆さんにいい報告ができればと思っています。

プロフィール

Yuki HASHIOKA ​[はしおか・ゆうき]

大学院総合社会情報研究科在学
1999年生まれ。埼玉県出身。八王子高卒。2021年スポーツ科学部卒。富士通所属。ʼ18年U20世界選手権で日本人初となる金メダルを獲得した。ʼ19年にはアジア選手権(ドーハ)で優勝し、日本選手権3連覇を達成。同年の世界選手権(ドーハ)では日本人史上初の8位入賞を果たした。ʼ20年のインカレで大会記録の8m29で優勝し、ʼ21年3月の日本選手権(室内競技)では室内日本記録となる8m19で優勝。さらに5月のREADY STEADY TOKYO(東京五輪テストイベント)優勝、6月のデンカアスレチックスチャレンジカップ優勝と好調を維持し、代表選考会を兼ねた同月の日本選手権でも優勝。派遣標準記録も突破して、五輪代表に内定した。