競泳の東京五輪代表選考会を兼ねて4月3日から開催された第97回日本選手権。本学水泳部からは卒業生を含む6人が五輪内定を勝ち取る活躍を見せたが、その大会期間中、最も注目を集めたのは紛れもなく彼女だった。白血病判明から2年2ヵ月、想像を絶するような努力を重ね、想像を超える4冠という結果と、自身でも想像していなかったという2枚の五輪切符をつかみ取った池江璃花子選手。「世界に、戻ってきたことを証明したい」と五輪の戦いに挑む時、彼女はまたつぶやくだろうか…自身2度目の夢舞台に「ただいま」と。

あせらず、いい気持ちでレースをすることができた

予選・準決勝のラスト10mで「腕が回らなくなった」という反省を活かした決勝レース。

スタンドから応援していたチームメイトへ感謝を伝えた。

水面を何度も叩いて喜びを露わにした。

あふれる涙に、プールから上がるまでしばらく時間を要した。

表彰台では笑顔を見せた池江選手と長谷川選手(左)。

こみ上げるものを抑えきれなかった。大会2日目の女子100mバタフライ決勝。フィニッシュしてすぐ振り返り、電光掲示板で勝利とタイムを確認した池江璃花子選手は、握りしめた左の拳で水面を叩いた。そして、水の中でも、プールから上がっても、優勝インタビューを受けながらも、幾度となく手で顔を覆った。
「いろんな感情が湧いてきました。五輪を意識していたものの自信はなかったし、それでも優勝して五輪が決まったということで…。インタビュアーの方の『つらかったと思いますが』という問いかけに、ここまで苦しんだり苦労してきたことなどを瞬間的に思い出しましたが、やっぱり素直にうれしかったという感じですね」
今大会では4種目にエントリーしたが、「戻ってくるのに一番時間がかかると思っていた」という100mバタフライでの勝利。ポイントは修正力とレースプランだった。
前日の予選と準決勝では、折り返しのターンでタイミングがずれてタイムロスをしていた。そのため決勝では、飛び込んでから浮上するまでのドルフィンキックの回数を1回増やし、50mのストロークをこれまでの19回から18回にすることにした。 「レース前のアップの時に浮き上がりの調節をしていました。正直、どちらでもいいと思っていたんですが、ターンを合わせるためにはやっぱり何かを変えないといけないと思ったので、ちょっと無理してでも変えましたが、勇気はいりましたね」
五輪切符を賭けてのレースが始まった。前回大会の覇者・相馬あい選手が序盤から積極的に飛び出して行ったが、池江選手はその展開を想定したうえで「追いつこうとするのはやめよう」と考えていたという。
「隣のレーンを泳ぐ長谷川(涼香)選手が後半に強いので、前半に離さないといけないなと考えていたんですが、あせって飛ばすと後半きつくなって追い抜かれるだけだなって…。私も後半に伸びがある方なので、それを引き出すには前半に行き過ぎないほうがいいと思ったので、なるべく周りを見ないようにしていました」
自分のペースで泳ぎ、ターンもきっちりと合わせて前半を0秒03差の2番手で折り返した。「チラッと見た時に相馬選手がけっこう前にいるなと思いましたが、あせりはしなかったですね」
後半に入り大きく美しいフォームでグイグイと伸びていき、残り25m付近で相馬選手をかわして先頭に立つ。後ろから長谷川選手も迫ってきたが、「最後は気持ちだった」とラスト10mは必死に水を蹴った。トップでのゴール、そして57秒77。個人での派遣標準突破は逃したが、この種目で3年ぶり4度目の優勝を飾ると共に、メドレーリレーメンバーの派遣標準記録(57秒92)を上回り、2大会連続の五輪出場をたぐり寄せた。
レース後のインタビューでは「自分が勝てるのはずっと先のことだと思っていた」「つらくてしんどくても、努力は必ず報われる」「何番であってもここにいることに幸せを感じようと思った」と、声を震わせながら印象的な言葉を絞り出していた池江選手。改めてこの試合を振り返ってもらうと、「あせることもなく、いい気持ちでレースをすることができました」。さらに「以前記録を出していた頃も19回のストロークで泳いでいたと思いますが、意外にも病気になる前と今でストローク数が変わっていないということは、筋力が戻っていない中でも推進力は得られているんだなと分かったし、いろいろと改善点も見つかったというか、伸ばしていくべきところがあると思いました」と、本番へ向けてさらなる進化を目指す。「世界で戦うために、もっと強くなりたいと思います」

レースは勝ちに行くものだと思っている

池江選手の復活劇はさらに続いた。予選・準決勝を全体トップで通過した女子100m自由形は、決勝レースでも後半に入り頭1つ抜け出し、2位に0秒34の差をつけて優勝(53秒98)。またも個人の派遣標準に届かなかったが、上位4人がリレー派遣標準記録を突破したため、400mフリーリレーでの代表切符を手にした。
「勝つ自信というのではなくて、今の自己ベストを出す自信というのはありました。もちろん、レースでは負けたくないし、レースは勝ちに行くものだと思っていますが、53秒台が出てもおかしくないと感じていたので、結果がついてきたなという印象です。100バタで代表内定が取れていたから気持ち的には余裕をもって試合に臨めましたし、たぶん誰よりもプレッシャーを感じずにレースができたんじゃないですかね」
大会最終日には「一番優勝を狙っていた種目だった」という50mバタフライと50m自由形の決勝レース2本に挑み、いずれも学生新記録を樹立して優勝。全11レースを泳ぎ切り、3年前の自身に並ぶ4冠を達成した。50m自由形の優勝インタビューでは「日本で負けるのは今年で最後と決めていました。これからの自分の記録にも期待したい」と語り、笑顔で大会を締めくくった。

負けを経験したからこそ 勝つことの意味がわかった

 2019年2月、日本のみならず世界をも驚かせた白血病の公表から2年余り経ち、池江選手は心も体も大きく変わっていた。
 病に冒される前は「試合で勝って当たり前、国内では勝てないことがほぼなかった」という自分が、チームの練習についていけず、試合でもライバルたちの後塵を拝するという経験をした。だが、そうしたことさえも復活への歩みにおいては大きな糧になったと言う。「勝てないことがすごい悔しかったし、どうすれば強くなれるんだろうって考えて…それはもう練習するしかないなと思って、トレーニングを重ねてきました。負けることを知って、初めて勝つことの大切さや意味を強く感じるようになったし、悔しいのは嫌いですが、それを経験したからこそ勝つことの嬉しさを学べたので、それはそれで良かったのかなと思います」
 現在16種目で日本記録を持ち、2018年ジャカルタ・アジア大会では金メダル6個を獲得するなど日本のエース格だった“かつての池江選手"をどう思うかと聞くと、「素直にすごいなぁと。よくあんなタイムで泳げるなって思います(笑)」。
だが、「過去は振り返らないし、振り返るメリットが分かりません。その時何が必要だったのかを考えることは大切ですが、過去のことを考えるだけでは何も変わらないので、自分は何を目標にするのか、この先何をしていきたいのかを最初に考えて行動し、努力することが結果につながっていくんだと思っています」と話す池江選手。「第二の水泳人生」と表現した復帰後の日々、試合で自己ベストを更新することに喜びを感じながらも、「いつかは過去の自分の記録を狙いにいく日が来るかもしれません。ただ、それは今ではない。今はそこを狙える段階ではありません」ときっぱりと答えた。
 大会後、池江選手は自身のSNSに4つのメダルと賞状を並べた写真をアップし、感謝の言葉を綴った。40万人を超えるフォロワーからは、あっという間に3,000を超えるコメントが寄せられ、「限られた人の中ですが、『勇気をもらいました』とか『自分も頑張りたい』といったコメントを見ると、そういうものを私が与えられているんだということが嬉しいですね」と顔をほころばせる。
 「ふつうに自分が思ったことを発信しているだけですが、『心に響いた』とか言っていただく方もたくさんいます。まだ二十歳ですが、水泳でトップに立って、それが一度どん底まで行って、この2年間で良い時も悪い時も経験してきました。病気をしたから分かることや、アスリートだから分かることもありますが、この気持ちは自分にしか分からないもの。病気で不安を抱えている方や、病気ではないけれど不安を持っている人たちに対して、自分が発する言葉が少しでも勇気に変わってくれたらいいなと思っています」

共に400mフリーリレーの代表内定を決めた大本里佳選手(右)と抱き合い、喜びを分かち合った。

「絶対、勝つ」と意気込んで臨んだ50m自由形も優勝。「4冠という結果を、自分に対してほめてあげたい」と笑顔で語った。

どこまでタイムを伸ばせるか、楽しみ

 東京五輪での最初のレースは、開会式翌日の7月24日に行われる400mフリーリレー予選になる。本誌取材が行われた4月中旬時点であと3ヵ月余りだったが、池江選手は五輪に向けての抱負として「1秒タイムを上げる!」と色紙に書いた。
 「あと3ヵ月しかないと捉える選手もいますが、私の中ではあと3ヵ月がすごく長く感じます。今はまだ世界と戦えるタイムではないけれど、1ヵ月ほどで1秒以上タイムを伸ばしてきた種目もあるので、あと3ヵ月あればどれだけ伸ばせるんだろうって思いますね」。実際、2月下旬の東京都オープンで記録した100mバタフライ59秒44は、日本選手権で1秒67も短縮している。「1秒縮められたら、五輪では出ない個人種目でも大きな自信になると思うので、そういう目標を書きました」
 復帰後は常々「目標とするのはあくまでパリ五輪」と口にしてきた池江選手だが、「出られるとは思っていなかった」という東京五輪はどういう意味を持つものになるのか。
 「リオの時は、とにかく五輪に出られて嬉しいとか、決勝に残りたいと思っていましたが、東京五輪ではリレーだけに集中できるので、チームに貢献する泳ぎをして、みんなといっしょに結果を出したい、少しでもいい順位を取りたいと強く思っています。リレーの中でも他の選手を圧倒するようなレースをしたいし、それこそ“チャレンジャー"という気持ちで取り組んでいくつもりです。それと、2024年のパリに向けての準備というか、五輪の試合の環境や独特な雰囲気などを今年経験しておくことで、パリ五輪につなげていきたいという思いもあります」

「世界に戻ってきたことを証明したい」

試合前の練習中に談笑。それは二十歳の素顔そのものだった。

さらに4月中旬に催された本学水泳部による五輪出場選手の壮行会で、池江選手はチームメイトたちを前に力強く五輪への決意を語った。
「久しぶりに代表に戻ってきたという感覚なので、まずは今まで世界で経験してきたことを武器に、五輪でもしっかり戦いたいと思います。そして“池江璃花子”が世界に戻ってきたことを、この試合で証明できるようにしたいと思っています」
奇蹟なんかではない。揺るぎない信念と壮絶な努力で自ら切り拓いてきた「第二の競泳人生」の道を、世界のライバルたちも驚くほどのスピードで駆け戻ってきた池江選手。仲間たちと共に表彰台を目指すレースのスタートは、3年後のパリで「君が代」を聞くためのスタートでもある。

プロフィール

Rikako IKEE ​[いけえ・りかこ]

スポーツ科学部3年
2000年生まれ。東京都出身。淑徳巣鴨高卒。16歳で出場した’16年リオ五輪の100mバタフライで5位入賞。’18年のジャカルタ・アジア大会では史上初の6冠を達成し、大会MVPに輝く。長水路・短水路あわせて16種目で日本記録を保持。’19年2月に白血病であることを公表し、闘病生活に入る。’20年8月に実戦復帰を果たし、’21年2月の東京都オープン・50mバタフライで復帰後初優勝を飾る。4月の日本選手権で100mバタフライ、50mバタフライ、100m自由形、50m自由形の4種目で優勝。リレー派遣標準記録を突破して、400mメドレーリレーと400mフリーリレーの2種目で五輪代表に内定した。