我、プロとして

Vol.12 樋口 純一 氏【後編】
日本橋弁松総本店八代目当主(1994年法学部法律学科卒)

卒業生
2021年04月30日

アクシデントからおもしろい出会いやアイデアが生まれる

26歳で日本最古の弁当屋・弁松総本店の八代目となった樋口純一氏。彼は伝統の味を守りつつ、SNSという新たな武器を手にし、挑戦を続けている。コロナ禍だからこそ、出会うことができた人々やアイデア、これからの展望について語ってもらった。

弁松の味

弁松総本店の一番人気「並六」

弁松総本店の一番人気「並六」

砂糖としょう油をたっぷり使った甘辛の濃ゆい味、それが弁松の味だ。

初めて弁松の弁当を口にした客から、「調味料の配分を間違えたのでは?」という問い合わせは、年に数える程だが現在でもあるそうだ。それだけ好き嫌いがはっきり分かれる味で、万人受けしないことは弁松自ら認めている。

「当たり障りのない味にすればもっと広く売れるかもしれませんが、それは弁松の味ではない。熱狂的なファンもアンチもいるから、長く続けて来られたのだと私たちは考えています」

味のこだわりは作業工程にも反映されている。
昨年から始めたTwitterで動画を流したところ、細かいところまで手作業で行っていることに反響があった。

「玉子焼は、焼いた後に木のすだれで巻き、半円型を作ります。この形は機械では作れません。もちろん機械化すれば効率はよくなりますし、衛生面など、昔ながらの工程を変えるべきこともあります。それでも無理に変えなくてもいいこともあって、その線引きは難しく、今も試行錯誤しています」

ある会社から弁松の弁当を機械生産し、冷凍販売したいとオファーがあった。かねてから純一氏も冷凍販売に興味を持っていたため、簡単に作業工程を説明したが、先方から「再現できない」と返答があったそうだ。

「似た味はできるけど、全く同じ味にするために、そこまで面倒なことはできないとのことでした。また煮物を作る棒、落し蓋は木を使用しています。OEMで作る場合は、木くずが入る可能性もあるため、それらは使用できないとも言われました」

弁松の工場で作られた弁当に木くずが入る可能性は低いが、リスクはもちろんある。それでも味、食感、見た目が変わってしまっては弁松が弁松ではなくなってしまうのだ。

SNSで逆境を打破

2020年に弁松は170周年を迎えた。
この記念すべき年に、毎月一つ何か新しいことをするという目標を純一氏は立てた。

1月は全従業員を江東区にある工場に集め、落語家の柳家三語楼氏に古典落語の「子別れ」を披露してもらった。子別れには弁松の赤飯が登場するのだ。

「全従業員が休みになるのは正月しかないので、1月にこのイベントを開催しました。落語の後には屋形船を貸し切りにして、芸者を呼び、この1日で従業員に和文化を体験してもらいたかったのです」

2月は何をすべきか考えていたときに、新型コロナウイルスの影響が出始めた。3月の卒業シーズンに合わせた注文のキャンセルが相次いだのだ。

そしてお客さんとの接点を作るべく、純一氏はSNSをスタートさせた。選んだのはTwitterだ。ご存じの方も多いだろうが、140文字以内のテキスト、画像、動画、URLを投稿できるSNSで、全世界のユーザーは3億人を超えている。

「アカウントを作って、次の日には150人ほどにフォローされていました。それからは懇意にしている日本橋の老舗や落語家さんをフォローして、フォローバックをもらうという感じでした。そしてある日、糸井重里さんが弁松のつぶやきをリツイートしてくださったのです」

元々弁松のファンというコピーライターの糸井重里氏の影響は大きく、その日のうちに1000人ほどだったフォロワーが5000人まで増加した。フォロワーが増えたことで、お客さんと接点ができ、新たな挑戦の話も舞い込んできた。

「ナショナルデパートの秀島康右さんという方からDMをいただき、うちの弁当を個別に配達するサービスをしたいと提案があったのです。次の日にお会いして、その次の日には専用サイトができ、さらに次の日には50個ほど販売を実行してくれました」

このできごとは糸井氏の「ほぼ日刊イトイ新聞」でも取り上げられるなど反響を呼んだ。現在はこの配達サービスを行っていないが、この新たな出会いは、純一氏にSNSの大きな可能性を実感させることとなった。

Twitterが弁松にもたらしたもの

弁松のTwitterアカウントのフォロワーは約1年で2万人以上に到達した。何気なく始めたSNSは弁松に新たな風を吹かせ、コロナ禍という非常事態を乗り切るために欠かせないツールとなった。

「170周年で制作した記念の手ぬぐいをツイートしたら、大きな反響をいただき、グッズを販売したら即完売しました。その流れでECサイトも立ち上げることができました。弁松を知らない方がグッズを気に入り、その後弁当も購入してくれるなど、新たなお客の獲得にも貢献してくれました」

またあるときには大口注文がキャンセルとなり、フォロワー向けに総菜セットを販売した。本来マイナスだったはずが、当初の注文を上回る売り上げを出す結果となった。

さらにTwitterは弁松に新たな出会いをもたらす。

日本橋の絵葉書収集が純一氏の趣味の一つなのだが、ある1枚の絵葉書をツイートしたところ、日に流れて橋に行く(集英社)と同じシーンだとコメントをもらったのだ。

それは明治44年に行われた、今の日本橋の開橋式のもので、当日は小雨が降り、行き交う人々はみんな傘をさしていた。漫画にもこのシーンが登場していたのだ。

「普段少女漫画は読まないのですが、とてもおもしろかった。そのうち、日に流れて橋に行くのイベントが近くであるというので、弁松の資料などを持参してうかがったのです」

その日、作者の日高ショーコ氏に会うことはできなかったが、後日、関係者を通じて交流することとなる。そして3月25日に5巻が発売された際に、弁松といくつかの日本橋の老舗店がスタンプラリーという形で漫画とコラボレーションをするに至った。6巻の発売にはさらに大きな形で街を盛り上げるイベントを開催する計画も出ているそうだ。

「じっとしていたら、昨年は本当に悲惨なことになっていたと思います。コロナの影響で人とふれあうことが難しい世の中ですが、SNSを始めたことで、さまざまな交流を持つことができました。コロナウイルスの影響は予想外でしたが、このようなアクシデントがあったから、おもしろい出会いやアイデアが生まれました。この感覚は私が好きな旅と少し似ているのかもしれません」

自身のことを楽天的な経営者と語る純一氏。
これまでも何か困難が訪れるタイミングで、そのときにできること、そのときにしかできないこと選択し、それが後々の糧となったそうだ。

『何事もなんとかなる』の精神で、コロナ禍の今をまるで冒険するかのように楽しむ彼の姿勢から学べることは多いのではないだろうか。

<プロフィール>
樋口純一(ひぐち・じゅんいち)

1971年12月22日生まれ。1994年法学部法律学科卒。東京都出身。日本に現存する最古の折詰弁当専門店、弁松総本店の長男として生まれる。97年に急死した父・徹郎氏の跡を継ぎ、26歳で八代目に就任。2011年には江東区永代に新工場、13年に新本社を建設。先代・先々代のような販路拡大路線ではなく、これからの時代に合った本店回帰を目指し、従業員と共に新たな弁当の可能性と弁松のこれからの在り方を模索している。