我、プロとして

Vol.21 海野洋光 氏【前編】
海野建設株式会社 代表取締役(1986年工学部建築学科卒)

卒業生
2021年11月23日

『木』を中心に据えたビジネス

生まれ育った宮崎県日向市で父の建設会社を継いだ海野洋光氏。海野建設株式会社は注文住宅建設、公共事業の他に、さまざまな木材製品を生み出し、全国から高い注目を集めている。前編では宮崎県の杉を周知させるためのアイデアから多くの才能と出会い、木材の可能性を広げるまでの海野氏の歩みを見ていこう。

宮崎の杉

杉の生産量日本一の県をご存知の方はいるだろうか?

2020年、2位の秋田県の1.76倍、3位の大分県には倍以上の差をつけ、宮崎県が30年連続で生産量日本一となった。

宮崎県日向市にある海野建設が木材を中心としたビジネス展開を始めたのも26年ほど前のことだ。父から会社を受け継いだ海野洋光氏が社長に就任してから加速度を上げた。

多くの建設会社にとってビジネスの両輪となるのは、注文住宅建設と公共事業にある。しかし、その両輪だけで経営を成り立たせるのは年々難しくなり、特に地方にとっては死活問題になり得ると海野氏は考えた。

そこで注目したのが『建築』と『土木』という二つの単語に、『木』の文字が共通して使われているという点だ。

「簡単に言えば『建築=注文住宅』、『土木=公共事業』になります。素材である『木』を中心にした製品の開発を行えば、社員も機材も有効活用できますし、建設会社として生き残れるのではないかと思ったのです」

この考えに至った海野氏は、日向市にある「日向木の芽会」という木材のグループに入る。そしてしばらくして阪神・淡路大震災が起きた。

日向木の芽会について語る海野氏

日向木の芽会について語る海野氏

1995年1月17日。兵庫県淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の地震が発生。震源地から近い神戸市では至る所で火災が起き、家屋だけでなくビルや高速道路が倒壊、液状化現象も起こるなど、連日の報道では目を覆いたくなる光景が映し出されていた。

国内のみならず世界に衝撃を与えた大災害は6,434人の尊い命を奪い、日本人の防災意識を根底から覆すこととなる。

阪神・淡路大震災から間もなくして、ある大手建設会社がCM放送を開始する。多くの木造建築が倒壊する中、被害を免れた家がある。それを見た海野氏は目を疑ったという。

「その建設会社の建てたツーバイフォー工法の家はこの地震にも耐えて残っているとPRするCMでした。被災者は大きな傷を負ったままの時期でしたし、内容的に道理としてひどいなと僕は感じました」

家を作る工法は二つある。ツーバイフォー工法は床や壁などの面で建物を支える面構造で、在来工法は柱や梁、筋交いなどを使用した日本古来の工法であり、端的には大工が建てる家のことを指す。

このCMは各方面で大きな反響を呼んだ。そして木材を扱う会社関係者は「もう商売ができない」という危機感を持つことになる。

当然宮崎県も例外ではなく、日向木の芽会は対抗策として在来工法をPRするためのCMを制作した。大手広告代理店が製作したCMに太刀打ちするのは難しいと海野氏はこの手段に異を唱えたが、彼の意見は無視されてしまう。

結果的に数年にわたってこのCMは流されることになるのだが、期待した成果を上げることはできなかった。

消費者との距離

日向木の芽会で地道な活動を続け、ようやく周囲の人間が海野氏の意見に聞く耳を持つようになったのは、阪神・淡路大震災から7年ほど経ったときだ。まず海野氏が着手したのは宮崎県の杉を全国にPRすることだった。

当時から杉の生産量日本一というのは宮崎県の誇りだった。宮崎県民は当然全国的に周知の事実であると考えていたが、建築系の雑誌編集者ですら知る者はいないのが実情だった。そこで、海野氏は宮崎の杉を使用したデザインコンペ『杉コレクション』を企画する。

審査委員長に建築家の内藤廣氏を招き、グランプリを獲得した作品を宮崎県木材青壮年会連合会が実物大に製作するというコンペで、第一回グランプリ作品「ナミキの椅子(狩野新氏)」は現在でも日向市駅舎に置かれている。

杉コレクションは2004年から2013年まで計10回開催され、日本国内のみならず、海外からも応募があるなど、いつしか若手デザイナーの登竜門となった。そしてこの独創的なコンペから輪は広がり、新たに「日本全国スギダラケ倶楽部」が発足されることになる。

「スギダラ(日本全国スギダラケ倶楽部)はインターネット上でメンバーを募集し、現在の会員数は3,000人ほどです。ここでは、日本全国の杉を見るツアーなどのイベントを行い、宮崎の杉について発信をしています」

杉コレクションで、木材とデザインを融合させたことで、木材生産者と消費者との距離は近づいた。これはCM制作当初に考えていた在来工法のPR以上の成果を生んだと言えるだろう。そして現在では全国各地にスギダラのような活動をする会があるという。

杉がもたらした出会い

杉コレクションとスギダラの成功はいくつかの大きな変化を生む。その一つは法律で、現在の公共事業には木材の使用が義務付けられている。

そして海野氏にとってうれしい変化は、建築家やデザイナーが積極的に木材を使用し、使用方法を産地に確認するようになったことだ。

「杉には秋田、吉野、四国など、いろいろな産地があり、その土地によって特徴があります。ですから使用方法を産地に確認することは必要なことであると僕は考えていますし、その後は誤った管理や使用方法で木材をダメにされることは格段に少なくなりました」

ダメになるというのは、木が腐るということだ。

有機物である木材は水に濡れれば当然腐敗する。もちろん各企業は知恵を絞り、加工をするが、それでも腐敗を防ぐことは難しく、この問題は木材を扱う者にとって長年悩みの種であった。しかし、海野氏はこの難問を見事にクリアしてみせた。

四国にミロク製作所という猟銃を製造する会社があり、その猟銃メーカーの技術は濡れても腐らないことを知った。海野氏はその技術を応用し、腐らない杉、「弥良来杉(ミラクル杉)」の商品化に成功したのだ。

「現在はミロクという社名になり、この技術は弥良来杉にのみ使用されています。ミロクさんのおかげで他の産地との差別化に成功し、現在では全国各地に出荷される商品になりました。弥良来杉はデザインと杉の可能性を大きく飛躍させたのです」

その後も海野氏は新しい杉製品の開発に取り組み、さまざまな業界から注目を集めるのだが、それについては後編で紹介をする。

次回、中編では海野氏の学生時代にフォーカスしよう。

<プロフィール>
海野洋光(うみの・ひろみつ)

1963年4月21日生まれ。1986年工学部建築学科卒。宮崎県出身。
本学卒業後、青年海外協力隊としてザンビア工科大学建設学部専任講師。帰国後、6年間の工務店勤務、海野建設の専務取締役を経て代表取締役に就任。木材製品の開発に努め、弥良来杉、木製鳥居、スクエアパネル工法などで注目を集める。2014年軽トラ屋台でグッドデザイン賞と中小企業庁長官賞を受賞。建築・土木一級施工管理技士。

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