スポーツを支える人々
~ネクスト・キャリア・フロンティア~

Vol.4 折茂 武彦 氏【後編】
株式会社レバンガ北海道 代表取締役社長(経済学部経済学科卒)

卒業生
2020年09月18日

私たちの仕事は、世の中を笑顔にすること

プロバスケットボール選手として北海道でのキャリアをスタートさせた折茂さん。だがその歩みの先には大きな困難が待ち構えていた。しかしどんな状況でも気持ちをポジティブに保ち、それを乗り越えた。年齢は関係ない。自分ができることを常に全力で。今、見据える先はバスケットボール界の明るい未来だ。

運営会社の破たん
選手兼代表として再スタート

国内トップリーグで日本出身選手通算最多得点記録を誇る折茂選手

社長ながらアリーナに立てばひとりの選手。国内トップリーグで日本出身選手通算最多得点記録を誇る。

北海道でスタートさせたプロ生活は充実していた。新規に立ち上げられたチームは成長を続け、メディアでは野球、サッカーと同じように取り上げられる。ファンもどんどん増えていった。やりがいのある毎日だった。

しかし2010年、大きな出来事が起きる。チームの運営会社が多額の負債を抱え、経営難に陥っていることが発覚。紆余曲折を経て2011年に入りリーグは運営会社の除名を決め、チームは存続の危機に直面した。新たな受け入れ先企業を探すも、さなかに東日本大震災が発生した影響もあり、なかなか見つからなかった。

チームがなくなるかもしれない。その状況で折茂さんは大きな決断をする。チームを運営する一般社団法人を設立し、自ら代表の座に就いたのである。

「バスケットボールのプロチームはやっぱりダメだと言われたくなかった。何より多くの方に応援していただいている中、北海道のバスケットボールを逆戻りさせたくなかったんです。私はそれまで経営については何も知りませんでした。しかしここでチームがなくなるのは北海道のためにも、バスケットボールのためにも良くない。そう思い、後先考えずに行動してしまいました」

今でこそ笑って話すが、新チーム「レバンガ北海道」の設立当初は私財を投じて運営費や人件費を賄っただけでなく、負債も多く抱えた。しかし「ネガティブになっては何も解決しない」との思いで、選手としてコートに立ち続けながらフロント業務に邁進した。チームを存続させたい。折茂さんを動かしたのはその一念だけだった。2年後に一般社団法人から株式会社に運営権を移譲。株式会社の代表取締役として自身が責任を背負うことで、様々な決定をスピード感をもって推し進められるようになり、少しずつ光明が見え始めた。

経営の健全化にも着手
債務超過も改善

そしてここでも人のつながりが折茂さんを助けた。現在、代表取締役CEOを務める横田陽氏にサポートを依頼。横田氏がスタッフとして加わり、経営は好転し始める。スポンサー獲得のために道内各地を足繁く回った末、多くの企業がレバンガ北海道の理念に賛同。支援してくれる企業も着々と増えた。

「代表として全ての責任を背負うことで当然苦労はありました。経営に携わる以上、数字がすべて。今までのように自分だけの力ではどうにもなりません。ただ全部を背負ったからこそ、頑張れたとも言えます。また人に助けられました。人の思いやつながりがあったからこそ、チームは生き残れたのです」

2016年のBリーグ発足も追い風となった。選手としてチームを高みに導き、経営面では健全化を図る。チケット販売の拡充、スポンサーの獲得だけでなく徹底的なコスト削減にも踏み切った。努力の甲斐もあり2018年には債務超過も解消。今ではレバンガ北海道は経営面でも優秀な成績を残すクラブとなっている。

勝ち負け以上の価値を提供
バスケットボールをもっとメジャーに

華々しく開幕したBリーグは日本のバスケットボールを変えた。一歩、アリーナに足を踏み入れれば、そこはエンターテインメント性に溢れる非日常的な空間。バスケットボールに詳しい人はもちろん、初めて観る人でも楽しめる。人気は今も拡大中だ。

2019年、折茂さんは49歳で引退を発表した。かつて日本の実業団バスケットボールが「日本リーグ」と呼ばれていた時代から「Bリーグ」までプレーした選手は折茂さんただひとり。これからはその経験を伝えていくつもりだ。

ずっと持ちつづけている夢がある。それは「バスケットボールをメジャースポーツにしたい」という思い。実業団時代、チームが日本一になってもスポーツニュースで流れるのは10秒程度。日本代表になっても街で声をかけられる場面はなかった。当時の意識は「勝つこと」のみにあり、その先にバスケットボールの人気拡大があると思っていた。しかし今は違う。

「勝ち負けだけにこだわっていた自分が北海道に来て学んだのは、それがすべてではないという事実です。スポーツですから当然、勝利を目指しますし、それでファンの皆さんに笑顔になってもらうのが一番いいのは間違いありません。しかし負ける日もあります。その時に来ていただいたお客さんに何を与えられるのかが大切だと思うのです。全力を尽くし、喜んでいただく。また応援したいと言っていただけるような戦いを見せる。そこに価値があると思っています。私たちの仕事はバスケットを通じ、世の中を笑顔にすることなのです」

道内ではレバンガ北海道の知名度は高く、プロ野球の北海道日本ハムファイターズやJリーグの北海道コンサドーレ札幌とも肩を並べる。ただ全国的にはまだバスケット人気の低い地域も多い。そこも何とかしたいと折茂さんは考える。それもあり2020年7月にはBリーグナビゲーターに就任。今後はレバンガ北海道だけではなくBリーグの普及・発展に向けた広報活動にも取り組んでいく。そして他にもやりたいことが山積みだ。

「若い選手の育成強化も課題です。私自身、日本代表としてプレーした時に世界のレベルの高さを痛感しました。プロリーグができたことで確実に日本人選手のレベルは上がっていますが、まだ世界との差があります。時間はかかるでしょう。しかし時間をかけてもいいので、確実に世界に追いつく強化が必要です。そこでも力になれればと思っています」

「まだ始まったばかりなんですよ」レジェンドはそう言って笑う。折茂さんだけが見てきた風景、折茂さんだけが感じてきたことがある。これから新しい時代を作りたいと意欲を見せる。

選手の肩書は外れたが、より一層忙しくなるに違いない。しかし折茂さんは変わらず走り続けるだろう。この国のバスケットボールの未来のために。

<プロフィール>
折茂武彦(おりも・たけひこ)

1970年(昭和45年)5月14日、埼玉県出身。
中学校でバスケットボールを始め、埼玉栄高校に進学。日本大学経済学部経済学科に進み、4年時には全日本大学バスケットボール選手権(通称インターカレッジ、インカレ)で優勝を果たす。
卒業後の1993年、トヨタ自動車に入社。同年日本代表入りを果たし、広島アジア大会や1998年世界選手権など、国際大会を数多く経験した。
2007年にレラカムイ北海道へ移籍、2011年にレバンガ北海道を創設し、選手兼代表を昨年まで務めた。2020年の引退後も代表取締役社長としてクラブを経営しながら「Bリーグナビゲーター」も務めている。