スポーツを支える人々
~ネクスト・キャリア・フロンティア~

Vol.5 八田盛茂 氏【前編】
北海道マラソン組織委員会大会長(農獣医学部[現・生物資源科学部]食品ビジネス学科卒)

卒業生
2020年11月20日

2020東京五輪マラソン・競歩を成功させ、2030年を目指す冬季五輪札幌大会へと 弾みをつけたい

今から約1年前の2019年10月16日、オリンピックの主催団体である国際オリンピック委員会(IOC)は、2020東京オリンピックのマラソン(以下、東京五輪マラソン)と競歩の会場を、札幌に移す案を発表した。北海道陸上競技協会(道陸協)会長でもある八田氏も「最初は耳を疑った」。道陸協だけでなく北海道マラソンの大会組織委員会大会長も兼ねる八田氏だけに、その役割は大きい。本職は北海道議会議員(4期目)にして、本学校友会小樽支部支部長も担う。昨年は自民党北海道支部連合幹事長にも就任した。「物事を決めるのは政治の世界」と幼少期から想い続けた政界に身を投じて早17年。党道連内の人気も高く、次期参院選候補者にも推挙の報も。地元・小樽と北海道をこよなく愛し、「スポーツを通じた地域活性化」を唱える元中距離ランナーの走りは、真っ直ぐと力強い。

大人気漫画「ゴールデンカムイ」の舞台にも

「明治末期 港湾都市として発展し『北のウォール街』と呼ばれる金融都市であった小樽
北海道一の商業都市であったが街のすぐ背後には豊かで広大な森と山が広がっており…」

明治末期の北海道を舞台にした大人気漫画「ゴールデンカムイ」(1~23巻連載中=累計発行1,400万部)の序盤に登場する小樽は、この第3話の出だしにもあるように、明治末期から北海道一の銀行街だったそうだ。

元々は、北海道中の石炭を積み出す港として栄え、鰊(にしん)漁も盛んで、江戸末期から明治に掛けては、日本一の漁獲高を誇り、あちらこちらに“鰊御殿”が立ち並ぶほどだったという。

そして、何より、ロシアを始めとする海外との貿易港としての役割が大きく、併せて為替・保険などの必要性から、金融機関が次々に支店を設けた。

「この建物は日銀(正式名称は日本銀行小樽派出所)でね。今は資料館になってるんですよ」

小樽の街を見下ろす天狗山

小樽の街を見下ろす天狗山は標高532.5m。年間通じて展望台や冬はスキー場として賑わう

インタビューが終わり、写真撮影の段で、「せっかくだから」と、小樽運河を望む撮影スポットとして有名な浅草橋街園で撮らせてもらった帰り道、今回の“スポーツを支える人”八田盛茂さんは、嬉しそうに話してくれた。

「この先に天狗山って山があって、昔はそこに20mくらいのジャンプ台があってね。よく遅くなるまでジャンプして、そのまま家まで滑って帰ってましたよ(笑)」

港町にして、山もすぐそこに拡がる、小樽。“山坂の街”とも呼ばれる所以だ。

八田さんが物心ついてから、ずっと住み続けている、こよなく愛する街、小樽。小さい頃からその山坂とスキーで鍛えられた八田さんの足腰は自然と強くなり、運動会でも先ず負けたことが無かったそうだ。

好きだったのは「走ること」と「政治の世界」

地元の中学に入っても、陸上競技部に入部して、短い距離から長い距離まで、何でもやった。

「とにかく不思議と走るのが好きだったんですよね」

一方で、同じく小さい頃から、政治の世界にも興味があった。

聞くと、理由は明快だ。

「私の大学時代に、政治好きの父親が市議会議員に当選してね。当選するや6期の任を果たして、最後は議長までやった」

幼稚園の時から後援会を手伝っていた父に付いて回り、選挙事務所で大人たちに交じって育った盛茂少年が、政治の世界を身近に感じて“いつか自分もなる”と自然と思えたのも、納得できる。

ましてや、血は争えない。

母方の祖父が村議会議長、伯父が村長、父方の祖父も村会議員、伯父も村長と、小さな村とはいえ、家系の男たちが村の大事を話すのが八田家の日常だった。

しかし、単に人の上に立つことに憧れた訳では無かった。

「昔から学級委員長とか生徒会長とかが嫌いでね、一度もやった事は無い(笑)。スポーツも陸上で個人競技。元来、我が道を行くタイプだった」

自分が好きな事を精一杯やる。陸上も政治も、八田さんには同じだった。

「好きこそ物の上手なれ」

大学進学となった時に、叔父が要職に就いていた、道内でも有数の優良企業であった「ホクレン」に入りたくて、そのための勉強をしようと、本学農獣医学部(現・生物資源科学部)食品ビジネス学科に進んだ。

そこでも好きだった陸上競技を部活に入って続けると、初めて自分の適性を見抜いて言ってくれる教師がいた。

「体育の稲垣治之先生が、僕の走りを見て『お前は、中距離向きだ』と言って、それから400mと800mに絞りました」

2年生時には、大阪・長居陸上競技場で行われた全日本医歯薬獣医大学対抗で、400mの全国6位に入賞した。

「レースではね、中盤までは真ん中ぐらいにいて、残り80mでスパートするんですよ!その駆け引きが面白かった」

懐かしそうに、熱の籠った語りの中にも、“好きな事を続けていれば、いつか結果もついて来る”

そんな、太い樹の幹のような信念が、八田さんの言葉には込められている気がした。

「キャンパスは藤沢に1年、三軒茶屋に3年通って、本当に楽しい大学生活でしたね」

その後、故郷に帰った八田さん。この時は、まさか自分が北海道の陸上競技団体のトップに立ち、世紀の大イベントの成功を担う立場になるとは、思いもよらなかったに違いない。

<プロフィール>
八田盛茂(はった・もりしげ)

1956年(昭和31年)12月27日、北海道虻田郡真狩村生まれ。3歳で小樽に移住。
幼少期からスキーが得意で中学、高校(余市高等学校)では陸上部に。大学は本学農獣医学部食品ビジネス学科に進学。
1970年、大学卒業後、地元名士の勧めを受け、国家公務員資格を取得し、郵政職員となる。1995年には特定郵便局長となり、10年間勤め上げ、退職。2年の充電期間を経て、市議会議員から最後は議長まで務めた父の背中を追うように、自身は北海道議会議員に立候補し、初当選。以来、現在で4期目。
自民党北海道支部連合幹事長、北海道陸上競技協会会長、北海道マラソン組織委員会大会長ほか兼任。