Vol.11 熊谷公男 氏【後編】
株式会社カネダイ 水産食品部直販事業 事業長(1990年法学部経営学科卒)
ロゴ、デザインにもこだわった店舗。試食の香りで足が止まる
2011年に「かに物語」をスタートさせた熊谷氏。困難な状況の中で立ち上がる強さの源流には、父の背中と自身のマインドがあった。
高校、そして大学卒業後からカネダイ入社まで遡り紐解く。
気仙沼高校に進学するもゴルフがなかった。
そこで「私一人でゴルフ部をつくり、東北ジュニア大会に申し込んでいました」
当時から誰もやっていないことに挑戦し、前進していた。その原点は父・明さんの影響だった。
「事業を興す、の根本はカネダイの役員をしていた父です」
父・明さんは、カネダイに残る事業を一つ確立。気仙沼魚市場でカネダイの看板で問屋業を事業化した。
「気仙沼がカツオの水揚げ日本一のなっているうちの6割はカネダイが問屋をしています。それを誘致したのが父でした」
「廻来船問屋」と呼ばれ、全国の船を気仙沼に誘致して気仙沼魚市場で水揚げされた金額の二分五厘(2.5%)を取る。さらに水揚げのお手伝いや、出航の間に燃料や食事の提供、病院の手配をして二分もらい、気仙沼魚市場を盛り上げた。
本学を志した理由の一つは、「日本大学ゴルフ部」への憧れだった。
「川岸良兼さんが私の1学年上で、二つ下に丸山茂樹さんがいる、そんな時代でした」
気仙沼の同世代では珍しく幼い頃からゴルフをしていた熊谷氏。気仙沼高校を卒業すると本学法学部経営学科に進んだ。結果的には法学部のゴルフ部に入って、競技を続けた。
学校の友人、そして部活では他大学にも知り合いができた。
いまも交流があり、震災時も励ましの連絡や応援をもらう。東京に出てくると店先で購入やSNSで発信して応援してくれる。
「大学に入って良かったのはいろんな人と交流でき、ご縁ができたことです」
縁に恵まれた。
震災直後の2011年11月に出来た気仙沼復興屋台村。その立ち上げをした一般社団法人復興支援機構の代表理事で日大ラグビー部出身の石川敏氏もその一人。
「気仙沼高校のOBですので先輩でもあり、東京でいろんなところを紹介してくださいました」
復興屋台村には宮城県、全国、世界からいろんな人が支援に訪れた。
普段は会えないような人と交流し、ブランディングや商品について一晩中飲み明かした。
「縁は財産ですね。私もそういったご縁で入ってきている中で、カネダイの中でモノをつくりたいという思いはあった」
「かに物語」は人と人を繋ぎ、ストーリーを生んだ。
小さい頃から会社の経営に興味があり、
「いつか、自分で会社を興して盛り立てていこう」と、自分で物事を立ち上げたい、という気持ちがあった熊谷氏。
「父もカネダイにいましたので、今の社長と話して、東京のアパレルベンチャー企業で3年、東都水産で2年間修業して、1995年に気仙沼に戻ってカネダイ入りました」
アパレルにいた頃は主に百貨店を回っていた。伊勢丹・三越を営業で回っていた経験が今に活きる。
カネダイに入社後はずっと営業。震災の3年ほど前から経営企画の部署で経営のサポートを学び、「かに物語」の直販事業を立ち上げた。
「かに物語」の商品。干し蟹(左)と人気のビスク(右)
熊谷氏が「かに物語」を立ち上げた際に、他の蟹との差別化と日本人に定着させるためにはどうしたらいいのかを考えた。
日本では、かに酢で食べる蟹、お正月や旅行先で食べる蟹が一般的。
海外では溶かしバターで蟹を食べる文化があった。
「日本のかに文化は音楽で言うと『演歌』、溶かしバターで食べる海外は『POP』のイメージ。明るく食べてもらいたいと商品を考えました」
若い方たちが気軽に食べてもらえるような値段設定を考え、商品も洋テイストに持っていった。
「一番、食に興味があり、金銭的に余裕があり情報の発信力があるのはどの年齢層かと考えた結果、F2層と呼ばれる40代前後の女性をターゲットに持っていき商品開発をしていこうと決めました」
実際販売していく中で、日本人の蟹好きな傾向から、むき身は単価が高いのでターゲットイメージより上の60代女性に多く購入。スープなどはターゲット通りの層が購入してくれることが分かった。
立ち上げ当初は復興屋台村で販売し、設定したターゲット通りの購入者も多かったが、何年か経つと足が遠のいた。
震災復興で少しの間だけフューチャーさればいい、とは思っていなかった熊谷氏。
東京の百貨店へ進出していった。
百貨店の催事は短期間で大勢の人の声を聞けるメリットがあった。
銀座三越、日本橋三越、新宿伊勢丹の三つを限定して回り、店先や百貨店のバイヤーの方々の意見を聞いて商品を改良していく。
百貨店の催事で「かに物語」のパンフレットを配り、そこにはネットへ誘導できる入り口を設け、無地だった包装も改良。
Ready to Eat を意識して、湯煎だけではなく凍った状態でレンジでの解凍に対応して、3分で食べられるような工夫もした。
自身も百貨店の店先に立ち「かに物語」の前で滞留してもらえるよう「紙芝居」で説明した。
「まず、かにの身を食べていただきます。そしてかにの説明をします。(1~2分)
次に一番の人気商品であるビスクを飲んでもらいますと、美味しさに驚いていただけます。
最後に干し蟹を食べていただき出汁の説明をします。
すると、説明を嫌がらなければ6、7分留まることで人だかりになります」
直接消費者と向き合う試食の大事さを痛感した。
店先では紙芝居を使い、まるずわいがにを説明する
まだまだ道半ば、と言う熊谷氏。
催事の担当者ができ、自身は催事を大きくするマネジメントに力をいれる。
今後は、売上規模が3倍くらいにはなると考えている。
そのために「かに物語」のブランドをさらにブラッシュアップしていくのが一つ、と先を見据えている。
加えて、「かに物語」ではない次の六次化できる原材料を「かに物語」で培った仕組みを活用していきたいと構想を膨らませている。
「第二の『かに物語』をつくれたら面白いと考えています」
人の縁、父の背中、自身の試行錯誤で紡がれた物語。
決して短編では終わらない、新たなページが気仙沼から始まっている。
JR気仙沼駅。鉄道と、線路敷を活用したBRTが乗り入れる
<プロフィール>
熊谷公男(くまがい・きみお)
1967年5月9日、宮城県気仙沼市生まれ。1990年法学部経営学科卒。
本学卒業後、アパレル、ベンチャー企業に3年間勤め、その後2年間の築地・荷受け会社での修行を経て95年にカネダイ入社。
営業、経営企画の部署を経て「かに物語」のブランドを立ち上げる。現在は事業長。
気仙沼高校ではゴルフ部を立ち上げ、大学では法学部のゴルフ部に所属した。