我、プロとして

Vol.14 岩崎伸道 氏【後編】
株式会社レイクヴィラファーム 代表取締役(1971年経済学部産業経営学科卒)

卒業生
2021年06月01日

一頭一頭への思い出 感謝とこれから

東京生まれ東京育ち、馬との出会いも東京の岩崎氏。馬とのつながり、北の地に根を張った感謝の半世紀を伺う。

サラリーマン、そして北の地へ

4月中旬でも残雪がある洞爺湖町。

4月中旬でも残雪がある洞爺湖町。例年、積雪は1mを超す

大学卒業後、東京で営業職のサラリーマンをしていた。
しかし、「つまらなく1年で辞めました。そこで北海道にいこうと決めました」

その頃の競馬はまだマイナーで、競馬新聞を電車内で読めない時代。
我慢してサラリーマンをやったが面白くない日々で芽生えた「北海道に行って馬に乗りたい」という強い思い。
親兄弟、周囲の反対を押し切り、大学卒業後の翌年にあたる1972年の夏に北海道の地を踏んだ。

メジロ牧場はその時、伊達町(現在の伊達市)の牧場が完成し、洞爺の牧場をつくり始めたころだった。
「毎日が楽しかった。午前中は馬に乗り、午後は土方、夜は事務仕事して温泉へ飲みにいき充実していました」

北海道へ移り半世紀。
「一度として後悔はない。北海道の雄大さ、そこで馬に乗る爽やかさ、東京では味わえません」と岩崎氏は言い切る。

本学馬術部とメジロ牧場の橋渡しから始まり、サラリーマンを経験。牧場で働く日々は転職ではなく天職となった。

「本当の強さは、誰も知らない」

一番献花が多いメジロライアン。写真、馬具とともに飾られている

一番献花が多いメジロライアン。写真、馬具とともに飾られている

岩崎氏は思い出が深い馬を二頭挙げた。

メジロライアン
メジロラモーヌ

記録よりも記憶に残る名馬・メジロライアン。
1990年クラシック3冠レースは、皐月賞は2番人気で3着、ダービーは1番人気で2着、菊花賞も1番人気で3着。続く12月の有馬記念でも2着となり有力視されながら、あと一歩という戦いが続いた。
そして迎えた1991年6月の宝塚記念、ついに歓喜の瞬間が訪れる。

同胞・メジロマックイーンに次ぐ2番人気。第3コーナーを抜けると一気にペースを上げて直線入り口で先頭に。そのままゴールまで駆け抜け、追い上げてきたメジロマックイーンに1馬身半差を付けて勝利した。

念願のGⅠ制覇を果たした。

「(メジロ)ライアンは自分たちの生産馬で愛着がありました。ことごとく悔しい思いをしたから、宝塚記念でやっと勝った時には本当にうれしかった」

華麗な馬体と期待されながら惜敗が続いた走りに、女性ファンが多いライアン。宝塚記念を境に故障に悩み1992年に引退となった。
日本中央競馬会(JRA)が制作するポスターを飾ったライアンのキャッチフレーズは「本当の強さは誰も知らない」だった。

2冠目となった東京優駿(オークス)

2冠目となった東京優駿(オークス)

もう一頭は、メジロ牧場にはじめてのクラッシックをもたらしたメジロラモーヌ。1986年の桜花賞、単勝オッズ1.6倍の本命で見事1着で駆け抜けた。

「一番人気の馬が勝つのは大変なことです。勝った瞬間の嬉しさは、これがクラシックかと勝つ重みが違いました」

それだけではなく、メジロラモーヌはトライアル(主要レースの予選競争)、本番(桜花賞、オークス、エリザベス女王杯)で6連勝。“完全三冠馬”と呼ばれ、いまだ破られていない偉業を達成した。

功労馬への労い

牧場の一角に功労馬のお墓がある。一時代を築いた馬たちに対する感謝の証だ。

メジロ牧場を閉めると決まった時に、お墓をどうするかを一番悩んだ。
荒れ放題になると、ファンの方も落胆するだろうと、近くに住んでお墓を守ろうと思っていた岩崎氏。
お世話になった北野豊吉氏、ミヤさんへの恩返しとして最後まで守り抜くのが仕事だと思っていた。
結果的に、レイクヴィラファームとして再出発することで、恩を返す日々を送る。

「有難いことに(牧場を)続けられて、感謝しています」

お世話になった人だけではなく、牧場を支えた功労馬への感謝も忘れない。

目標と馬を通して得たもの

岩崎氏が音を鳴らすと馬たちが親しげに寄ってくる

岩崎氏が音を鳴らすと馬たちが親しげに寄ってくる

レイクヴィラファームとして10年。

次に目指すのは「未勝利馬を減らすことが一番大事。買っていただいた馬が新馬戦でも一つ勝つ」ことだ。

マーケットブリーダーは、生産馬を買ってくれる馬主さんに支持されて成り立つ。未勝利馬を一頭でも減らし、生産した馬が一回は全頭勝つことを目標にしている。

最後に、馬との出会いで得たものを「人とのつながり」と表す岩崎氏。

「馬を通すと人間関係がとても広がります。競走馬一頭が走るだけで、知り合いが増える、人と人を繋げる役目を持っている感じます」

高校大学で明け暮れた馬術部での日々が人間関係を広げ、恩師のもとで人として大きくなり、一頭の競走馬を通して色んな出会いに恵まれた。

「馬は人と人を繋ぐものすごい力があります。馬の持っている力は無限にあると思います」

常に周囲の人、そして馬への感謝の言葉を口にする岩崎氏。
オーナーからマーケットにシフトしたレイクヴィラファームは、本当の強さを馬主に委ね、巣立った我が子が全国のターフを駆ける姿を見守り続ける。

<プロフィール>
岩崎伸道(いわさき・のぶみち)

1948年11月4日、東京都生まれの72歳。経済学部産業経営学科卒。
日大櫻丘高で馬術競技に出会い、大学でも競技を続ける。東京で就職したが、1年で北海道に渡りメジロ牧場で働く。
現在は85haの敷地を有するレイクヴィラファームを経営し、生産馬がレースに出る週末は競馬場で馬主さんと声援を送る。