【研究者紹介】
戦後に生まれた異文化コミュニケーション研究

国際関係学部 小川 直人 教授

研究
2020年12月15日

多文化共生社会の実現を目指す。
絶好の機会だった台湾での現地調査

小川直人教授が取り組む異文化コミュニケーション研究はコミュニケーション学において、戦後の異文化関係を模索する中で生み出された新しい領域である。本学の国際関係学部を卒業後も、米国のカリフォルニア州立大学やオクラホマ大学の大学院に学問の先達を求めて留学し、研究を重ねた。

その調査手法は文化人類学や社会学、心理学などが重なり、統計的な計量分析に加えて観察やインタビューも同時に行うという検証方法である。

そんな教授に絶好の機会となったのが、本学の海外派遣研究員(長期)プログラム。海外に教員を1年間派遣する制度で、小川教授の場合は2年前、台湾大学の人文社会科学発展センターで研究をすることになった。

もともと留学先の米大学で知り合った夫人が台湾出身だったことから、20年ほど行き来していた台湾。そこではインドネシアやベトナムなど東南アジア出身の働き手が予想以上に目立った。その実態を探るため、腰を据えて調査して歩く好機が与えられたのである。

台湾独特の歩み寄り

国際関係学部 小川 直人 教授

国際関係学部 小川直人 教授

教授の調査は、休日になると多くの東南アジア出身者でごった返す台北駅構内の大ホールを皮切りに、台湾各地の異文化コミュニティーに及んだ。

そこでまず分かったことは、同じ場所であっても違う国と思えるほどに平日と休日の風景が異なり、また自国での宗教的な規律や親族の目などから解放され、台湾にある自由を謳歌している様子であった。

そればかりか、当初は異文化的振る舞いに当惑していた地元住民が次第に歩み寄り、一緒に過ごすのが当たり前の風景になったから驚きだ。

これには台湾独特の事情もある。もともと住んでいた原住民に福建省からの華人が混じり、さらにはオランダや清朝、そして日本などによる統治を経てきた複雑な異文化経験が、南国特有のおおらかな台湾人気質に投影していると分析する。

東南アジアからの出稼ぎ者は貧しく、地元の若者が敬遠しがちな仕事を担っていることを地域住民の多くが理解する一方、東南アジアからの多くも地域のルールに素直に従う。

その結果の互いの歩み寄りというわけである。

日本の将来図描く

台北でゼミ生らと一緒に

台北でゼミ生らと一緒に

小川教授はそこに多文化共生の可能性を見いだし、日本の将来図を描く。

日本に住む外国人労働者は160万人以上で、引き続き増加する見通しだ。一方の台湾は九州ほどの大きさで2300 万人の人口の中に、外国人が約70万人。そこでうまく機能する異文化コミュニケーションが、台湾に着目する理由となった。

教授は静岡県立大学講師の時、同県の依頼で西部地域の小学校に受け入れたブラジル人児童の課題と対策を調査。福岡国際大学では、中国へ進出した日系企業における異文化コミュニケーションの現状を調査するために、上海や広州を駆け回った。

現場で痛感したのが、多文化共生の考え方だという。翻って日本人自体の価値観の多様化も、情報の豊富さに包まれてますます進行する。そこに外国人労働者の拡大という輪が加わった。

とはいえ個性の尊重の掛け声とは裏腹に、閉鎖的な社会はなかなか開放が進まない。

小川教授は「研究を多文化共生社会の実現に役立てたい」と語って、次は日本でとばかりに、ゼミ生らによる三島市と沼津市でのフィールド調査を計画した。

そこに予想外のコロナ禍の到来――。三島キャンパスには、インドの提携校であるゴア大学から、学生が11カ月ほど滞在してゼミ生らと議論してきたが、頓座した。これまでは海外ゼミとして台湾を5日間訪問し、その中で淡江大学の学生と共同で授業を行ってきたが、これも見合わせたままである。

今年度は異文化コミュニケーション論などで1700人ほどの学生を抱えて、常に忙しい小川教授。ただし対面授業でのゼミがようやく再開し、オンライン対応との混合だが、事態は徐々に明るくなってきた。
本格的な活動もこれからである。

国際関係学部
小川 直人(おがわ・なおと)教授

1995年本学国際関係学部卒。99年米カリフォルニア州立大大学院修士課程、米オクラホマ大大学院博士課程修了。2006年静岡県立大非常勤講師、10年福岡国際大専任講師。同准教授を経て、14年本学国際関係学部准教授。20年から教授。
日本比較生活文化学会、日本コミュニケーション学会など所属。東京都出身。