日本大学×日大豊山
“桜”のプールから、世界へはばたけ!

~第1回・日大豊山水泳部の伝統~

スポーツ
2019年12月09日
日本大学豊山高等学校水泳部の画像

令和元年、日本大学豊山高等学校水泳部はインターハイの男子総合において3年連続10回目の優勝を果たした。

それに触発されたのか、日本大学水泳部もインカレの男子総合で12年ぶりに37度目の優勝を飾った。2位に大差をつけての覇権奪還は「水の覇者」復活を大きく印象付け、その中心には豊山高出身の吉田惇哉、関海哉、吉田啓祐がいたことも特筆すべきことだろう。

昭和38年にインターハイで初優勝してから半世紀以上の長きに渡り日本高校水泳界のトップに君臨する日大豊山水泳部。その強さの秘密を探るため、井上敦雄元監督、上野広治元監督(現・日本大学水泳部監督)、竹村知洋監督に迫った。
(※全3回に分けてお送りいたします。)

豊山高水泳部の礎

——本日はお集まりいただきありがとうございます。みなさんも豊山高のご出身ですが、豊山高に入られた当時について、それぞれ教えてください。

井上敦雄元監督の画像

井上敦雄元監督

井上:私が入学したのは、ちょうど都内で有望な選手を勧誘し始めた頃です。高校2年で都大会初優勝、高校3年で関東大会初優勝、インターハイ4位入賞を果たしました。高校2年のときに井上隆氏がコーチに就任し、その教えが現在の豊山の強さの礎になったと言えるでしょう。

上野:私の入学時は、ここにおられる井上敦雄先生が監督を務められていました。そして私はしばらくして目の怪我から、泳げなくなりました。それからはマネージャーとして部に在籍し、私の在学中は高校1・2年時にインターハイ3位、3年時に2位という総合成績でした。

井上:上野は全国でも指折りの名マネージャーでしたね。

上野:井上先生の指導のおかげです。ありがとうございます(笑)。

竹村:私のときは井上先生が監督、上野先生がコーチをされていました。中学の時にあまり練習をしていなかったので、その厳しさにカルチャーショックがありましたね。

上野:こっちも竹村の入寮のときは驚いて、井上先生に報告したよ(笑)。

井上:竹村が抱えきれないほどの本を持ってきた話だね。上野が「今までたくさん合宿所に来たけど、こんな生徒は初めてです!」ってね(笑)。竹村はそれぐらいしっかりした男でね、後に監督になったのは豊山にとって非常にプラスになりましたよ。

竹村:(笑)。

——井上先生から上野先生、そして竹村先生へしっかりとバトンが受け継がれてきたということですね。
井上隆コーチが礎を築かれたということでしたが、どのような方だったのでしょうか?

井上:当時の水泳指導者というのは、きれいとは言えないジャージにサンダルというような恰好の方が多かったのですが、井上隆コーチはオシャレな方でね、とにかくかっこいいんですよ。雰囲気も他とは違い、高校生にとってはとにかく魅力的だったし、話術に長けていて、話をすると安心したのをよく覚えています。そういうこともあって育成についても独特のものを持っていました。それで結果が出たのもあって、全国から選手を集めるようになって、井上コーチ就任から5年目にインターハイ初優勝を果たすことになります。

——井上コーチはどんな指導をされていたのでしょう?

井上:簡単に言えば「とにかく泳げ」ということですね。しかも授業中は寝て体を休めとおっしゃっていました(笑)。でもそれは井上コーチのただ1つの失敗でしたね。真に受けた選手たちは生活態度が悪すぎて、学校内ではつまはじきにされていたようです。それから私が豊山に赴任することになって、生活態度などを改めるよう指導しました。その点だけは改善しましたが、井上コーチの教えは継承しています。本業は設計士でしたが、毎日練習には欠かさず来られていて、あそこまですばらしい情熱を持って指導される方は他に知りません。

豊山水泳部の伝統・55の教え

上野広治元監督の画像

上野広治元監督(現・日本大学水泳部監督)

——井上先生が赴任されてから生活指導を改めたとのことですが、水泳部には55の教えがありますね。
ホームページにも記載がありますが、これはその当時に作られたものなのでしょうか?

竹村:あれは井上先生と上野先生から教わったことを私がまとめたものです。

上野:本をよく読む竹村は哲学者ですからね、よくまとめてありますよ(笑)。

井上:こんなことをするのは竹村しかいませんよ(笑)。もちろん書いてあることは私や上野が伝えてきたことですけどね。生活指導はしっかりとしなければならない。水泳は強くても私生活がだらしないというのでは長続きしないのです。これは絶対です。豊山の水泳部が長く高校水泳界のトップを争うことができている一因はここにあります。

上野:もちろん時代に合わないのかなと思う部分もないとは言いません。それでも選手にとっては言葉に重みがあるようです。現在本学に在籍する豊山出身の選手は、今でも竹村のことを頼ることがありますし、この教えを受けた選手たちはとても素直だなと思います。

井上:伸びる選手というのは全員素直だよね。

竹村:そうですね。現在日大の水泳部には豊山出身の吉田惇哉、関海哉、吉田啓祐が在籍していて、競技のストロングポイントはそれぞれ異なりますが、素直というのは全員に共通している部分だと思います。

井上:豊山にはこれからも今までのやり方をぶれずに続けてもらいたい。他の学校でも強い選手はいるけど、そういった子たちはスイミングクラブの選手が大半だから、それでは生活指導など、我々が行っているような教育はできないのです。こういった指導を受けた選手が日大に進んだからこそ、今年の日大水泳部は男子総合優勝を勝ち取ることができたと考えています。これこそが一貫教育の良さですよ。

上野:実際に今年のインカレでは豊山出身の選手が大活躍してくれました。それも豊山と大学での教えに一貫性があるからでしょう。

竹村知洋監督

竹村知洋監督

——なるほど。だから現在も強さが保たれているのですね。特別に選手に55の教えについて講義をされているのですね?

竹村:いえ、そういった時間を設けることはありません。普段の生活や練習の中で指導しているだけです。もちろんホームページに掲載しているので、それを読む選手はいると思いますが。

上野:現在の豊山は中高合わせて200人近い部員がいますからね、気が付いたときに言わなければ間に合わない。だから自然とそうやって伝わるのでしょうね。

井上:コーチ陣も同じ教育を受けた豊山出身者が務めているので、ほとんど同じように指導していますよ。

——自然に伝わるというのはすごいことですね。

上野:水泳は個人競技ですが、集団で動きますからね。豊山は集団の力が大きいのかもしれません。練習の始まりと終わりもそうですし、合宿所で生活する選手は四六時中一緒にいますし。

井上:常に目指すところはインターハイの総合優勝だからね。東京都で52年連続(60回)、日本大学体育大会で61年連続で優勝できているのは全員の目標が同じだから達成できているのです。

上野:選手のベクトルが同じだから、全員が頑張るし、頑張らない選手は他の選手から批判されることもあります。そうやって集団の力で強くなってきました。200人以上いて、レギュラーになれなくても辞めずに続ける部員がいるのは集団の力のおかげですし、部員それぞれに居場所がある証でもあります。

井上:集団というのは、生徒だけでなく指導者、OB会、保護者、そして学校も含まれています。学校の理解や協力がなければ、ここまで強さが継続することはありませんから。皆様が尽力してくれたからこそ、今の豊山水泳部があるのです。これが強さの秘訣の一番大きな点だと考えています。

——集団の力が自然と伝わることが伝統であり、豊山水泳部の現在の強さにつながるのですね。では55の教えが明文化されていなかった、井上先生の監督就任した当初に、何か心掛けていたことはありましたか?

井上:当初だけということではありませんが、監督人生で心掛けていたことは、常に選手とコミュニケーションを取り、選手をよく見て、精神的・肉体的状態を理解するということです。

——選手の気持ちを聞くということですね?

井上:それだけではありません。指導者である私の考えや気持ちも伝えていました。チームワークを保つには監督も選手も互いの立場になって考え、話をする必要があります。なぜこの練習が必要なのか、なぜ今これを伝えるのか、今この選手は何を考えているのか、自分が選手ならどうやって話せば伝わるか、どういった言葉をかけて欲しいか、そのようなことを常に考えていました。こういったことを続けることで結束していき、集団の力が養われていったと考えています。

~第2回につづく~