20年ぶり大学選手権ベスト8
日大ラグビー部が目指す
創部100年に向けたさらなる歩み

スポーツ
2020年01月22日

ラグビーワールドカップ2019が開催された昨年、日本代表の活躍は一大ラグビー旋風を巻き起こし、観る者に感動を呼んだ。その日本代表に刺激を受けたかのように、関東大学リーグで日本大学ラグビー部ハリケーンズも躍動した。

リーグ優勝を果たした東海大学には敗れたものの堂々の2位。年末年始にかけて行われた大学選手権にも6シーズンぶりに駒を進めた。

シーズン目標のベスト4を胸に聖地“ハナゾノ”で常勝軍団に挑んだ

「大学選手権ベスト4」を目標に掲げた今シーズン、臨んだ12月15日(日)の一回戦対京都産業大学戦では、バックス陣の活躍により〇24-19で競り勝ちベスト8入り。22年ぶりのベスト4が現実味を帯びてきた。

迎えた12月21日(土)準々決勝対早稲田大学戦。場所はラグビーの聖地・東大阪市ラグビー場、通称「ハナゾノ」。京産大戦と同じメンバーで立ち向かった、いまだ発展途上のハリケーンズは、大学選手権最多優勝(15回)を誇る早稲田から再三、スクラムの反則(コラプシング=故意にスクラムを崩す行為)を誘発。“スクラム強し”のハリケーンズらしさを印象付け、普段より長いシーズンを終えた―。

早稲田大相手に理想的なトライ

ラグビー部

ハリケーンズが誇るスクラムは、早稲田相手にも十二分に通用した

早稲田からは、前半だけでも三つのターンオーバーを奪った。

超大学級のバックスに走られトライ二つを先行されるも、スタンドオフの吉田橋蔵(徳島城北・法4年)の刺すような鋭いタックルは、4年生のラストシーズンに掛ける、並々ならぬ気迫の顕れでもあった。

「クラウチ、バインド、セット!」

掛け声からワンタイミングの前半32分50秒、主審の手が日大に向けて高く挙がり、長いホイッスルが吹かれた。瞬間、“ハナゾノ”のスタンドがどっと沸いた。応援に来たOBの数では、早稲田のそれを上回っていたに違いない。ピッチに立つ選手だけでなく、創部91年の古豪は、スタンドの応援でも選手とともに挑んでいた。

モールから持ち込んだハラシリのトライは、ハリケーンズの理想形だった

自慢のスクラムでは負けていない。

赤と黒の日大は、スクラムを嫌がった早稲田を完全に押し込んでラインナウトを得ると、そのままモールからNO8のシオネ・ハラシリ(目黒学院・スポーツ科2年)が持ち込んでのトライ。リーグ戦中でも幾度となく見せたハリケーンズの得点パターンであり、かつて屈強なフォワード陣を擁して関東大学リーグを制した1985年のチームを彷彿とさせる、勇ましい姿だった。

新生・ヘラクレス軍団の誕生

当時の阿多和弘監督の下、屈強なフォワード陣をして“ヘラクレス軍団”と呼ばれたのは1990年代から2000年初頭。かつての選手たちは、壮年期から中年期を経て社会でも立場あるポジションに就いている年齢だ。

当時、ヘッドコーチだった中野克己監督も、例に漏れず、企業人としての立場もありながら、監督を引き受けた。

自らもハリケーンズの一員としてリーグ優勝(1985年)を経験し、現場復帰してから4年。1部リーグ戦全敗で入替戦からスタートした歩みは、2年目(2017年)2勝5敗、3年目(2018年)3勝4敗、そして昨季5勝2敗(リーグ2位)で大学選手権にも復活し、着実に、しかも一歩一歩、成果を出し続けてきた。

「ウチは花園(全国高校ラグビー大会)に出た選手が5、6人いますが、向こう(早稲田)は優勝した選手がそれぐらいいますからね」。そう苦笑するのは、決して嫌味ではない。

その差を埋めるため、徹底してきたのが「規律」であり、その上に立った猛練習が実を結んだからだ。しかし、シーズン目標のベスト4まであと一歩のところで、涙を飲んだ。

「トップチーム相手では、フォワードで勝てないと試合で優位に立てない」

そう試合後に話す中野監督の中では、フォワードで勝ち取った前半最初のトライは「自分たちの形でのトライ」であり、「(下級生にとっても)自信になる」ものだった。

「自分たちのやってきたことは間違っていなかった」

坂本選手

「1番」坂本のキャプテンシーがあってこその今季の躍進

後半開始早々も、早稲田へのプレッシャーは続く。

センターで入った齊藤芳徳(大分東明・法3年)の速い詰めが早稲田のスローフォワードを呼ぶ。

続く連続プレーでもキックパスから、一瞬抜けたかに見えたが、反則。リードする早稲田にボールを渡してしまう。

「やはり最初のトライが理想的。でも(その後)そこに行くまでがうまくいかなかった。早稲田は強かった。(自分たちが)ペナルティをしてしまったのが反省点です」

試合後、そう語ったのは、リーグ戦の流経大(9月8日/〇34-28)、大東文化大(9月14日/〇40-33)、専修大(11月24日/〇29-21)と、3試合で「マン・オブ・ザ・マッチ(MOM)」に選ばれた、キャプテンでもあり、フォワードの支柱でもある、プロップの坂本駿介(三本松農・スポーツ科4年)だ。

「日大は有名な選手がいるわけではないので、本当にハードワークで自分たちの地力を上げていかないといけない。そのハードワークしてきた部分は、間違っていなかった。(中略)戦い方もやろうとしていることも、間違ってはいない。でも、それを実行する力がまだ足りないということです」

キッパリと言い切る自信と滲む悔しさ。目尻の涙は清々しさを覚えるほどだ。

吉兆の前には必ず悔しさが

中野監督体制が古豪復活を現実化させている。スクラムとディフェンスは列強を唸らせた

「1年生の時から弱い世代だと周りから言われ続けていましたから」と寮長でフッカーの川田陽登(延岡星雲・文理4年)は笑う。「でもそんな僕らがここまで来れて良かったんじゃないかなあと思います」。

前週の京産大との試合では、自慢のスクラムが上手く機能せず、苦戦を強いられた。それでも勝てたことが、より言葉に重みをつけた。

「今まできつい練習に耐えてきたことがここ(京産大戦)で出たんだなあと思います」

キャプテンの坂本が「一番支えてもらった」という川田は、副寮長のフランカー島野光陽(佐野日大・法4年)と共に、グラウンド以外の事に文字通り奔走した1年だった。

それも、監督の中野が就任以来、言い続けている「規律」をチーム全体に浸透させなければならなかったからだ。

「140人を超える部員に『規律』を守らせることは、本当に大変でした。最初は4年生全員に協力してもらい、それから後輩たちに落としていきました」(川田)

恩師・中野氏を監督にしたGM川松真一朗氏。条件はただ一つ。「日大復活のために純粋に全てを犠牲にしてやってくれる人」

 週5日の早朝練習は5時から。寮の管理人さんが出勤する6時半までに、練習と掃除を終わらせることを条件に、2017年に完成した東京・稲城にあるホームグラウンド「スポーツ日大 アスレティックパーク稲城」で汗を流してきた。

「朝飯もちゃんと食べさせないといけないんですが、みんながみんなしっかりとした食生活ができていたわけではなくて、できないと怒られるのは僕たち(笑)。本当に苦労しました」(島野)

でも、と島野。春から人材派遣会社に就職する4年生は、こう続ける。

「おかげでコミュニケーション能力は付いたと思います(笑)。社会人でも活かせると思います」

同じ寮に住む駅伝部との生活リズムの違いも、間に立って調整する必要があった。二人は「グラウンド以外全般」の監視役であった。

こうした日々の努力で創り上げられた「規律」で、ハリケーンズは20年ぶりの大学選手権ベスト8を呼び込んだ。

次なる世代へ渡された楕円球

後半63分36秒、またもスクラムで日大サイドに手が上がった。

試合は劣勢に追い込まれるも、前半からスクラムのたび、スタンドからは同じ掛け声が繰り返された。

「さかもと!ふじむら!あらい! さかもと!ふじむら!あらい!」

その意味するところは、日大のフォワードの前1番、2番、3番の選手名だ。

坂本、藤村、新井は、後半も変わらず押し、早稲田のフロント3人は、すでに全員入れ替わっていた。

しかし、スコアは7-45。フォワード勝負だけでは埋まらない差がそこにはあった。

後半70分7秒、センターのフレイザー・クワーク(開志国際・スポーツ科2年)が蹴ったボールを相手エンドゾーンまで諦めずに追いかけた呉尚俊(オ・サンジュン 大阪朝鮮高・危機管理3年)が執念のトライを決めた。

呉だけでなく、この試合で気を吐いた留学生トリオのハラシリ、クワーク、テビタ・オト(トンガカレッジアテレ・スポーツ科2年)、やラインナウトを担うフッカー・藤村琉士(京都成章・商3年)も、皆、下級生。中野監督が「今年(2020年)が楽しみ」と言うのも、無理もない。

「90 100 STRONG AGAIN」

ラグビーの世界では、世界団体であるワールドラグビーが憲章として掲げる五つコアバリューがある。「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」がそれだ。

中でも中野監督が口にする「規律」にはこう書かれている。

「フィールドの内外においてゲームに不可欠なものであり、競技規則、競技に関する規定、そして、ラグビーのコアバリューを順守することによって表現される」

中野監督は言う。

「ラグビーとは規律。試合に出ている人だけがクラブじゃない。試合に出られていること、私生活が大切なんです」

今年4月から始まる春季リーグからは、「明治、早稲田、帝京、東海」と大学トップ校との試合が組まれていることも、“経験”を重ねる上では、大きなアドバンテージだ。

創部100周年に向けたハリケーンズの歩みは、次なる高みを目指し、止まることはない。何故なら、彼らは彼ら自身が目指す先を見据えているのだから。

かつての栄光を綴ったハリケーンズのHPに、新たな歴史が刻まれた

彼らの決意は、公式HPにも上がっている。

「100周年に向けて
名ばかりの伝統校。
関東大学ラグビーリーグ戦創設チームであり
かつては関東大学ラグビーリーグ戦優勝3回、
大学選手権ではベスト4に4回進出した日本大学ラグビー部。
いつから大学選手権出場ばかりか
1部リーグ下位や入れ替え戦を行き来するような
弱小チームに成り下がってしまったのか。
今年の創立90周年を、ヘラヘラと祝っている場合じゃない。

"STRONG AGAIN."

次の10年、100周年に向けてもう一度
ヘラクレス軍団と呼ばれた強豪チームの復活をここに宣言する。
そして未だかつてなし得ていない大学選手権優勝を目指し、
90周年の日本大学ラグビー部は加速する。」
(日本大学ラグビー部公式HPより)

吉兆の前にある悔しさを胸に、ハリケーンズの咆哮は、今朝も稲城でこだまする。