北京冬季パラリンピック クロスカントリー20kmクラシカル立位
金メダリスト 川除大輝選手

起伏のある雪原のコースを疾走し、「雪上のマラソン」とも呼ばれるクロスカントリー。2018年の平昌大会(韓国)に続く2度目の冬季パラ大会に出場した川除大輝選手(スポーツ科・4年)は、北京大会において冬季大会の日本男子最年少金メダリストに輝いた。先天性両上肢機能障害により両手足の指の一部が欠損している川除選手は、ポール(ストック)を持たずに両腕を大きく振って推進力を得て走る。そのリズミカルでダイナミックな走法がもたらした最高の結果は、4年間積み重ねてきた弛まぬ努力と、クロスカントリーへの熱い情熱の賜物にほかならない。
※2022年6月取材、学年は取材時のもの。

─ 金メダル獲得、おめでとうございます。大会後3ヶ月経って、周囲の反響や変化などは?
ありがとうございます。4年前の平昌大会に出場した時はメダルに絡めずという結果だったので、地元(富山県)で少し反応があったぐらいだったんですが、今回はレース直後からものすごい数のメッセージが来ましたね。メディアなどでいろいろ取り上げていただくことも多くなり、今までに経験したことがないようなすごい反響でした。イベントなどに参加させていただく機会も増え、今は人生の中で一番くらいに忙しくなりました。でも、その忙しさが楽しさにもつながっているので、とても充実しているなと感じています。

─ 五輪前からテレビ取材があったり、五輪後も取材が増えたりしたと思いますが?
そうですね。パラスポーツを広めていただくという点では大切なことだと思いますが、北京五輪を目指して競技に集中してやっていた時は、ちょっとつらいなっていう気持ちが正直ありました。以前はメディア対応もそんなに得意ではありませんでしたが、ようやく少しずつ慣れてきたかなという感じです。そういう意味では、今まで結果を出してきた選手の人たちは、こういう苦労もあるんだなっていうのがわかりました(笑)。

4年間で成長したところを見せることができた。

─ 高校生の時に出場した平昌大会と比べ、今大会に臨む気持ちはどう違っていましたか?
平昌の時は、メダルのことを意識せず「自分の出せる力を出し切ろう」という思いが一番強かったですね。うまく行って入賞できればという目標だったので、プレッシャーも何もない状態で、ただただ自分が目指していた場所に立ててすごくうれしいという気持ちでした。しかし北京大会では、「メダル獲得に最も近い」というようにマスコミにも取り上げられていて、そこまで自分自身プレッシャーに感じることはなかったんですが、期待っていうのも背負っていますし、前回大会を経験してからの4年間でフォームのことやいろんな知識も増えていたので、考え方の部分では全然違いました。いろんなことを考えて臨んだ北京大会だったなと思います。

最終タイムは52分52秒8。2位の選手に1分41秒の差をつける圧勝だった。

─ メダル獲得の自信はあったのですか?
本当にうまく調子が合えばメダルに手が届くかなとは思っていましたが、正直、金メダルを獲れるとは思っていませんでした。今回はロシアの選手が出ていませんでしたが、自分の調子も含めすべてが噛み合っていて、ロシアの選手が出ていたとしても十分戦えるレース展開だったとコーチの方々にも言っていただきました。自分としても、実力を100%出し切れたレースだったと思います。

─ コースの下見があまりできなかったとか?
現地入りしたのが結構直前でしたし、レースの2日前ぐらいに強風でコースが1日クローズしてしまったので、スキーにも乗れずコースの確認ができませんでした。普通は何回もコースを周って特徴を確認するのですが、数回しか周れなかったので、少しそういう部分は心配でしたね。ミーティングの際に、コースを試走したコーチの方々からアドバイスをいただいていたので、そこは頭に入れて臨みました。

─ スタートは時間差ですが、滑り出す直前にはどんなことを考えていましたか?
今回のコースレイアウトは、上りから下りに変わる繋ぎの部分が少し多く、選手にとってすごい辛いコースだったんです。しかし、そのところで下りになるからと力を抜くのではなく、1秒でも削っていって、もしそういうところが10カ所あれば10秒縮まるんだってことを考えながら待っていました。

─ 後半の強さが持ち味ということでしたが、レースは前半からリードする展開になりました。
そうですね。最初は力を抜いてリラックスしてというイメージで入りましたが、1km過ぎのところでトップと2秒差ぐらいの2番手だったので、それをコーチから聞いて「今回いけるかな。メダルもいけるかな」という気持ちになりました。でも、20kmというのはやっぱり長いので、転倒したり、スキー板が折れたりなど、何があるかわかりません。そこは勝ちにこだわらずに、自分の滑りをしようっていうことを意識して滑っていました。

─ 後半もタイム差を広げて快走。ゴールした時にガッツポーズを見せて、少し余裕があるようにも見えましたが?
いや、体力的にはあまり余裕はなかったです。でも、途中のタイムチェックでトップだというのは分かっていたし、ゴールラインの向こう側に記者の方やカメラマンがたくさん待ち構えていたので、ゴールして倒れ込んでの優勝というよりは、しっかり立ってガッツポーズ決めたほうがいいかなっていう思いがあったので…頑張ったって感じですね(笑)。

日の丸を背負ってウイニングランをする川除選手。

─ 金メダルを獲ったという実感はありましたか?
フラワーセレモニーの前の控え室で、疲れてぐったりしていましたが、自分の中では金メダルを獲れるなんて思っていなかったし、“もしかしたら”でも銅メダルだと思っていたので。「金メダル獲れちゃった」っていう感じでしたね。メッセージもたくさん来ていて、そのメッセージを読みながら、応援してくださる方がこんなにたくさんいたんだなっていうのを改めて実感しました。参加して2大会目で金メダルを獲った選手が日本人にはいなかったそうなので、そこで自分が獲れたっていうのは本当にすごい驚きとうれしさがありました。

─ メダル授与式で表彰台に立った時は?
外国の地で、いろんな国の選手がいる中で表彰台の真ん中に立って日本の国歌を聞くという経験はなかなかできないので、本当に光栄だなって思いましたし、そういう人になれたっていうこともそうですが、金メダルを獲れて本当に良かったなと改めて思いました。

北京パラリンピックの開会式・閉会式では、川除選手が日本選手団の旗手を務めた。

─ 北京大会では全4試合に出場しましたが、全体を振り返ってみていかがでしたか?
クラシカルとフリーの種目があって、ここまで結果が出ていたクラシカルの方で金メダルが獲れたことは良かったですし、4×2.5kmリレーも自分の中では満足できる結果(7位入賞)ではあったのですが、個人のフリー2種目の結果には満足できていないので、どちらかと言えば「良かった大会」というより、「そこまで良くなかった大会」だと感じました。フリー種目は雪が解けた状態でのレースになり、自分では解けた雪は得意だという思いがあったのですが、今回は対応が全然できなくてスプリントはこの結果(男子スプリント・フリー立位:準決勝敗退)ですし、フリー12kmのレースでも最初は4番手につけていたものの、後半になって雪の対応ができずに順位を落としてしまった(男子12.5kmフリー立位:8位)ので…。そこは本当に課題だなって思いました。

─ 北京大会を経験して得たことはありますか?
やはり海外の選手の強さをすごく感じましたし、中国の選手もこの4年間で強化して成績を上げてきています。同じアジアのチームとして、日本チームもそこまでやれば、まだまだ伸びしろがあるなっていうのを感じましたね。

─ 気持ち的なところでの変化などは?
北京大会を経験して僕の中でも考え方が変わったところもあり、これからは「日本チームのために」という考えで発言していかないといけないなと思っています。平昌大会の時は高校生だったので、スキーのことだけっていう感じでいて、チームのことまであまり深く考えていませんでした。今思えば、僕が何か言ってもスタッフは「オッケー」みたいな感じでしたが、北京大会の時は僕に意見を求めるようなことが多くなりましたし、他の選手とも意見交換をしたりすることが増えていたので、チーム内にいろんな情報が行き渡るようになっていましたね。

─ ワックスマンの方にも意見を言うようになったそうですね?
はい、平昌の時は100%スタッフを信頼して滑っていましたが、自分の感覚と違うのに意見を出さないでいると、やっぱり結果として繋がってこないというのをこの4年間で少し感じていたし、4年に1度しかない舞台なので、自分の言いたいことを言って失敗する方がまだいいなと思い、発言するようにしていました。今回もアップの後に少し違うなって感じたので、スタート直前ぐらいでしたが無線でコーチの方に「少しワックスを強く、止めるワックスにしてほしい」とワックスマンへの要望を出したんです。そういう意見交換のスムーズさがないと今回のような最適なワックスにはならなかったと思うので、チーム連携がうまく行ったかなと思います。

新田選手と走れて本当にうれしかった。

─ 日本の第一人者・新田佳浩選手から「エース」の称号を受け継ぐことになりましたが?
やっぱり「エース」って言われるのは気分がいいなと思う反面、それがいくらかプレッシャーにもなってくるんだと思います。周囲がそう言ってくれるのはうれしいのですが、あまり自分の中では意識せずに、今まで通りの滑りをしていこうという思いが強いですね。自分の中ではもう「エース」という意識はなくして、ただただ頑張ってやっていくだけという気持ちで、次の試合にも臨んでいこうと思っています。

─ 新田選手とは何か話をしましたか?
終わった直後は「おめでとう」という言葉だけでしたが、日本に帰国して3日間の隔離期間中に、ホテルの部屋から出てもいいよとなった時に、新田選手を含めチームの選手同士でいろんな話をしました。この4年間を振り返ってどうだったかとか、こういう練習は辛かったよねみたいな思い出話もありましたし、今後のチームについての意見交換もしました。

─ その新田選手と4×2.5kmオープンリレーを2人で交代しながら完走しましたが、小学生の頃から憧れだった新田選手と2人で滑れたことをどう思いましたか?
新田選手は、パラリンピックは今回が最後で集大成だと仰っていたので、そこでの最終種目のリレーで子どもの頃から憧れていた新田選手とリレーを組んで走って入賞できたというのは、僕の中ではとても嬉しいことでした。メダルを目指していなかったですし、入賞できるとも思っていませんでしたが、最後の最後に自分の持っているものをすべて出し切れたという思いが強かったので、リレーは一番の楽しい思い出になりました。

パラスキー界のレジェンド・新田選手(左)と
4x2.5kmオープンリレーを2人で完走し7位入賞。

─ 平昌大会からの4年間、新田選手の背中を追いかけてきたのですね?
平昌パラリンピックでの新田選手の金メダル獲得が、僕の中では本当に大きな影響を与えたというか、刺激になったと思います。平昌の日本代表として一緒に練習しましたし、メダルセレモニーで新田選手が金メダルをもらっているところを見て、その舞台に立っている姿がとてもかっこいいなって思いました。自分もそこを目指したいって。そういうこともあったから、今こうして金メダルを獲れたのかなと思います。

─ 小学生の時にバンクーバー大会で金メダルを獲った新田選手から、「不可能とは可能性だ」と書いた色紙をプレゼントされたところから憧れるようになったと?
そうですね、小学3年生の時だったのであまり記憶はないのですが、言葉の意味はまだよく分からなくても、「メダリストから色紙をもらった」ということがとてもうれしく感じました。その時はメダルを見せてもらう側、色紙をもらう側であって、自分はそういうのを与える側には絶対になれないって思っていましたが、そこからずっと憧れ続けて、目標にしてきた結果、今回は自分がメダルを手にすることができたので、何でも“続ける”ということは大切だなと思いました。

─ 今の川除選手の姿を見て、「かっこいい」と思っている誰かがいるかもしれませんね?
僕自身、新田選手に憧れて「追いつきたい」という気持ちで頑張ってきたので、そういう気持ちを持って僕を見ている子や、僕を目指して頑張ってくれる子がいるならば本当にうれしいなと思いますし、僕もさらに頑張れます。僕は新田選手のようにかっこいい言葉を贈ることはできませんが、スポーツを続けていくには、“楽しさ”というのが必要だと思っています。楽しくないのに続けていても、例えメダルを獲ったとしてもうれしさは半減すると思うし、その後は続けていかれないんじゃないかって。だから子どもたちには、“楽しさ”を忘れずに好きな競技を続けていってほしいと伝えたいですね。練習や試合で結果を出せて楽しいというのはもちろん、友達と合宿所で会話をしたりゲームをしたりというのも楽しさの1つだと思うので、日々のちょっとした“楽しさ”でもいいので、大切にしてほしいと思います。

川除選手の金メダル。

─ 北京後のイベントなどで子どもたちに金メダルを見せたりしているのですか?
はい。地元で開催された大会に行った時、子どもたちに金メダルを見せて触ってもらったらとても喜んでくれて、写真を一緒に撮ってほしい、サインしてほしいってすごく反応してくれました。こういうところから小さな子どもたちがスキーを続けたいって思うきっかけになってくれたらいいなと思います。

─ まさに小学生の時に新田選手とのつながりができたのと同じようなことですね?
そうですね。パラリンピックとか、障害のあるなしとかも関係なく、いろんな方にスキーを続けてもらえたらいいなと、そう思っています。

日大スキー部で仲間と共に励む喜びを知った。

─ 日大に入ろうと思った理由は?
従兄弟が日本大学スキー部に所属していたので、いろいろ話を聞くことができ、日大スキー部が強豪で、そこに入れば自分がもっと強くなれるということを感じました。あとはパラのコーチと日大スキー部のコーチに繋がりがあったので、情報交換もしやすいのかなと考えて日大進学を決めました。小学校から今までずっとパラ選手以外の選手たちとも練習してきたので、特に不安に思うこともなく、逆にいろんなことを吸収できるだろうという思いが強くありました。

─ 仲間と一緒に練習するのはどうですか?
大学の仲間は年齢が近いので、練習が終わってからふざけあったりもできて楽しいし、疲れが吹っ飛ぶ感じです(笑)。それでまた次の練習をみんなで頑張れる…そういうのが僕はとても楽しくて、今の環境がすごくいいなと思っています。パラの方でも、マイナーな競技なので人数が少なく、年上の先輩が多いのですが、その歳の差を感じさせないくらいフレンドリーに接してくれますし、居心地が良くて楽しくできるチームになっているので、本当に環境に恵まれているなと感じています。

─ コロナ以降は地元に帰って練習していたそうですね?
はい、部で一緒に練習できなくなってしまったので富山に戻って練習していて、その間、大学の授業はオンラインで受けていました。アスリートからしたらオンライン授業はとてもやりやすさがあって良いのですが、僕の場合、練習が終わったらすぐにオンライン授業に参加してみたいな感じだったので、体が疲れたまま授業を受けたりしていて…知識として身についたかどうかとなると、対面の方が断然頭に入ってくるなと感じました。

─ 興味を持った授業は何ですか?
今履修している「コーチング学演習」の授業です。選手からコーチに対してどういうことを求めるのかといったことをグループワークで話し合うのですが、大学生としてはそういう視点で考える機会があまりないので実際の競技において考えるきっかけになりますし、今後の日本のパラスポーツチームについて考える時でも、そういうところはどうなんだろうって思うので、とても勉強になるなと感じています。

4年後はメダルを複数獲りたい。

─ 自身のさらなる成長へ向けて、新たな取り組みなどは考えていますか?
自分としては今のフォームに満足していないので、いろいろなところを変えていきたいと考えています。ただ、まだ何を変えたらいいのかというのがわかっていないので、これからの4年間で様々な経験を積みながら理想の形を追求し、さらに上を目指していきたいと強く思っています。

─ 川除選手にとってのスキー、クロスカントリーという競技はどういうものですか?
小さい頃からずっと、それがメインのようにやりながら今まで生きてきたので、人生の一部になっています。ここまで来られたのもスキーのおかげだと思うので、これからも大切にしていきたいと思います。多分引退した後も「またスキーに乗りたいな」と思ったりするだろうし、もう人生に欠かせないものですかね。

─ 4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪での目標は?
ミラノ大会でも金メダルを獲って、また皆さんに見ていただきたいと思います。メダルを1つだけではなく、2つ3つと獲れたらいいなと思っているので、そこを目標として頑張っていきます。

─ 期待しています。ありがとうございました。

Profile

川除 大輝[かわよけ・たいき]
2000年生まれ。富山県出身。県立雄山高卒。スポーツ科学部4年。日立ソリューションズJSC所属。6歳からクリスカントリーを始め、小学1年生の時に新田佳浩選手に勧められて本格的にパラリンピアンを目指す。’17年からW杯に参戦し、高校2年時の’18年、平昌冬季パラリンピックに4種目で出場もメダルには届かず。’19年の世界選手権20kmクラシカルで金メダルを獲得。本学進学後はスキー部に所属して活動。’21年12月のW杯カナダ大会で2種目で4位に入るなど手応えをつかみ、’22年の北京冬季パラリンピックに2大会連続出場。男子20kmクラシカル(立位)で冬季パラリンピック日本男子選手として史上最年少の21歳での金メダリストになる。’22年、東京都栄誉賞・都民スポーツ大賞、紫綬褒章、富山県民栄誉賞を受賞。