レスリング部監督を永きにわたり務めた富山英明氏(生物資源科学部・教授)が日本レスリング協会・新会長に就任

2021年10月、1984年ロサンゼルス五輪・金メダリストで本学生物資源科学部の富山英明教授(1980年・文理学部卒)が、日本レスリング協会の新会長に就任した。選手時代の輝かしい実績はもちろん、指導者としても本学レスリング部監督を24年の永きにわたり務めた(2022年3月退任)ほか、日本代表チームの強化・指導でも手腕を発揮して数多くのメダリストを生み出してきた富山氏。協会トップとして、2年半後に迫るパリ五輪に向けて、また将来のレスリング界のために、何を考え、どう取り組んでいくのか。その穏やかな語り口の中に、現役時代さながらの熱い思いが垣間見えた。(2022年1月取材)
― 新会長就任、おめでとうございます。今の心境をお聞かせください。
ありがとうございます。これまで副会長の中の1人としてやってきましたが、福田前会長があまりに偉大すぎたので、正直、このお話が来た時は「自分が会長になっていいのか」というのがまずあったんです。今までは競技で勝つために選手・監督をやってきたわけで、そういうポストを考えたことがなかったので。しかし、自問自答した中で、これからのレスリング界のために覚悟を持ってやるしかないって、今はそういう気持ちになっていますね。
 

― 福田前会長から何かお話はありましたか?
福田さんは日本大学の先輩で、私が高校のインターハイで優勝した頃から40年以上の付き合いなので、ある意味親子であり、兄貴であり、親友でもある方です。「お前の好きなようにやれ」とは言われましたが、そう言われてもね(笑)。福田さんが国際レスリング連盟(現・世界レスリング連合)の副会長を退任された時、替わって僕が選ばれて理事を数年務めたので、日本の状況を外から見ていて大体のことは分かっていました。東京2020五輪のあとにレスリングのメダリストたちを連れてメインスポンサーに挨拶に行った時に、「次は…」みたいな感じで社長の方々に顔を覚えてもらえるような雰囲気を福田さんが作ってくれましたね。

― 所信表明では「能力も力も財源もない。いろんな力を結集してやるしかない」とおっしゃっていましたが。
そうですね。根本的に違うのは、福田さんは民間企業の社長であって、僕は教員だということです。協会の財政面が大きな課題ですが、現場レベルではそこをどうにかすることができないし、大学の教員ではどうしても弱いわけですよ。福田さんは企業人としていろいろお付き合いがありましたが、僕らにはそういうのがない。だから、このコロナ禍において財政基盤をどうするのかというのが1番不安でした。今回、事務局長と強化本部長(日本大学レスリング部コーチ〈2022年3月退任〉・赤石光生氏、1986年文理学部卒)も替わって新たな船出をしました。あと2年半しかないパリ五輪に向けてどう取り組んでいくかというところを一生懸命考えています。

― 東京2020五輪での結果(男子:金メダル1・銀1・銅1、女子:金4)はどうご覧になりましたか?
57年前の東京五輪では、男子だけで金メダルを5つ獲ったんです。だから今回は、最低でも金メダル5つ以上を獲るという目標があったので、男女合わせてそれを達成できたのは良かったですね。また、五輪後に行われた10月の世界選手権(オスロ)でも、若手中心のメンバーで戦って男女5階級で優勝しました。五輪とは階級の設定が違うので一概には言えませんが、女子は若手がかなり台頭してきているので、今後は東京五輪のメダリストたちとの争いも激しくなりますね。

何よりも「勝ちたい」と思う気持ちが重要だと思う。

― 協会Webサイトに掲載されている日本陸上競技連盟副会長の瀬古利彦氏との対談で、時代に合った選手指導が必要だというお話しをされていました。
確かに我々が現役の時代は、指導者の強制的なものとか、先輩後輩の厳しさもありましたが、逆にそれが良い面もありました。しかし今は、多様性を尊重する時代になっています。指導者たちは現実に合った指導の仕方を試行錯誤しながらやっていて、その点は指導者も学び続ける必要があると思います。ただ、時代が変わっても「勝ちたい」と思う気持ちは別に強制するわけじゃない。瀬古さんにしても同期の山下(泰裕)君にしても、それぞれ名伯楽がそばにいたけれど、やれやれと言われることはなくて、勝ちたいがために自分でいろいろ工夫したし、強くなりたいから自分なりに努力したんだという。僕だって、福田さんが全日本の監督でいましたが、細かく指導されたことはなかったですから。結局、本当に目指したい夢とか目標を持っているならば、自分なりに考えてはい上がっていく努力をすることが重要なんです。時代が変わっても、そこは変わらないところだと思いますね。

― 最近の選手の行動に戸惑いを感じられることもあるとか。
例えば練習中に、スマホで自分の姿を撮っている選手がいますよね。撮っては毎回チェックしていて、昔なら「お前、見て覚えろ」とか「そんな時間があったらスクワットしなさい」って言いたいし、もっと集中して練習した方がいいと思うけれど(笑)、彼らは彼らなりに真剣にやっているのでね。現在のやり方は、いろいろな方法があるんですよね。

― 競技に対する取り組み方・考え方を協会として発信していくようなことは?
そこは個人の問題ですからしません。ただ、今は選手にも指導者にも“インテグリティ”が求められています。また協会としてもガバナンスコードを整えて、きちんと発信することが必要だと思っているので、そうした面での組織強化も図っていきたいですね。

― 少し前には、吉田沙保里さんや伊調馨さんのようなスーパースター的な選手がいましたが、今後はどうでしょうか?
そうですね、レスリングがメジャーなスポーツになるためには、スーパースターが必要不可欠で、それには吉田選手や伊調選手のように世界の舞台で連覇しないと。女子では今回金メダルを獲った須﨑優衣選手(女子50㎏級)に期待しています。多分、次のパリ五輪も勝つでしょう。その次のロサンゼルスも、ブリスベンも、本人は続けると言っているので4連覇のチャンスがありますね。女子は2004年のアテネ大会から正式種目になったので五輪の歴史はまだ浅く、もちろんレベルは上がってはいますけれど、宗教的な問題で例えばイランなどでは女子はできないという側面もあるので、男子よりも勝ちやすいんです。「霊長類最強の男」と言われたアレクサンドル・カレリン(ロシア)でさえ、五輪で3連覇したけれど4連覇はできませんでしたから。

― 男子の現状はどうなのでしょう?
男子にも能力がある選手は多数いますが、抜きん出るというところまではまだですかね。気持ちの部分で、「レスリング1本でやるぞ」っていうぐらいの姿勢で取り組んでもらえたら、一皮向けていくのではないでしょうか。

競技人口と指導者の減少に歯止めをかけたい。

― 指導者の育成という面ではいかがでしょうか?
伝統的にメダリストや現役で活躍した者が指導者になっている傾向があって、大体が大学の教員で、あとは自衛隊や警視庁の所属。選手を引退して組織に残ってコーチになり、勉強して監督になるという流れでした。今はそういうことだけではいけないということで、コーチ層もJOCアカデミーでいろいろな教育受けてきているので、これまでと違ってバランスは取れてきています。

― 高校レスリング部の指導者が人材不足という話もありますが?
そうですね。少子化で学校も統廃合されてきているので、教員採用試験を受けても受かりにくいし、まず募集がない。学校体育の科目に入っている柔道はこの先も大丈夫でしょうが、レスリングの場合、全国を見ていて10年後くらいまではなんとかなるだろうけれど、20年後はどうなるだろうかと心配しています。特に地方の高校ではレスリング経験者の採用がほぼゼロなので、今40歳くらいで指導されている先生が20年後に定年となった時、指導者がいなくなる。部として存続できないと、レスリングをやる子もいなくなってしまいます。そういうことを踏まえて文科省は今、学校のスポーツじゃなくてクラブチームとしてやっていくヨーロッパ型を推奨していますが、そうなると大学スポーツは将来的にどうなっていくのか。僕らはそこがとても心配ですね。

― 競技人口の底辺を広げるという点では?
今、広告代理店の力を借りて、レスリングをどんどんPRしてもらう企画を考えたり試行錯誤していますが、なかなか苦労しています。フィットネスジムを経営している僕の後輩が、「フィットネス・レスリング」というような形を広げようとしています。そうしたスポーツクラブで行えるシステムを作れないかなって思うんですが、格闘技の場合、水泳のように0歳児からお年寄りまでできる“生涯スポーツ”というわけにはいきませんからね(笑)。

― 子どもたちを対象としたイベントなどもお考えですか?
それは、どんどんやっていきます。今、キッズのレスリングクラブが300スクールほどありますが、代々木体育館で全国大会などを開催して多くの子どもたちが参加しています。五輪を狙える種目ということでマスコミも取り上げてくれるので、そういうイベントをうまく活かして、レスリングの人気拡大と財源の確保を図りたいと計画を練っているところです。

― トップレベルの選手とのふれあいみたいなことは?
どの競技もJOCのゴールドプランの中でやっていると思いますが、NTS合宿ということで、高校選抜の合宿を全国6ブロックに分けて実施して、そこにメダリストを派遣して講話をしたり、技術練習をしたりというのはこれまでもずっとやってきました。それこそ直接肌に触れる競技という意味では、レスリングが1番多いかもしれないですね。子どもたちはオリンピック選手になるのが夢ですから、メダリストと接することができるのはとてもうれしいと思うんです。「吉田沙保里選手に教えてもらった」と喜んでいたという子の話も聞きました。僕自身、高校1・2年の頃に全国から選手が集まる合宿に参加した時、ミュンヘン五輪で優勝した加藤喜代美さんと練習をさせてもらって、そこで「お前、将来オリンピック選手になれるぞ」って言われてすごくうれしかった。そういう経験が自分の宝ですから。普通ならテレビで見ているだけで、現実に肌に触れるチャンスはないけれど、直接会って肌に触れることができればもっと身近に感じるわけです。だから、そういう機会をどんどん増やしていきたいですよね。

日大の選手・監督として経験してきた悔しさと喜びがある。

― 会長就任を機に、日大のレスリング部監督を3月で退任されますが、どんなお気持ちでしょう?
監督になってもう24年くらいですかね。大学を卒業してからはコーチとして合宿所で学生と共に過ごしてきたし、監督になってからも結婚するまでは合宿所にいて、結婚しても変わらずほとんどそういう感じだったから、やはり寂しいですよね。部には40年くらい続いている正月の儀式があって、寒中を裸で走ってから水で体を清め、そのあと着替えて明治神宮に行き、戻ってから道場で餅つきをやるという…今年はそれをやりながら、「こういうのもこれで最後なんだな」と思っていました。

― 監督としての24年間で一番の思い出は何でしょうか?
やっぱり日体大の東日本学生リーグ戦連覇を止めた時ですね。前年まで日大が2連覇していたのに、僕がキャプテンをやった年(1979年)に日体大に負けたんです。そこから日体大が全盛期になって18連覇です。だから自分が監督になったら絶対に日体大を倒すんだと思っていたので、勝った時は本当にうれしかった。学生もOBも喜んだし、もちろん自分自身も、やっと雪辱を果たしたという感じで、20年近くの悔しい思いが一気にあふれてきて大泣きしました。思い出はいろいろありますが、あの時が一番かな。

― 印象に残っている選手はいらっしゃいますか?
たくさんいますけれど、1人挙げるとすれば、昨年まで協会で強化委員長を務めていた井上謙二(自衛隊)ですね。彼が2004年のアテネ五輪(男子60kg級)で銅メダルを獲ってくれました。世界学生選手権(1998年)で3位になった時もうれしかったけれど、教え子が五輪でメダルを獲ることができて、自分のこと以上に喜びが大きかったですね。

― 日大レスリング部へ伝えたいメッセージは?
2020年で創部80年でしたが、精神文化というか魂としてずっと続いてきた部の教えがあるんです。そこだけは、次の監督にも、時代が変わってもきちっと受け継いでいただきたいと思うし、周りから見ても「頑張っているな」っていう姿を見せていってほしいですね。今後は立場的に表立って何かをすることはできませんが、愛するのは日大ですから。日大で飯を食って、日大で育ててもらったのでこれからも気になりますし、陰ながら応援しています。五輪にも日大から代表選手がどんどん出てほしいので、ぜひ頑張っていただきたい。

― 日本のレスリングについてはどうお考えでしょう?
女子は五輪の正式種目となったことで、一段とレベルが高くなりましたが、男子もそれに続いていってもらいたいですね。戦後のヘルシンキ大会で石井庄八さんが金メダルを獲って以降、ずっとメダルを絶やしたことがなくて*、他にそういう競技はないんです。今回の東京五輪でも、日本チームとして27個の金メダルを獲ってアメリカ・中国に続く3位でしたが、そのうち5つがレスリング。五輪では必ずレスリングがメダルを獲って日本チームに貢献していますから、これはもう五輪がある限り続く我々のミッションだと思っています。
*ボイコットとなった1980年モスクワ五輪を除く。

― パリ五輪へ向けてはいかがでしょうか?
パリでは東京五輪以上の数のメダル、それも金メダルを獲れるようにしたいですね。女子は代表争いが熾烈になるし、誰が出ても同じくらいの数のメダルを獲れる可能性があると思います。男子でも東京五輪金メダルの乙黒拓斗選手(フリースタイル65kg級・自衛隊)や文田健一郎選手(グレコローマン60kg級・ミキハウス)に期待しています。あとは、教え子でもある石黒隼士選手(スポーツ科・4年)。ジュニア世界選手権で優勝した実績がありますし、パリを目指して頑張っていますから、重量級は厳しい戦いになりますが代表には入ってこられる位置にいると思います。

― その中で、会長の使命というのは何だと思われますか?
とにかく伝統の火を絶やさないっていうこと、それだけですね。周りからは「自分の色を出せ」って言われますが、僕としては自然体にやっていき、仲間を大事にしていこうと。1人じゃ何もできませんし、特に我々は力がない。それを周りの方々が知っていて応援してくれていますから、今は和気あいあいとみんなで明るくやっています。2028年のロサンゼルス五輪の時に、僕は70歳になり定年なので、それまであと6年は集中してやって、日本のレスリングのために尽くしていくつもりです。そして、70歳を過ぎたら残りの人生を楽しみたいですね(笑)。

― ご活躍を期待しています。ありがとうございました。

Profile

富山 英明[とみやま・ひであき]
1957年生まれ。茨城県出身。土浦日大高卒。1980年文理学部卒。本学在学中の1978年から全日本選手権を7連覇し、1978・79年の世界選手権も連覇。1980年のモスクワ五輪は日本のボイコットにより幻の代表となったが、4年後のロサンゼルス五輪ではフリースタイル57kg級で金メダルを獲得。引退後は本学教員としてレスリング部のコーチ・監督を務める一方、五輪代表コーチ、日本レスリング協会強化委員長、アテネ五輪・北京五輪の代表監督として日本のメダル獲得に貢献。2014年からFILA理事、2019年から日本レスリング協会副会長を歴任し、東京2020五輪では選手村副村長を務める。2021年10月、福田前会長の後を受けて日本レスリング協会の会長に就任。日本総合格闘技協会理事、茨城県「いばらき大使」。本学では、2008年より生物資源科学部教授。2022年3月、24年間務めたレスリング部監督を退任。