令和5年度の卒業式で、学業成績優秀な学生に贈られる「学長賞」を受賞したアンナ ボルトニク選手(生物資源科学部・4年)。「もっと馬術競技を続けたい」という思いで単身来日し、日本語を学ぶところからスタートした約4年半の日々。その中で文武両道を実践し、ライダーとしても人としても大きく成長したアンナ選手に、日大での学びと思い出について聞いた。
(2024年3月取材)

人馬一体のチャレンジ、その集大成となった三大大会

昨年5月、アンナ選手はラストシーズンに向けての抱負を「これまで見つけた弱点を克服できるようにすることが目標。その先に結果がついてくればいい」と語っていた。その言葉通り、6月の関東学生馬術競技大会では、初日の障害馬術競技を桜艶(黒鹿毛20歳)とのコンビで優勝し、大学初のタイトルを獲得。さらに総合馬術競技でも、入学当初からコンビを組んできた桜彩(鹿毛13歳)と快走して勝利をつかみ、個人2冠に輝くとともに、団体戦での完全優勝&三種目総合13連覇に大きく貢献した。

 

「個人で優勝できたことは、想像していた以上にうれしかったです。今まで努力してきて、ようやく結果がついてきたなって思いました。ただ、1回できたからと言って2回目もできるわけではないので、上手くできたことを忘れずに練習を続けていくことが大事だと思っていました」

 

同時に「後輩たちの面倒を見たり、みんなを引っ張っていって、チームが良い成績を取れるようにすることが自分の役割」と、使命感も抱いていた。

そうした思いを持って臨んだ11月の全日本学生馬術三大大会。大学馬術部が最大の目標とするインカレで、アンナ選手は日大の出場選手で唯一の4年生として3種目に出走し、人馬一体の好走を見せて後輩たちを鼓舞し続けた。

 

個人では馬場馬術(&桜羽・黒鹿毛20歳)こそ14位に止まったが、障害馬術(&桜艶)6位、総合馬術(&桜彩)5位と入賞を果たし、主戦としてチームを総合馬術団体優勝と三種目団体総合の13連覇達成へと導いた。

 

「総合馬術で障害物を1つ落下させてしまい、優勝できずに悔しい思いをしました。しかし、試合後は悔しさよりも『ここまでやって来れたんだ』という気持ちの方が強かった」と話すアンナ選手。「4年前の私と桜彩の姿を思い返せば、ここまで来られるようになるとは想像できなかったですから。そういう意味で、単に1つの大会ということではなく、私たちの4年間の成長、集大成を見せることができた大会だったと思います」と振り返った。

 

さらに「桜彩に乗って結果も出せて、自分としては満足のいく1年でした」というアンナ選手の思い出は、「桜彩のプログレス(進化)」だと話す。

「桜彩には“忍耐”を学びました。『何でこれができない?』って思いながらも、『まだ時間が掛かるんだから』って、我慢と納得することが必要でした。だから、後輩たちに『アンナさんが桜彩に乗っている時は簡単に見えたけれど、乗ってみたらいくら頑張っても結果を出せない、難しいです』と言われた時はちょっとうれしかったで

すね」とはにかみながらも、「私がどれだけ頑張ってきたかは私しか知らないけれど、桜彩を全日本学生で優勝を争うところまで連れて行けたことが、私にとって一番うれしい出来事でした」と胸を張った。

 

桜彩は、ともに成長してきた思い入れの深いパートナーだっただけに、部活を引退して日々の世話も後輩に譲ることになった今は、一抹の寂しさもある。

「それもスポーツの一部だと思うので、受け入れるしかありません。たまに会いに行って、顔を触ってあげると、喜んでくれているのがわかります。これからは、後輩たちが桜彩といっしょに頑張ってくれることを期待しています」

日本に来ていなければこんなに深い経験はできなかった

日大馬術部で過ごした4年間で、学んだことは何かを尋ねると、アンナ選手は「チャレンジする気持ちと、フレキシブルに対応していく姿勢」と答えた。

 

「最後のゴールがどうなるか見えていなくても、最初の一歩を踏み出すことが大事。難しい時や辛い時、どうしたらいいか悩むような時でも、最後にどうなるかわからないのであれば、今できること、今それが良いと思うことをやってきました。馬たちと練習する時も、最後の理想的なゴールを思い描きながら、とりあえず最初の一歩をやってみて、もし間違っていたらやり方を変えてもいいというスタンスで取り組んできました」

 

それはまさに、言葉もわからない未知の国に一人で飛び込み、慣れない文化の中で試行錯誤してきたアンナ選手の姿勢そのものであると言えよう。

 

「日本がどんな国なのか、どんな文化なのか、4年過ごしてわかったところもあるし、全部が新しい経験でした。日本に来ていなかったら、こんなにいろんなことを深く経験することはなかったでしょうから、とても有意義な日々だったと思います」

 

部活の引退後は、フランスと日本の企業が共同経営する高級ベーカリー店でインターンシップを経験。「今まで全く知らなかった環境で、お客さまにサービスしたり、コミュニケーションしたりするのはとても新鮮でした」と振り返ったアンナ選手。高級店がゆえに振る舞いや話し方にも気を遣う必要があり、「周りの人のやり方を見て倣うようにしました。社会人としてのマナーも大変でしたが、部活を通じて学んだことが役立ったと思います」。

5月にはポーランドへ帰国。馬術競技からは離れ、日大と並行してオンラインで学んでいたフランスの大学院での勉強を続けながら、仕事を探すという。

「フランスでヤングライダーの時代が終わったあと、日本で馬術を続けるチャンスをもらって、引退を4年伸ばすことができました。4年間が終わったら『もういいかな』って考えていたので、今は満足しています。ポーランドには自分の馬を飼っています、競技に出るのも、乗馬関係の仕事をしていくのも難しいです。それよりも今は、世界とつながっている企業で、マネージメントやいろんな国の方に関われるような仕事をやってみたい」と、新たに芽生えた夢を語るアンナ選手。

「ポーランドなのか、フランスなのか、どこの国で就職することになるかはわかりませんが、いつの日か仕事で日本に来る機会があればいいですね。その時は、また桜彩に会いに行きたい」と微笑んだ。

Profile

Anna Bortnik[アンナ・ボルトニク]

1997年生まれ。ポーランド出身。Lycee St-Louis高(フランス)卒。2024年3月、生物資源科学部卒業。欧州で馬術大会に出場していたが、競技を継続するために来日。本学では1年次からレギュラーとして数々の大会に出場。’23年の関東学生三大大会・障害馬術と総合馬術で優勝を飾る。全日本学生三大大会も全種目で出走し、三種目総合団体13連覇へチームを牽引した。ポーランド語のほか英・仏・西・日の5カ国語を話す。

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