走幅跳の日本記録8m25cmが樹立されたのは1992年。
当時、本学文理学部に在学していた森長正樹教授が残したその記録は、27年の時を経た今、若きジャンパーによって破られようとしている。
4月、ドーハで行われたアジア陸上競技選手権大会で、橋岡優輝選手が日本記録まであと3cmに迫る8m22cmの大跳躍で優勝を飾り、9月の世界選手権(ドーハ)出場を決めた。
激闘を繰り広げたアジアの戦いを振り返った彼は、日本記録の更新と東京五輪を見据えている


*2019年5月取材時。8月に行われた「アスリートナイトゲームズイン福井」において、橋岡選手は従来の記録を7cm上回る8m22cmを跳び、27年ぶりの日本新記録をマークした。しかし、その後に城山正太郎選手が8m40cmを跳び、日本新記録はさらに更新された。

左:橋岡優輝選手(走幅跳・日本歴代2位)、右:森長正樹教授(走幅跳・日本記録保持者)

左:橋岡優輝選手(走幅跳・日本歴代2位)、右:森長正樹教授(走幅跳・日本記録保持者)

―― アジア選手権(ドーハ)優勝、おめでとうございます。現地は暑かったかと思うのですが、コンディショニングは大変でしたか?

橋岡 体調を整えるという面では特に苦労しなかったです。2月からフロリダで合宿をしていたこともあり、暑い環境には慣れていたので、そこまでコンディションを崩すようなことはありませんでした。あとは、比較的涼しい時間帯を選んで練習するなど、工夫していましたね。

森長 午前中から昼間にかけて練習していたら、気温が38度ほどまで上がった。とてもじゃないけど、練習を続けられる環境ではなかったので、夕方から取り組むように変えました。

 

―― 本番は良い状態で臨めましたか?

森長 体調は良かったと思うのですが、大会前に過ごしたアメリカで移動が多かったことや時差の影響などで、少し感覚がずれていたように見えました。それに加え、通常であれば、しっかり固定されているはずの踏切板が跳ぶ時に沈んだり、動いたりするという。練習場と本番の踏切板で素材も違いましたし、もう、ぶっつけ本番という感じでした。

橋岡 大会当日まで競技場に入ることができなかったので、踏切板のこともそこでわかりましたが、焦りはなかったです。決勝に向けてどのように調整していくべきか、落ち着いて考えていました。

―― 勝負と記録、どちらを重要視していましたか?

橋岡 どちらかというと勝負でしたね。勝てば世界選手権(9月・ドーハ)の参加標準記録を満たす扱いにもなるので、まずは勝つことが第一でした。

―― 予選の出来に関しては?

森長 1本目が7m50cmという、ここ数年であまり見ないような悪い記録でしたが、2本目で決勝進出を確定させる7m81cm。どうにか記録を伸ばすことができたので、少し調整すれば、翌日の決勝も戦えると思いました。

橋岡 跳躍のタイミングが合っていないと感じていたので、森長先生と相談しながら調整していきました。予選の段階ではまだ体が完璧ではなかったということもあり、そこを整えることができれば、決勝までに自然とタイミングも合ってきそうな感覚があったので、コンディションを合わせることに集中していましたね。

―― 決勝ではうまくアジャストできましたか?

橋岡 予選の時は踏切板に対して違和感を感じていたのですが、決勝では1本目から全く感じることなく跳躍できていました。

―― 4本目までトップで、5本目で中国の選手に抜かれて2位。最後の跳躍の前に考えたことは?

橋岡 自分の跳躍ができれば勝てるという自信があったので、特に気負いや焦りもなく、いつも通りの跳躍をすることだけを考えていました。

森長 5本目の助走が良くなくて、本来なら踏み切れないぐらい遠い所から跳んでいた。その部分を修正できれば6本目は記録が出ると思っていました。あとは、記録を抜かれた直後の跳躍ですし、本人がどれだけメンタルコントロールしてうまく立て直してきてくれるか、祈るような思いでした。

―― 6本目で8m22cmの自己ベストを記録。着地した瞬間の手応えは?

橋岡 砂場の横にある目盛りが読みづらく、跳んだ感触もあまり良くなかったので、着地した直後は素直に喜べませんでした。記録が表示されて「そんなに跳んでいたのか」という驚きもありながら、まだライバル選手の跳躍が控えていたので、緊張感が途切れることはありませんでした。

森長 私の印象としても、跳躍全体を通していつも通りではなかったように感じました。勢いはあったんですけど、彼本来の踏み切りでボンと体が上がるような形ではなく、低くつぶれたような跳躍。本人が納得していないように見えたので、ダメだったのかなと思いました。

アジア選手権で8m22cmの好記録を出し優勝。「あまりジャンプの感触は良くなかったのですが、勝つことができて自信につながりました」

アジア選手権で8m22cmの好記録を出し優勝。「あまりジャンプの感触は良くなかったのですが、勝つことができて自信につながりました」

―― 日本記録まであと3cmということは頭にありましたか?

橋岡 特にあの時は日本記録に対して何か思うことはなくて、とりあえず勝てたかなという気持ちでした。

森長 後から考えると、せっかくなら日本新記録までいければという気もしましたが、その時は勝つことが一番でしたし、跳躍の内容も良くない形での記録だったので、悔やむことではなかった。完璧な跳躍さえできれば、今シーズン中には日本記録に届くと思いますし。

 

―― 9月の世界選手権もドーハでの開催。今回の経験が生きる?

橋岡 アジアの中でしっかり勝ち切り、自己記録を更新して優勝することができた。その結果を残せた場所でもう一度試合をすれば、また、さらに良いところまでいけるんじゃないかという自信につながりました。

森長 踏切板などの問題がある中でも記録を残せましたし、その感覚が残っているはずですから、今度も対応していけると思います。各国の代表選手は対策に苦労するはずなので、この会場を一度経験しているのはとても大きいですね。

世界のトップレベルの選手と戦って勝ち切る。(橋岡)

―― 昨シーズンと今シーズンで何か変化はありましたか?

森長 昨年はU20世界選手権など、大きな大会でも好成績を収めてきましたが、技術面では春先から突然、跳び方が変わってしまったり、試行錯誤の1年でした。今年はその変わってしまった跳び方を少しずつ自分のものにしながら、今まで少し上のレベルにいた中国の選手に勝つことができた。これを第1ステップとして、来年、東京五輪に向けて世界選手権で入賞というのが次の目標になります。それが夢ではなく、実現可能なものになってきたほど、彼は成長してきていると思います。

橋岡 東京五輪の前年にあたるシーズンということもあり、良いプレッシャーを感じながら取り組んでいます。今年の成績が来年に対する自信の持ちようだったり、戦略的な部分にもつながってくると思うので、世界選手権などで結果を残すことが重要になると考えています。より一層、自分の記録や勝ち方に対して、意識を高く持つようになりましたね。

 

―― 同世代の選手の活躍については?

橋岡 昨シーズン、キューバの選手が8m68cm、中国の選手が8m43cmを跳んだりと、走幅跳は世界的に見ても同世代のレベルが高いと感じています。他の競技でも、先輩の北口榛花選手(女子やり投・スポーツ科学部4年)や江島雅紀選手(男子棒高跳・スポーツ科学部3年)などが活躍しています。そうした選手から刺激を受けることも多くありますし、今の陸上界がとてもおもしろくなっていると感じます。先日、北口選手が日本記録を更新しましたが、「令和初の日本新記録を先にやられた!」と思いました(笑)。

世界選手権入賞は夢や希望ではなく、達成できる目標。(森長)

―― 記録面での目標は?

橋岡 まずは今シーズン中に日本記録を更新して、東京五輪までに8m50cmを超えることが目標です。その先、8m70cmまでは必ず届きたい。良い記録を出せた時に、動きの感覚などを急につかめることができるかもしれませんが、まずは走力や技術、筋力の部分であったり、今できる練習をしっかりやっていけば、目標記録に到達できると思います。3月のアメリカ合宿でカール・ルイス氏からアドバイスをいただいたのですが、その内容が本当に世界のトップで戦ってきた選手の感覚的な部分でした。自分がまだ達していない領域の話でしたので、その感覚をつかむことができれば、人類初の9mも目指せると思います。

森長 本人が掲げている目標を達成して、日本記録が大幅に更新されることを望んでいます。私は現役時代、ルイスと共にトレーニングをしていた経験があるのでわかりますが、彼は一つひとつの練習を妥協せずに取り組む選手でした。橋岡君はまだスピードやパワーの面で足りていない部分もありますが、ルイスと同じように練習に対して自分で解決策を考えながら取り組むことができる資質を持っています。さらに、U20世界選手権やアジア選手権など、大舞台で逆転優勝をやってのける強さがあるので、もっと高みを目指せる選手だと思いますね。

橋岡 日本記録と東京五輪での活躍を目指して、これからも頑張ります。

Profile

橋岡 優輝[はしおか・ゆうき]
スポーツ科学部3年1999年生まれ。埼玉県出身。八王子高校卒。

中学校から陸上に取り組み、4種競技で全国出場。高校から走幅跳を始め、2015年、日本ユース陸上競技選手権大会で大会新記録を出して優勝。2016年はインターハイ、国体で優勝するなど、強さを見せつける。高校時代の勢いそのままに、本学入学後の2017年6月、日本選手権で優勝を飾る。2018年6月の日本選手権を2連覇、続く7月のU20世界選手権では唯一人8m台を跳び、同種目では日本人初となる金メダルを獲得。今シーズンはアジア陸上競技選手権大会(4月・ドーハ)で8m22cm(日本歴代2位)の跳躍を見せ、シニアの国際大会初優勝を飾り、世界選手権(9月・ドーハ)出場が決定。今、最も日本記録に近いジャンパーとして注目されている。
 

森長 正樹[もりなが・まさき]

 

日本の走幅跳の第一人者として活躍した森長正樹教授。現役時代は2度の五輪出場を果たす。

1972年生まれ。大阪府出身。文理学部卒。日大大学院文学研究科教育学専攻修士課程修了。スポーツ科学部教授、陸上競技部コーチ。日本の走幅跳の第一人者として活躍し、1989年にマークした高校記録(7m96cm)、1992年の日本記録(8m25cm)は今もなお破られていない。1992年バルセロナ五輪出場。1998年アジア選手権大会では日本人として28年ぶりの金メダルを獲得。2000年には2度目の五輪となるシドニー大会に出場するなど、長きにわたり国際舞台でしのぎを削ってきた。現在はスポーツ科学部で教鞭を執りながら、後進の育成に努めている。

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