日本大学相撲部で、4年生のインカレ個人で学生横綱に輝いた川副圭太(2022年・文理学部卒)。卒業後は元横綱・白鵬率いる宮城野部屋に幕下15枚目格付出で入門し、このたび晴れて新十両に昇進が決定。四股名を「輝鵬」と改めた。去る7月3日(火)、日本大学で行われた化粧まわしの贈呈式に、師匠とともに出席。林真理子理事長は「木﨑監督からも、将来大変な人気力士になることは間違いないとお聞きし期待しています。私どもが用意した化粧まわしをつけて土俵入りしてくださることを夢に見ています」と挨拶。酒井健夫学長は「1年生のときからレギュラーで、第99代学生横綱、本学出身55人目の関取。同窓として、非常にうれしく頼もしく思っています。親方に負けないような成績を残してください」とエールを送った。

小さかった学生時代 日大で力をつけ学生横綱へ

――贈呈式はいかがでしたか。ちょっと緊張しましたか?
輝鵬 めちゃくちゃ緊張しました(笑)。途中、話す事を忘れてしまって、化粧まわしを見て思い出したんですけど、焦りました。うれしかったです。

――改めておめでとうございます。まずは、日大相撲部での4年間の思い出を教えてください。
輝鵬 1年生からレギュラーに入れてもらっていましたが、小さくて全然勝てなかったので、体を大きくしようという気持ちに切り替わりました。体の細い1年生は、熊谷コーチが見ている前でごはんを食べるんですが、自分は2年生になってもずっと目の前で食べていました(苦笑)。でも、いま思えばそれがよかったです。相撲部にはトレーニング場もサウナもあって、すごく施設環境がいいのですが、その環境すらもうまく使えていなかったなと思って筋トレを始めました。そうしたら、体が一回り、二回り大きくなりました。3年生になって、東日本と全日本の無差別級で優勝、4年生で学生横綱もとれたので、ここがあったからこそいまがあると思います。大学4年間は良い思い出しかないです。

――力士になりたいと思ったのはいつ頃、なぜですか。
輝鵬 それが、実は全然思っていなかったんです。学校の先生とかになってアマチュアで続けようと、学生横綱になっても思っていたんですが、周りの人と話すうちに、7歳からここまで続けた相撲をやらないのも悔しいかなと思うようになりました。同級生の関取もいる中で、自分がどこまでの実力を出せるか試したかったし、こんなに小さくても勝てるんだというのを見せたい。最後の最後までプロに入るか悩んでいましたが、最後にプロ入りを決意しました。

――学生横綱にはなりましたが、団体戦は日本体育大学に負けて惜しくも準優勝でした。団体戦の悔しさが残ったのではないでしょうか。
輝鵬 2連覇していたので、自分たちの代で3連覇だと思っていました。当時は現在のキャプテン・副キャプテンである草野直哉(文理学部・4年)・川渕一意(文理学部・4年)、そして後に角界入りした自分と石岡弥輝也(2022年・法学部卒)、春山万太郎(2023年・スポーツ科学部卒)という申し分ないメンバーだったので、負けてめちゃくちゃ悔しかった。でも、次の年に後輩達が日体大を倒して優勝してくれたのがすごくうれしかったです。自分たちの分まで気持ちを受け継いでくれたんだなと思いました。

筋力と柔軟性 いまは両方を重視

――入門して約1年。アマチュアとプロの違いをどう感じていますか。
輝鵬 大学は、ある程度経験を積んだ人が技なども教わる場所でしたが、大相撲には中学を出て相撲経験のない人もいるので、前に押す稽古などの基礎を徹底します。番数もぶつかり稽古の数も違うので、プロに入って前に出る地力がつきました。それが、プロに入って一番よかったことですね。大学の稽古がきつくないわけじゃないけど、大相撲のほうがきついと思いました。大学でやっていたような筋トレを、いまはそこまでやっていないのに体が大きくなったし、相撲力がついてきたと思います。

――輝鵬関といえば、小さい体の内に秘める力強さ。ここのところさらに力がついてきていますね。
輝鵬 力がついている実感はありますし、自分のポリシーとして「小さいのになんでこんなに強いんだろう」って、相手を圧巻するような力士でいたいんです。捕まえられても動かない。その上で動きでも勝るように稽古しています。力強さがあるなかで、前みつを引いたりまわしを切ったりといった技や柔軟性が加われば、いままでになかった小兵力士が誕生すると思うので、そんな唯一無二の力士になりたいと思っています。

――ケガの経験もあると思いますが、ケガなく取るためにしていることは何かありますか。
輝鵬 ケガをするまでは、治療もテーピングも何もしてきませんでした。筋力ばかりつけて力相撲になってしまって、力で相手をねじ伏せようとして自分が折れてしまった。アマチュアと違って、何があってもプロには必ず2か月後に場所が来ます。時間は待ってくれないし、ケガをしたことで、やっぱりケアは大事なんだなと思いました。いまは、バランスボールに乗って体幹を鍛えたり、ダッシュやジャンプといった自然なトレーニングをしたりしていて、すごく体の調子がいいですね。

――これからも、「唯一無二」の小兵力士を目指して精進されると思います。最後に、卒業生として日大相撲部の現役生へのエールをお願いします。
輝鵬 いまの3・4年生は、今季の個人戦すべての大会で優勝しています。先輩が活躍すれば後輩もついていくので、キャプテン・副キャプテンにこのままどんどんチームを引っ張っていってほしい。今年も優勝して2連覇達成、そしてまた後輩たちがその背中を見て頑張っていけるような環境をつくっていってほしいなと思っています。

師匠・宮城野親方の談話

師匠・宮城野親方(第69代横綱 白鵬)

私と日本大学との縁は、山口(元幕内・大喜鵬)と石浦(現・間垣親方)が最初。鳥取県が私の父の故郷と姉妹都市であり、私は鳥取城北高校のアンバサダーを務めています。二人が鳥取城北高校から日大で活躍して宮城野部屋に入った。その頃からのご縁です。
川副との出会いは、彼が小学3年生のとき。その後、彼が中学3年生のときの第4回白鵬杯で優勝しました。その後の高校・大学での活躍も陰ながら応援していましたが、正直学生横綱になってほしくなかった。それは、活躍すればいろんな部屋が欲しがって、高校も大学も出ていないような私からのラブレターなんて届かないと思っていましたから(笑)。でも、宮城野部屋を選んで入ってきてくれた。うれしかったですね。
入門したときから「小さい白鵬」と言われていて、稽古場でもまるで自分を見ているようで、輝鵬の稽古を見るのが本当に楽しいです。普段は明るくて部屋のムードメーカー。部屋を引っ張ってくれる存在です。輝鵬は相撲スタイルが大きいので、体が小さいと感じさせない、そんな強さがあります。しっかりと体の力がありますから、ケガもしないと思いますよ。
付出から入って少し時間はかかったけど、5場所で関取をつかんだのは一安心でもあるし、今度からは15日間で、自分の思う相撲が気楽に取れるんじゃないかなと思っています。本人は「二桁勝ちたい」なんて言っていますが、ぜひ十両優勝を目指してほしい。部屋の後輩である伯桜鵬にも先を越されていて、私も伯桜鵬も十両は2場所通過でしたが、十両優勝すれば1場所で通過しますから、そういう強い気持ちで頑張ってほしいなと思います。

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