コロナ禍の20年に入学し、今春、晴れて卒業する女子サッカー部の4年生3人がそれぞれWEリーグ(女子プロサッカーリーグ)・なでしこリーグ1部に進む。三菱重工浦和レッズレディース内定の渡邉莉沙子選手(スポーツ科学部・4年)と大宮アルディージャVENTUS内定の牧野美優選手(商学部・4年)は国内最高峰のWEリーグに挑み、スフィーダ世田谷FC内定の藤原愛里選手(商学部・4年)は、なでしこリーグ1部が戦いの舞台となる。どんな時も『楽しむ』を忘れず、強くしなやかに成長し、狭き門をくぐり抜けた“なでしこ”たち。大学入学までエリートではなかった3人がどう歩みを進めてきたのか――。三者三様のストーリーを紹介する。

挫折を乗り越え、夢つかむ

渡邉選手は主将、FWとして藤原選手とともにチームトップのリーグ9ゴール【日本大学】

地元・埼玉県出身の渡邉選手は子どもの頃から憧れ続けた鮮やかな赤のユニフォームに袖を通す。内定した三菱重工浦和レッズレディースと言えば、22-23シーズンにWEリーグを制するなど、トッププロが集まる強豪。渡邉選手もエリート街道を歩んできたのかといえば、大きな挫折を経験してきた。

「私は中学時代、レッズレディースのジュニアユースに所属していたのですが、ユースに上がることができませんでした。サッカーを続ける選択をした高校でも当時のトップリーグだった、なでしこリーグを目指していたましたが、コンスタントに出られていたわけではありません。『サッカーを辞めてしまおうか』と悩んだ時期もありました」

試合に絡めなかったわけではないが、突出した成績を残せたわけでもない高校時代。そんな殻を破り切れない渡邉選手の転機となったのが日大進学だった。「練習参加させていただいて、サッカーを楽しむことを一番に感じられたのが決め手です」。高校の1学年上の先輩でもあるWEリーグASエルフェン埼玉の大沼歩加選手(23年文理学部卒)からもらった助言も後押しし、迷いなく入学を決めた。

入学当時の女子サッカー部は関東女子大学リーグ2部に所属。しかも、コロナ禍が始まったばかりで、思い描いていた大学生活はできず、自宅待機から始まった。それでも1年生から試合に抜擢されると、1年後にチームはリーグ1部に昇格する。2年生の21年には初めてインカレ出場を果たし、翌年にはベスト4に躍進する。主将となった最終学年はプロ、アマを含めた国内最高峰トーナメントである皇后杯で初めて本戦にまで駒を進めた。

チームが順調に右肩上がりの成長曲線を描く中、ストライカーの渡邉選手もサッカーを楽しむことで眠っていた得点能力を開花させる。その実力を皆から認められて、4年時には主将に就任。「背中で引っ張り、点を決めてくれる頼りになるキャプテン」(牧野選手)、「一番にチームを考え、勝たせてくる」(藤原選手)。全方位に気を遣いながら背中と行動で示す渡邉選手なりのリーダー像を築き、チームを引っ張ってきた。

「この4年生たちは日大女子サッカー部の歴史を作った世代」とは持田紀与美監督。それでも渡邉選手が紡ぐ言葉は謙虚だ。

「自分たち3人は入学した当初から試合に出ることができました。ですので、自分たちが作ってきた歴史でもあります。ただ、それができたのも先輩たちが“日大”の形を作り上げてくれたからこそ。先輩や監督をはじめ、仲間には感謝しかありません」

そして、次に足を踏み入れるのは猛者揃いのWEリーグ。その上、三菱重工浦和レッズレディースでは日本代表や有名選手らとしのぎを削らなければならない。

「レッズレディースは去年、リーグ優勝していますし、今年の皇后杯も決勝までいきました。一人一人の技術レベルが高く、不安はありますが、それ以上に自分がレベルの高い中で力を出せるのか、というワクワク感があります。自分には、どこからでもシュートを狙う自分にしかない強みがあります。弱気にならず、そこは自信を持って出し切って貢献したいですね」

プロではまずリーグ戦のピッチに立つことが最初の目標となる。そしてこう続ける。「将来的には菅澤優衣香さんや安藤梢さんのようにエースと呼ばれる選手になりたいです」。尊敬する先輩の名前を迷いなく挙げ、澄んだ目でまっすぐ前を見据えた。

自分を信じて手にしたプロ切符

「正直、サッカーを続けることしか考えてなくて、オファーを頂けた時は嬉しいという感情よりかホッとしました」

ケガに見舞われながらも、自分を信じ続けて夢のプロへの切符を手にしたのが牧野選手。大宮アルディージャVENTUSから内定が出たのは、卒業を半年後に控える昨年10月だった。

「就職活動もほぼしていませんでした。幸いなことに一番の上のリーグにいくことができましたが、最悪、どのカテゴリーでもいいからサッカーは続けたかった。続けていれば可能性はあるという考えで日々過ごしていました」

アクシデントもあった。サッカー選手としての“就職活動”の場は公式戦と練習参加。ところが、牧野選手は昨年6月、大学のリーグ戦で肩鎖関節亜脱臼のケガを負い、約1カ月後の皇后杯東京都予選決勝で復帰したものの、今度は足を踏まれて、またも交代を余儀なくされた。そこから3カ月間はリハビリを続けながら、チームのサポート役に回った。

「昨夏にトータルで4カ月ぐらいケガをしてしまったので、練習参加はできないし、試合も見てもらえないので、当然、オファーも頂けない状況が続いていました。大宮アルディージャVENTUSの練習に参加したのは5月と10月の2度ですが、その間に監督が交代したのもあって10月にオファーを頂くことができました」

ケガの期間に周囲に支えられていることを実感。さらに強くなり戦線に復帰したと話す牧野選手【日本大学】

大宮アルディージャVENTUSは23-24シーズンWEリーグ第7節終了時点で5位。元日本代表の鮫島彩や阪口萌乃ら有名選手も所属する中、牧野選手はすでに“お客さま”の気持ちからプロのマインドに切り替えている。

「プロになるのは夢でしたが、いつまでもそう思っていれば、試合に出ることはできません。もう練習生の気分でいるのではなく、試合に出て活躍することを考えて、チームを引っ張る勢いで頑張りたいです」

ポジションがボランチの牧野選手の武器は、高精度のキックと広い視野。プロのピッチに立つにはそれをさらにブラッシュアップすることが一番の近道だと考え、ピッチ上でのイメージも膨らます。

「360度、敵に囲まれてプレーできるのが強みです。ただ、プレッシャーを感じてしまって消極的になったり、視野が狭くなってしまったりしまうこともあるので、自分の強みを最大限出せるように練習していきたいです。VENTUSのつなぐサッカーは好きですが、下でつなぐだけではゴールに向かえません。相手を引き寄せて、ロングキックで背後を狙ったり、自分が一番遠くを見られるようにやっていきたいです」

大宮アルディージャVENTUSの本拠地は埼玉県。「根っからの“レッズサポーター”」と語る三菱重工浦和レッズレディースとの“埼玉ダービー”では、渡邉選手との同期対決も期待される。

「最初はお互い試合に出場するのは難しいとは思いますが、最終的でピッチ上で会えればうれしいですね」

在学中から母校・十文字高校の恩師が代表を務める女性アスリート支援メディアのアンバサダーも務める牧野選手。日大OGの新たな女性アスリート像を築く可能性を秘める存在でもある。

就活で気付き。なでしこリーグへ

入学当初からプロ志望だった渡邉選手と牧野選手とは異なり、藤原選手はさまざまな葛藤と独自のプロセスを経てプロの舞台にたどりついた。

「自分は元々、サッカーを辞める予定で就職活動をしていました。皆よりもサッカーを続ける決断をしたのも、練習会に参加したのも遅かったです」

慣れないリクルートスーツを着て就職活動をする中、物足りなさを感じるとともに、「サッカーが好きだし、続けたい」という想いが徐々に膨らんでいった。決め手となったのは昨年7月、志望した企業からの内定通知だった。

持ち前の天真爛漫さ、スピードが持ち味の藤原選手【日本大学】

「実際に自分が働く姿を想像してから大きく気持ちが変わりました。やはり内定を頂いた企業で自分が働くイメージがつかず、社会人になっても好きなことをしていきたい気持ちがどんどん強くなり、サッカーを続ける決断をしました」

 

ただ、4年生の夏と言えば、他のプロ志望の選手たちの大半はすでに練習会の参加を終え、受け入れる側のクラブも内定を出し始める時期。多くの選択肢があったわけではない。それでも、持田監督が仲介してくれたクラブを中心にいくつかの練習会に参加し、秋風も冷たくなった昨年11月、とうとうスフィーダ世田谷FCからの内定をつかんだ。

「練習会に参加したクラブの中で、最もスフィーダが自分を評価してくれました。サッカースタイルも自分に合っています。自分を評価してくれるチームに行きたかったので、素直に嬉しかったですし、進路が決まって安心した気持ちも大きかったです」

もちろんプロの世界には技術的、フィジカル的な素養がなければ、辿り着くことはできない。その前提の上で、藤原選手は就職活動という人生の分岐点でいま一度、自分を見つめ直すことで本心に気付き、自らの実力で道を切り拓いた。

藤原選手のポジションは左サイドハーフ。渡邉選手と牧野選手が「スピードスター」と口を揃えるチーム随一の俊足を誇り、得点力も兼ね備えるアタッカーだ。それらの武器はプロでも十分、通用すると自負する。

「スフィーダは昨季終了後に退団した選手が多く、ガラッとチームが変わったので、いまがスタメンを取るチャンスです。まずは3月に開幕するリーグ戦でデビューしたいですし、将来的にはリーグ優勝を狙っているチームなので、その力になることが目標です」

スフィーダ世田谷FCのなでしこリーグ1部は、WEリーグと繋がりのない独立したリーグ。将来的にトップリーグへの移籍を見据えるのか思いきや、「今は、WEリーグのことは考えていません。まずはスフィーダで頑張ります」とキッパリ。現状では渡邉選手、牧野選手とピッチ上で再会できる可能性があるのは皇后杯の舞台だけに、「勝ち上がって2人と戦えればうれしいですね」と心待ちにする。

「サッカーを楽しみたいタイプ」と語る藤原選手。進路の大きな方針転換を決断し、大好きなサッカーを続けられる環境を手に入れたその心は弾んでいる。

創部8年目でプロ3人輩出

23年度で創部8年目と歴史の浅い女子サッカー部から2年連続でWEリーガーを輩出し、3人がプロの世界に飛び立つ。その源泉となったのが、『サッカーを楽しむ』というチームコンセプト。持田監督は言う。

「サッカーを嫌いになったら続けられないですし、好きでい続けることは簡単ではありません。彼女たちも全員が高校の時に試合に出られていたわけじゃないし、そこまで強い高校の出身ではない子もいます。それでも、この4年間、サッカーを好きでいてくれて、楽しめた環境が良かったのだと思います」

ただ、ともすれば、『楽しむ』は誤解されやすいワードでもある。「楽しむためには、思い通りにいかなければ、楽しめません。試合で笑えるのは勝った時だし、点を取った時。『楽しいのはいいけど、いい加減なプレー、ふざけたプレーは違う』ということは常々、釘を刺しています」

 

長い目で見れば、女子サッカー部の歴史はまだ緒に就いたばかり。それでも、『勝負』と『楽しむ』を両立しながら、たゆみのない歩みを続ける部の未来は明るい。

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