ボランティアとして参加した東京オリンピック、その年に大学に入学した理由とは

垂見麻衣さん(通信教育部商学部商業学科1年)【後編】

取り組み・活動
2021年11月02日

会社員であり二児の母である垂見麻衣さん。ボランティアとして働くことが決まっていた東京オリンピック・パラリンピックを控え、今年4月、通信教育部に入学した。

留学先のカナダでの経験が今回のボランティア応募につながり、そのことがこのタイミングでの大学入学を決意させた。そして大会を終えて垂見さんには大きな夢が生まれた。

中学生が自分の意思で留学を決めた

「海外の人と交流をしたかったし、日本の中にいたのでは視野が狭くなってしまうと思いました。国際的な感覚を身に着けて、将来はそういうジャンルの仕事に就きたいという意思が強かったんです」

これが中学生当時の垂見さんの思いである。
広島県に生まれた垂見さんは、フィリピンに留学、その後、カナダに渡り高校を卒業した。留学は自分の意思だった。アメリカだと時差もあり不安なので近場にして欲しいという両親の希望で、最初はフィリピンを選んだ。カナダに移って高校を卒業した。

東京オリンピック、パラリンピックで使用した垂見さんのボランティアID証。

東京オリンピック、パラリンピックで使用した垂見さんのボランティアID証。ボランティア仲間や海外の関係者らと沢山のピンバッジを交換した。

それにしても中学生とは思えない判断であり行動力だ。一人っ子でもあり、両親も相当の覚悟で送り出しただろう。特に外国人や海外の情報に接する機会が多い環境で育ったわけではないが、海外のポストカードや切手を集めるのが趣味で、手紙をやり取りするペンパルもいたという。

「小さい時から、いろんな人に関わってみたいなとか、世界中に友だちが欲しい、100人欲しいと思っていました。親も大変でしたよね。自分が親になって初めて思いました。すごくやんちゃな子だったんだなって(笑)」

当時は将来国連で働きたいと思っていた。漠然と、国際的な仕事の「一番てっぺん」が国連だと思ったのだ。

次の目標は2028年ロサンゼルスオリンピック

帰国後は、両親からは国内の大学への進学を勧められたが、働いてみたいという気持ちが強く、東京で英語を活かせる会社に就職した。その後、転職を経て、現在も社会人として働いている。英語力を活かした海外の文書の翻訳や、営業のサポートが職務である。

そして、子育て中でもある。今夏のオリンピック、パラリンピックでボランティアを務めることは招致段階から決めており、2018年に参加が決まって、ボランティア仲間との交流や自主的な研修も始めていた。忙しい生活がさらに忙しくなる年に、大学に入学することにした動機は何だろうか。

垂見麻衣さんの取材の様子

「実はずっと前から大学に行きたかったんです。もっと自分の学びを深めて今の仕事にも活かしたいし、これまで転職の時に、海外の学歴だと査定がしにくいといくつかの企業で言われたことがあり、転職のチャンスがあっても学歴がネックになって踏み出せないこともありました。自分がこれを学びたくて学びましたと言えるものがあった方がいい、とも思いました。長い間子どもが大きくなってからでもいいかなと思っていたのですが、この話をボランティアの仲間にしたら、『4年で卒業した時の年齢やビジョンを考えた方がいい、動きたくても動けなくなるよ』と言われました。それでなるべく早く動いた方が自分のためにもなると思ったんです」

これまで仕事をしてきて実務で学んだものも多いが、それを証明するものはなく、やはり大卒という学歴の重要性を感じていたという。

転職については、今回のオリンピック・パラリンピックでボランティアを務めた経験を踏まえて、はっきりとした目標ができた。「2028年ロサンゼルスオリンピックの組織員会を目指しています」という大きな夢だ。

「今回の大会をきっかけにそう思えるようになりました。大会関係者の方にシフトがうまくいかないなどの悩みを相談されて、こうしたらどうかなと一緒に考えたり、ボランティアの人にも初めてで動きが分からないと言われてアドバイスしたりして、みんなの「ありがとう」に活動へのやりがいを感じましたし、仲間と一緒に作っていく喜びがありました。ボランティアとして参加してすごく楽しかったんですけど、もっと大会に寄り添った貢献できるかも?とも思って……オリンピックの価値に魅せられて、今度は組織委員として大会を支える仕事がしたいと思っています。そして、その前に大阪万博(2025年)では、このボランティアでの経験を活かし、日本のおもてなしを世界発信していき、世界の人と感動と笑顔をシェアし、イベントを支える活動をしていきたいと考えています。世界の多くの方からの日本って素敵な国だなって思ってもらえる、そんな活動をこれからも続けていきたいですね。そして、その為にも、しっかり学修し、広い視野で活動できるように準備をしていきたいと思っています。」

もちろん具体的にその仕事に就く道を探すのはこれからで、まったく白紙だが、それを目指すためにも大卒という学歴の必要性をますます感じており、何としても卒業すると心に誓っている。

「自主創造」にも直結するボランティア活動

大学進学にあたっては、本学通信教育部以外はほぼ考えなかったそうだ。

「オンライン授業が他の大学より多いのがすごく魅力でした。また、自分の取りたい科目を他学部からも取れるというシステムも大きかったです。4年間商業だけではなく、上の学年になったときに興味を持った教科をいろいろ学べるのは魅力でした。」

通常なら対面での授業もあるのだが、コロナ禍であり、これまで一度も対面での授業は経験していない。忙しく家も近くはない垂見さんにとっては逆に好条件で、コロナ禍の今年はチャンスだったとも言える。コロナ禍が治まって対面授業が始まったら、会社は仕事を調整してテレワークにして通う予定だという。

他の学生と交流する機会も少ないが、垂見さんは「日本大学 学生FD CHAmmiT」の学生スタッフとして活動しており、オンラインではあるが若い学生たちの意見に触れる機会がある。

「画面でしかまだ会えてないんですけれど、それぞれの思いがすごく伝わるんです。年齢も違うので、みんながどう考えているのか最初は全く分からなかったのですが、日本大学の自主創造の精神をみんなが持っていて、それぞれ自分のフィールドで輝いているんだなと感じます。『あっ、こんなふうにみんなやってるんだな、考えてるんだな。そのお陰もあって自分ももっとできるフィールドでやってみよう』という気持ちになります。すごくいい刺激を受けています」

今回の自分の経験から、若い学生たちにもボランティア活動、とくにスポーツボランティアをぜひ勧めたいという。

「ボランティアにも福祉や災害などいろいろありますが、スポーツボランティアは、自分も楽しめるし相手も楽しませられる、その楽しみの部分も大きいです。もちろんその競技が好きな人は選手も近いのでワクワクが止まらないと思います。そして、その楽しさや感動を、年齢を問わず仲間と共感できる事。人脈を広げることにもつながります。さらには、ボランティア活動というのは自分から進んで何かしていかなければ始まらないことが多いので、日本大学が大切にする自主性にもつながると思います。確かにボランティアでは単位ももらえないし、交通費も大体1,000円程度しか支給されませんが、それ以上に必ず何か得るものはあります。スポーツの競技を知らなくても、参加することで感動して新しく始まることもあるので、ぜひ勧めたいです」

自分で留学を決めた中学時代から、自分にできるかなと考える前に挑戦してきた垂見さん。大学という新しいフィールドに踏み出し、ボランティア活動を通じて新たな目標ができたことで、その毎日はさらに輝きが増しているようだ。

「勉強もあるし、ボランティアもあるし、仕事もあるし、育児もある。何足のわらじですか?と言われますが、全部楽しいんですね。諦めたら終わりかなと思うので、やってみたいことはやってみようかなと。ぶち当たってみて、失敗すればちょっとまた引き戻してやり直して、それでもダメなら誰かに相談して、これからも歩んでいこうと思います」

<プロフィール>

垂見麻衣(たるみ・まい)さん
通信教育部商学部商業学科1年。広島県出身茨城県在住。フィリピンやカナダへ留学。留学経験で培った語学を活かし現在も社会人として働いている。2021年に通信教育部商学部商業学科に入学、夏には以前からの念願であった東京オリンピック、パラリンピックのボランティアを務めた。オリンピック後もボランティアグループで、東京2020大会実現に尽力し、大会を支えてくれた全ての人たちに感謝の意を伝えるプロジェクトを立ち上げている。