まちづくりの現場を見た復興・創生インターンシップが、その後の学びの原動力に
地元の人々の熱意と覚悟に触れた1か月
1年次生の時、長期休暇の1か月間を利用し、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の復興・創生に関わるインターンシップに参加しました。そこで携わったのは、地元の企業が行っていた、海藻の陸上養殖を目指すプロジェクトです。復興途中の町にとって、社会の基盤となる事業を創ることは、街に活気を取り戻す上で重要な意味を持っています。現地では、事業の進め方やまちづくりのいろはを学ぶ日々。特に、企業や自治体の方々の熱意と覚悟あふれる姿が印象的で、南三陸町の未来を思う強い気持ちを目の当たりにしました。また、多くの知識が必要となる場面が多く、まだまだ学ぶべきことがあると痛感。この経験を経て、都市政策を研究するゼミナールに所属を決め、自治体の政策やその効果などについて学びを深めています。

コロナ禍で失った留学の機会。諦めずにチャンスを獲得
高校生の時から留学に対する憧れがあり、さらに多くの知識や経験を積むために派遣留学の枠を獲得したのですが、新型コロナウイルス感染症の拡大により頓挫してしまいました。失意は大きかったのですが、状況が落ち着いた頃、第二外国語(ドイツ語)の先生がオーストリア政府給費留学生という国費留学の制度を紹介してくださり、選考の末、オーストリアに留学するチャンスに恵まれました。ただ、留学先の大学は自分で決める必要があったため、インターネットなどで大学や研究などの情報収集を行い、直接教授にコンタクトをとることに。その結果、運良くウィーン大学で都市社会学を専門に研究活動を行う教授から留学の受け入れ許可をいただき、晴れて留学の切符をつかむことができました。実はドイツ語の先生も学生時代に同じ制度を利用してウィーン大学に留学されていました。このようなきっかけを作ってくださったことに本当に感謝しています。

自ら日本を飛び出してヨーロッパへ。新しい視点で街の役割を考える
ベンチの観察から、ウィーンのまちづくりの秘訣を探る
ウィーンは世界の中でも都市環境が高く評価されている都市です。その理由や独自の都市政策について研究したいと思い、大学ではさまざまな授業を受講しました。中でも印象に残っているのは、「Urban Seating(アーバンシーティング)」という、街のベンチを観察し、そこで過ごす人々の様子を分析するという授業です。一連の観察から、ウィーンの人々は公共の空間でもプライベートな時間を自由に過ごしていることを発見しました。そのほかにも現地の生活から感じるのは、街中でレジャーやイベントを楽しむ人が多いということ。その背景には、公共イベントの開催頻度の高さやベンチの設置数の多さなど、都市政策の観点から工夫があると学びました。

誰もが居心地のよい空間づくり。その深奥を目指して
留学から帰国した今、市民が愛着を持てるまちづくりについて関心が湧き、ドイツで提唱された「公共圏」というテーマで卒業論文を執筆しています。公共圏とは、市民が自由に意見を交換できる空間のこと。そういった場が自治体で設けられることで、市民の市政参加にどう影響するのかを明らかにしたいと考えています。今後の進路はまだ検討中ですが、いつかは研究のフィールドに戻りたいというのが今の思いです。まちづくりに関する新たな発見を社会にもたらし、学問の発展にも貢献したいです。
自主創造の歩み
銭湯を営む実家で育ち、地域が身近な環境で育つ
幼い頃から地元の人々との交流が深く、80代のおばあちゃんと大の仲良しということも。地域に育てられたからこそ、自然と街や都市づくりに対する関心が芽生えた。
復興・創生インターンシップに参加。街づくりの現場を知る。
授業をきっかけに復興庁が主催のインターンシップ(現在は終了)に参加。初めてのフィールドワークで、自らの知識不足も目の当たりにし、さらに学びたいという思いが強まる。
ウィーン大学に2年間の留学へ行く
ウィーンという街を知る。文化によって街での過ごし方も大きく異なると学び、日本との違いに興味を持つ。アクティブな友人たちと出会い、その日の気分でドナウ川に泳ぎに行くことも。
社会に出た後も、いつかは研究の場に戻りたい
大学生活を通して学ぶことの楽しさを実感。今後の進路に関わらず、いつかは研究機関で知的好奇心のまま研究に没頭したいと考える。