留学・国際交流
ヨハネス・グーテンベルク大学 矢野龍世さん(法学部)
ヨハネス・グーテンベルク大学交換留学報告書
大阪府大阪市阿倍野区にある阿倍野区役所のエアコンが効いた窓口のあたりは、予約を取らずにぞろぞろと押し掛けた高齢の人が係員に詰め寄っています。無機質な機械音で呼び出される番号を待つ老若男女は、ほとんど全員が、薄青いソファーに座りながらパリオリンピックのサッカー日本対イスラエルの再放送を見ています。予約無しに役所を訪れられること、オリンピックがどの競技も盛り上がっていることから、ドイツではなく日本にいるのだなと思わされます。
思い返せば今回の派遣交換留学では多くの事を学びました。もちろん専攻科目やドイツ語、英語など実用的な知識の面でもたくさんのことを得ましたが、そういったものだけではなく、日本にいるときから知っている物事が、ドイツでの経験を通してより深まっていったことは、何物にも代えがたいことだったと思います。具体的には、文化的背景が異なれば考え方が違うということを知っていても、実際に異国の地でそのことに直に触れることでその知識が腑に落ちたり、言葉が違っていても話し合えば理解し合えることを分かっていても、いざそのことを経験したときに納得できたりすることです。そういった頭の中では分かっている知識と実際に触れてみるという経験とを一致させることのできたことが、今回の留学を通して最も大きな学びだったと思います。
さて、今回の交換留学報告書においては、将来留学を志す後輩たちの参考になる情報を書いてくださいと指示が出ています。そのため、今回のこの留学報告書では、留学を「志している」というよりは、むしろ留学を「迷って」いたり、「悩んで」いたりする後輩にむけた文章を書きたいなと思います。
まず大前提として、交換留学選考試験については、志していようと悩んでいようと、どの段階にいてもとりあえず準備しておくことをおすすめします。特に語学検定のレベルによって足切りがあるので、提出期限に間に合うように試験日程等を確認しておきましょう。そして、留学志望書についても厳しい基準で判断されるので、ゼミの先生等に協力してもらいながら準備をしておくと良いと思います。仮に留学選考試験を受けないことにしても、文章を書く練習になりますし、就活のエントリーシートでも活きてくると思います。
次に、悩んでいる人の最もネックになる部分であろう金銭面についてです。まず、ドイツ語圏は留学先の中でも最もお金がかからない留学先だと思います。派遣交換留学のため学費はかかりませんし、ドイツ中移動し放題の無料交通パスもついてきます。外食費はかなり高いですが、自炊をすれば食費は日本と変わりません。私個人の例で言うと、東京で一人暮らしをしていたときに比べて、むしろドイツの方が安く済みました。ドイツの寮費と水道光熱費は、東京の下宿代と水道光熱費を合わせたよりも安かったです。なので、基本的には日本より安い生活圏だと言って大丈夫だと思います 。
それでもやはり、金銭面での不安はあると思います。私自身も家庭の事情から家族にあまり多くを頼ることができず、初期費用を自分で捻出することもありました。そんな中で留学に向けて背中を押してくれたのは、奨学金の存在です。派遣交換留学の場合には様々な奨学金に申請することができたり、現地の学術振興会からも寮費が補填されたりします。トビタテ奨学生や業務スーパー奨学金に合格することができれば、より多くの金銭補助を手に入れることができます。なので、もちろんお金の問題は不安がありますが、なんとかなります。
続いて悩みになる部分は、生活面でやっていけるのかどうかでしょう。特に、一人暮らしの経験がなかったり、家族との関係性が上手くいっていたりする場合には難しい問題かもしれません。しかし、これもなんとかなります。マインツにいた他の日本人留学生の中には、一人暮らし経験がないだけではなく、自分で料理も洗濯もしたことがない学生が何人もいました。それでも、彼ら彼女らは何とかやっていました。むしろその中には、料理が趣味になったという人がいるくらいでした。また、家族との関わりも、インターネットの発達によって、毎日連絡をとることができます。定期的にテレビ電話をしたり、何かの記念日にはZOOMを繋いで一緒に食事をしたりしている人もいました。なので、なんとかなります。
そしてもうひとつ悩みになる部分は、高くない語学運用能力で日常や学校でやっていけるのかどうかです。答えは簡単です。これについてもなんとかなります。分かりやすい例を出してみましょう。皆さんがコンビニやスーパーに行った際に出会う店員さんの中には、留学生や外国の人が少なくないのではないでしょうか。実際、私が東京で働いていた牛丼チェーンでは従業員の7割以上が留学生でした。そんな彼らの中には、日本語能力試験を一切持っていない状態で日本に来る人もいました。コミュニケーションを取ることが非常に難しかったですが、それでもなんとかやれてしまうのです。では、私たちはどうでしょう。少なくとも語学試験をパスして留学選考試験を受けるのですから、おおよそ彼ら彼女らよりも、高い語学力で留学先に行くわけです。なんとかなると思えませんか。
そして、ドイツでは基本的に英語が通じます。仮にドイツ語が厳しくても、英語でなら行きたい場所や買いたいものを伝えられる気がしませんか。むしろ、大学内の留学生ではドイツ語能力が皆無の学生もかなり多くいます。だからこそ、そこまで語学に不安を持つ必要性はないのです。(もちろん、勉強はしましょうね。)
以上が、留学に「悩んで」いたり、「迷って」いたりする後輩に向けてのメッセージです。とりあえず、挑戦してみましょう!なんとかなります!頑張り過ぎないように頑張ってください!
2024年7月3日
初夏の訪れを告げたパステルグリーンの大麦畑はもう既に目にすることもなくなり、ひげの部分で太陽を透過していながら実の部分でそれを反射している黄金色の穂が盛夏の歩みのその早さを知らせています。つい先日まで強烈なほどの甘酸っぱい香りを放っていた苺畑は、真夏近くの乾いたぬるい風に全てが吹き飛ばされてしまったかのように、何もかも無くなっていました。その乾燥している色味を帯びたマインツの風景を見て私は、新しい季節の訪れと共に帰国日が刻々と近づいていることを再認識しています。
6月上旬には、「日本の日」というイベントがデュッセルドルフで開催されていたので、日本人留学生と共に訪れてきました。このイベントは毎年数十万人の来訪者があるイベントで、世界各国の日本関連イベントと比較しても、その人数の面で圧倒的に多いものとなっています。このイベントの会場にいるときに私たちが日本語で話していると、日本語で話しかけてくれるドイツの方々がたくさんいました。「日本」という国の持つ文化が、こうして海外でも好意的に受け入れられているという事実を目の当たりにし、日本文化の可能性の高さを再認識しました。
6月中旬には、マインツで「ヨハニスナハト」という毎年恒例の夏祭りが開催されていました。最終日の夜にはライン川上で船から花火が打ち上げられるということもあり、友人とビールを片手に花火を鑑賞してきました。日本の花火大会と比較すると打ち上げられる数も大きさもかなり小さいものですが、1年半生活してきたマインツで最後の花火だと思うと感慨深いものがありました。一緒に花火を見ていた中のひとりが、花火の上がる空を飛ぶ飛行機を見ながら、「もう1か月くらいで、私たちもあれのどれかに乗っているんだよ。」と言ったのを聞いて、一気に帰国への実感が湧いたのを覚えています。
さて、月例報告最終回も例に漏れず気象の話をします。6月20日は、北半球の夏至でした。当日のマインツの日の出時刻は5時17分、日没時刻は21時40分で、日照時間は16時間23分でした。とはいえ、朝焼けと夕焼けの時間が日本に比べてかなり長いので、体感としては3時半から22時半ごろまでは、室内の電気をつける必要が無いくらいに明るかったです。また、近頃は晴れた日の気温差が激しく、最高気温が30度前後、最低気温が一桁から10度前後と、20度近くあります。一方で雨の日になると最高最低気温ともに20度前後と安定しているのですが、とはいえ、服装を決めるのがかなり難しい状況です。昨年の同じころには、雨が全く降らず晴れていて気温差だけがある状態だったので、活動時間に合わせて服装を決定すればよかったのですが、今年は天気予報をかなり入念に確認して決定しています。
これにて、月例報告という形式でレポートを書くのは最後になりました。来月の今頃は、エアコンの効いた室内でゴロゴロしながらアイスでもかじっているのなと思うと帰国に向けて少し気が急いてくるような感じもしますが、まだ留学それ自体は20日ほど残っています。日照時間と共に睡眠の量と質がかなり悪くなっていたので気力体力ともに限界近い状況ですが、泣き言を言っていられる余裕もありません。この3週間は意地でも時間に食らいついていきたいと思います。今月も頑張ります。
2024年6月3日
冬の休耕により干からびて色を失っていた農地は、ことごとく耕され力強い茶色を取り戻したかと思えば、あっという間に農作物によって揺れる緑へと移り変えられました。寮や大学の道の脇に設置されている花壇の薔薇も白や赤や薄紅色の花々を咲かせ、その濃くて甘い香りとその匂いに誘われた虫たちの到来が初夏の訪れを感じさせます。
5月の半ばには、ドイツの国営放送が制作しているショートムービーに日本人男性役として出演してきました。その映像作品は、ドイツで出版されている書籍を紹介する目的で作られているもので、今回の映像化作品が日本の小説であったことから、放送局が大学を通して日本人男性を募集していていました。そのため、せっかくの機会だと思い応募してみたところ、撮影に参加させてもらえることになりました。ドラマの撮影に参加するという日本でも経験したことのないことが経験できて興味深かったのと同時に、テレビっ子だった私は映像制作というものの裏側を知ることができてとても面白かったです。映像の完成はまだなのですが、どういう風に編集されてどういう風に作品になるのかが非常に楽しみです。
5月下旬には、マインツのライン川沿いでビール祭りが開催されていたので、友人を誘って参加してきました。ヨーロッパを中心に世界中のビールが集まっているお祭りだったのですが、発酵、醸造方法や原材料の種類によって味が違うのはもちろん、その国々によっても味が違いとても面白かったです。とはいえ、5月中に円安が大きく進み1€=170円を超えてしまったために懐事情が厳しくなってきている私は、それぞれビールが1杯850円から1020円かと思うと、少し甘めのビールですらもその味わいの苦さがより苦く感じられるように思いました。という冗談はさておき、こちらに来てからビールに対する解像度がより上がっていると思います。何かに対して少しずつ知識を得ていくことは、全くお金にならないようなものであっても人生を豊かにしてくれるので、どんどんと吸収していきたいなと思います。
さて、日照時間がとうとう16時間を超えました。6月20日に夏至が控えているとはいえ、この太陽の長さになってくると夜の暗い時間が短いため、どんどん睡眠の質が下がってきています。他の日本人の話を聞いていると、熟睡できている人とできていない人に分かれていますが、私自身は法学部枠で留学していた去年に比べてまだ睡眠が取れている方なので、このまま最後まで体調を崩さずに乗り越えたいと思います。
まだまだ曇りがちで長袖を手放せない天気なので、乾燥して雨が降らないドイツの夏という感じはしませんが、今月中にはそうなると思われます。その天気の良さと日の長さを最大限活かして、今月も頑張ります。
2024年5月3日
4月上旬に平年とは異なる早さで夏日を迎えたドイツの春は、白から薄紅色、濃桃色の八重桜の開花をかなり早め、あっという間に満開となりました。そして例年通りの非常に変わりやすい気候となった4月中旬には、雨、雪、曇り、晴れと一日の中で目まぐるしく変わる空模様によって、全ての花びらたちが流されてしまいました。春が過ぎて夏が来ようとしているのをひどく実感させられます。
4月中旬からは、授業が続々と始まりました。今期は前の学期ほど多くの授業を履修していないことや勉強の方法を理解しつつあることで、精神的に余裕があるのがありがたいところです。
また、授業の再開は寮や大学でのウェルカムパーティーやバーイベントの再開を意味しています。法学部枠での留学中であった昨年の4月には、進んで足が向かなかったそれらのイベントに積極的に参加するようになった自分自身の変化に驚きながらも、一方で語学力に自信を持てるようになったことでもあるのかなと思っています。特に、大学のキャンパス全体を使ったセメスターオープニングパーティーは非常に楽しかったです。というのも、クラブと化したキャンパスの駐車場では全学部の学生たちがアルコールを片手に踊っている一方、割れたビール瓶やワインの瓶がキャンパスの地面に散乱していたり、酔って歩けなくなった学生たちが寝ていたり介抱されていたりするなど、大学内のイベントとは思えないほどカオスで面白かったからです。
さて、天気の話に移りますが、今現在も続いているこの変わりやすい天候はおそらく今月の内に終了し、そこから一気にほとんど雨の降らない晴れ・晴れ・晴れの季節へと移っていきます。また、毎日2分ずつ日の出が早まって、日の入りが遅くなっていっているので、合計4分間日照時間が伸びています。現段階で約13時間程度の日照時間ですが、来月末の北半球の夏至の頃には約16時間程度の日照時間があるため、ここから2カ月弱かけて3時間も日照時間が伸びていきます。私は、明るさによって睡眠時間や睡眠の質がかなり影響を受けるタイプなので少し困っていますが、できる限りの対策を打って耐え忍びたいと思います。
さて、いよいよ帰国までの時間が3か月を切りました。やりたかったことの中で、できたことも多くある一方、まだできていないことやできないかもしれないと諦めそうになっていることが、日常生活の全ての行動に疑問符を付けてきてじわじわと焦らせてきますが、今できることを着実に前へ進めながら悔いなくやり切りたいと思います。今月も頑張ります。
2024年4月1日
長くて暗い厳寒に休耕されていた田畑は、薄くて伸びのある緑を少しずつ取り戻し、小さく開いた黄色い菜の花が咲き始めています。また、街路樹として植えられている小さい八重桜たちが、日本のソメイヨシノの開花宣言に呼応するかのように、ドイツの地でも薄い白色から濃い桃色のものまで咲き始めました。ドイツの八重桜の多くは日本から寄贈されたものだそうですが、ドイツの一部地域では満開となっていることに比較して、日本の八重桜がおおよそまだ開花していないことを考えると、同じ品種であっても気候の差などの要因によって開花や満開に差が出るというのは興味深いなと思います。
さて、3月はかなりタフな一カ月でした。というのも、ドイツ鉄道(DB)と列車運転士組合(GDL)が将来の労働時間や休暇日数について方向性の相違があり、合計で11日間ほどストライキが行われたことからです。ドイツ国内への日帰り旅行だけでなく、マインツ内の移動すらもできないこともあり、たくさん歩く必要がありました。また、ルフトハンザ航空の地上スタッフがストライキを行ったことにより、ドイツ中の空港が利用できなくなることもあったようで、今月はドイツ国内の交通が麻痺していたと言っても過言ではないと思います。2023年の電車の遅延率が36%もあるほどドイツ国内の公共交通サービスが崩れかけている現実をまざまざと見せつけられたように思います。
また、私が所属している日本大学の文化人類学ゼミナールのゼミ論発表会が、3月半ばに三崎町の法学部キャンパス内で行われ、私もZOOMで参加しました。日本時間10時から17時過ぎまで行われていたのですが、それをドイツ時間で考えると深夜の2時から朝9時過ぎまでなので、その体力面での大変さを理解いただけるかと思います。ただそれでも、参加する価値がある発表会で、非常に自分自身の学びへのモチベーションに繋がりました。来年は自分自身が発表する立場なので、ドイツでの学びをそこに集大成としてまとめられるように頑張りたいと思います。
さて、3月に最も体力的に厳しかったことがあります。それは、3月の下旬に6日間ほど日本へ一時帰国した出来事です。私自身、昨年の4月に法学部枠での留学を開始した当初から、心が折れそうになっても日本へ一時帰国することのないように頑張ろうと覚悟を決めていました。ところが、留学中とはいえ帰るべき事情というものは、自分の意思とは無関係に急にやってきます。私の場合はそれが家族の死でした。もちろん、昨年の4月に日本を出発するときから、自分を含めた誰かが急に亡くなり、この一時的な別れのつもりの旅立ちが、永遠のものとなる可能性があることは頭の中にありました。だからこそ、出発の時の「いってきます。」という言葉に、ある程度死に対面する覚悟を込めていましたが、とはいえ、出発当時には病気でもなかった家族が急死するということについては現実には起こり得ないだろうという楽観的な気持ちもありました。だからこそ、いざその死に直面してみると、こういう出来事が現実に起こり得るのだなという思いになりました。
さて、ここで少々重たい内容の文章を書きましたが、ぜひとも留学を志す学生の方々には、このことについて考えておいてほしいと思います。あなたが留学中に家族が亡くなるということは可能性としてゼロではありません。そして、その別れの瞬間に自分自身が立っていない可能性もあります。その上、時差やその後の予定によっては、その遺体に別れすら告げることが出来ないかもしれません。今回はたまたま春休み中であったということや、ドイツの交通事情等で予定が一切無かったということもあり、私自身は通夜と葬式ともに参加することにしましたが、授業期間中であったりそれがまさにテスト前であったりしたなら、かなり葛藤したと思います。私の家のようにどれだけ家族関係が良くなくても、残された家族にとっては、その家族の死に向き合う必要があります。家族仲が良い家庭にとっては、なおさらのことだろうと思います。あなたはその覚悟を持つことができますか。そんなことは考えず有耶無耶にするというのも答えです。留学を志す方は、ぜひとも考えてみてください。
サマータイムが始まり、時間が1時間ずれました。それによって日の出が6時ごろから7時に、日の入りが19時ごろから20時になりました。昨年の記憶では、この4月は天気が非常に変化しやすく、晴れたり雨が降ったり強い風が吹いたりが一日の中で多くあります。それを乗り越えると雨がほとんど降らず、一気に気温が上がり始めるので、それを楽しみにこの天気の変化を乗り越えたいと思います。体調管理には気を付けながら、今月も頑張ります。
2024年3月2日
歩いているときに目に入る景色に、単調な茶色だけではなく、緑や薄紅色が目立つようになってきました。上を見上げれば、フランクフルト空港の方向へ飛んでいる多くの旅客機を視認できるほどに雲ひとつない日が増えており、春が近づいているのを感じます。
2月上旬からテストが複数あり、毎日気合を入れて勉強していました。マインツでは法律学を専攻していますが、正直なところ日常的ではない法律独特の語彙や言い回しが難しく、授業内で理解をすることがかなり厳しいため、テスト勉強は大変でした。テスト自体は、正規学生が受験するものとは異なる留学生用の口述テストなのですが、とはいえ、ドイツ語で読んだり聞いたりして理解しているものをドイツ語で話す必要があるので、とても骨が折れました。口述テスト後は、すぐに合否を伝えられるのですが、準備した甲斐もあって、無事に全てのテストに合格することができました。毎回緊張して受験していましたが、合格と分かった後には、そのたびに新鮮な気持ちで胸をなでおろします。
2月下旬には、日本大学法学部からヨーロッパ研修旅行として学生40名と職員や先生方が、マインツを訪問されていたので、短い時間でしたがご挨拶をさせていただきました。特に、学生や職員の方の中には、日本にいた際にドイツ語の授業や留学手続きでお世話になった方々もおり、直接マインツでお礼をすることができて良かったです。また、マインツでは名前で呼ばれることが多いので、名字で呼ばれることの懐かしさを感じました。
2月末になると、交換留学生たちが続々と帰国するようになってきました。退寮時の掃除や荷造りに苦戦している学生が多いので、自分自身は早めにやろうと思うのですが、いざ、やる時には後回しにしてしまう予感があります。 また、昨年の4月から今年の2月以前には一度もなかった都市内交通のストライキが二度もあり、帰国日を迎えた多くの留学生が、寮から都市間交通の主要駅であるマインツ中央駅までタクシーを呼んでいました。都市間交通は、頻繁に運転取りやめやストライキがあるので、留学生たちも覚悟ができていたのですが、都市内交通のストライキとなると寮からの移動はほぼ困難なため、皆が口々に嘆いていました。
どんどんと日照時間が伸びているのが感じられます。7時過ぎには外が明るく、夕方も18時前後まで日があるので、日本とほとんど日照時間は変わりがないようになってきました。また、スギやヒノキこそないものの、シラカバ花粉などが飛んでいるため、眼鏡がすぐ汚れるので嘆かわしいところです。3月は丸々春休みなので、リフレッシュをしながら、来学期への英気を養いたいと思います。3月も頑張ります。
2024年2月5日
日の出の時間がようやく8時台から7時台へと早まり、一方で日の入り時間が17時半前後へと遅くなったため、朝起床した際にも、夕方に授業を終えて建物から出た際にも、暗くない季節になってきました。また、1月の中旬からは、冬の終わりを感じさせるような雲がちな天気から晴れ間が多い天気へと移り変わっており、朝焼けと夕焼けを見る機会が多くなりました。
1月の前半から下旬にかけて2週間程度顔全体に湿疹が出たため、初めて皮膚科を受診しました。自分の症状を伝えることに対して不安を持っていましたが、病院の先生が優しく対応してくださり、免疫が弱まっていることによる細菌感染のため病状が深刻でない旨を伝えられ、無事に処方箋をもらうことが出来ました。海外での病院と聞くと高額な治療費を想像しますが、ドイツでの留学の場合、留学生にも国民健康保険への加入が義務付けられているので、月々130€を払っていれば通常診療の場合は完全に無料です。薬代のみが必要となりますが、薬価自体も日本と大きく変わらず、例えば、花粉の季節などに処方される抗ヒスタミン剤というかゆみ止めの飲み薬は、日本円に換算しても安いと感じるくらいでした。
1月の中旬から下旬にかけては、あまり大きな出来事は無く、もはや日常になった大学と寮の往復生活でした。しかし、2月に入ってからは帰国が近い留学生たちが盛んに交流を再会し始め、2月2日には照り焼きチキンとチキン南蛮を振る舞ったり、2月3日には恵方巻きを作って東北東を向いて食べたりしました。ドイツという異国の地で、それぞれが違う文化背景を持った留学生が「日本文化」を堪能しているのを面白いなと感じると同時に、自分自身が「日本文化」の背景や裏側を考える機会になり、非常に良い経験だなと思います。また、留学生たちにとっては、私たちが伝える「日本文化」が彼らの中での『日本文化』の基準になってしまうので、言葉遣いや伝え方にも細心の注意を払うという意味でも、非常に学ぶことが多い経験です。日本人留学生たちにも、各々の日本の見方があるので、そういった自分自身の「日本文化」を疑って考える機会にもなり、とても興味深くて面白いです。
2月に入り、テストがどんどんと近づいてきています。ここから1カ月の間にさらに日照時間が1時間以上長くなり、さらにこれから6月末にかけて日照時間が5時間程度伸びていきます。日に日に生活リズムの調整の仕方が難しくなっていくと考えられるので、これまで以上に体調管理には気を付けたいと思います。今月も頑張ります。
2024年1月4日
窓外に望む景色が11月に比べて大きな変化が無く、また、日照時間が数字の上では少しずつ短くなっていったものの、9月10月に比べてその変化が小さいため、体感として理解できず、本当に時間が過ぎているのかも分からないような一カ月でした。とはいえ、12月上旬には何度かマインツでも水を多く含んだ雪が積もり、東京の積雪を思い起こすような気持ちになりました。
12月中は、先月の報告での宣言通り、クリスマスマーケットを言い訳に多くの都市を訪れました。ニュルンベルクでは、ニュルンベルク城の景観を楽しむことはもちろん、ニュルンベルク軍事裁判が行われた裁判所を訪れるなどしました。ニュルンベルク裁判が行われた裁判所は、ドイツ国内にあるにも関わらず、未だにアメリカ、イギリス、ソ連、フランスの国旗の写真が掲揚されており、裁判所内の展示は英語が多かったことの衝撃が大きかったです。また、東京軍事裁判が行われた市ヶ谷の陸軍士官学校は、現在防衛省となっており、毎日40名限定の見学となっているので、日本人が東京軍事裁判についての展示を見る機会は多くないですが、ニュルンベルクにも極東軍事裁判について一部の展示がされているため、ドイツに長期間滞在する場合には、訪れる価値があると思います。
ライプツィヒ、ドレスデンは一日で回ったのですが、ライプツィヒではバッハが作曲を行った教会を観光したり、「花」や「荒城の月」でおなじみの滝廉太郎が留学した音楽大学を訪れました。また、ドレスデンのツヴィンガー宮殿には、ザクセン選帝侯が収集した多くの美術品や骨とう品が展示されており、その中には日本の有田焼や伊万里焼、中国の青磁が展示されています。博物館内の説明には、それらの磁器がドイツのマイセンの磁器に影響を与えたということが書かれており、遠い異国の地で東洋の文化が受容されていることに変な誇りのようなものを感じ、自らが日本人であるということを強く意識させられました。また、ドレスデンは第二次世界大戦下で市内の85%が破壊されたという歴史を持つ都市で、現在のエルベ川の真珠と呼ばれる姿の一方で、その破壊の爪痕を見ることもできます。
他にも、ローテンブルクやドルトムントにも訪れました。その二都市は、クリスマスマーケットをメインに日帰り旅行をしたので、あまり特別な感想はありませんが、ローテンブルクは観光都市として美しく、ドルトムントのクリスマスツリーはドイツ最大、世界最大級と言われており、見ごたえがありました。
クリスマスイブ前々日あたりから、寮生のヨーロッパ系の人たちがほとんど帰省してしまったため、人が全然いませんでした。また、12月24日の14時から26日までの3日間、ほぼ全てのお店(スーパーマーケットも含む)が閉まっていたため、その情報を知らなかった留学生たちが食料難民になってしまっていました。したがって、次に来る学生たちはそのことをあらかじめ理解しておく必要があると思います。ただ、年末年始は日本に比べて休業期間が短いので、(31日と1日のみ休みが中心)年末年始の買い物に不安を抱える必要はあまり無いと思います。
12月22日は北半球の冬至だったのですが、マインツは、日の出が8時23分、日の入りが16時27分と日照時間がほぼ8時間でした。とはいえ、天気がほぼずっと曇りなので、天気予報上の実質日照時間はほぼ毎日0から4時間程度です。そのため、薬局等ではビタミンⅮの広告をよく目にします。ここから春に向けて日照時間は長くなっていくものの、2月にかけてさらに寒さと風の勢いが強まっていくと聞いているので、体調管理には気を付けたいと思います。
とうとう暦が変わってしまいました。日本は地震に事故、ドイツは多方面での洪水と幸先の悪いスタートとなってしまいましたが、自分自身にできる範囲の小さなことから少しずつ、誰かの役に立つことを信じて頑張っていきたいと思います。1月も頑張ります。
2023年12月1日
地面の芝を黄色く染め上げるほどに色づいた落ち葉たちは既に片付けられ、街路樹の木々のその枝先までがしっかりと見えるようになりました。その甲斐あってか、一週間に一時間あるかないかの太陽の光が、少しだけ多く地面に降り注がれている気がします。
11月の前半は授業と日常生活以外にイベントはあまりありませんでした。とはいえ、11月の半ばには私の誕生日があり、こちらの友人がケーキや飲み物を準備してくれたので、プチパーティーのようなものを行いました。普段は格好つけて年齢なんてただの数字だと言っている私ですが、いざ祝われるとなると嬉しいなと思います。友人に恵まれて祝ってもらえて良かったです。
11月の下旬にはドイツの各都市が精を出して行うクリスマスマーケットが始まりました。ドイツの学生は、「セメスターチケット」という市内の電車やバスが学期中乗り放題になる交通券を一カ月60€程度で購入する必要があるのですが、今年の9月から一カ月10€多く支払えば、ドイツ国内の特急を除く全ての公共交通機関をセメスターチケットで利用できるサブスクリプションが開始されたため、それを利用して既に五都市のクリスマスマーケットを訪れました。12月中も週末は毎日どこかの都市のクリスマスマーケットに参加したいなと思っています。
12月1日現在、天気予報上では二週間先まで日照時間が0時間の日が続いています。また、最高気温が一桁台前半で、最低気温がマイナスに行ったり行かなかったりと寒い日が続く予定です。体調管理や精神面での調子を崩さないように気を付けて、12月も頑張りたいと思います。
2023年11月3日
緑が混ざっていた紅葉はそのほとんどが緑を失い、とうとう地面に落ちるようになってきました。霧が漂うほどに湿度が高い朝方にはその落ち葉に朝露が降り、強く踏み込むたびに立つべちゃべちゃという音を聞いていると、日本の乾燥した冬とは異なる冬を経験しているのだなと思わされます。
10月8日には、日本人と韓国人の友人で集まり、チキンを食べながらサッカーのアジアカップ決勝戦である日韓戦を観戦しました。残念ながら日本は試合に破れてしまいましたが、たまたまドイツで出会った日本人と韓国人同士が、日本でも韓国でもない国ドイツで、日韓戦を観て各々の国を応援しているという構図が非常に面白かったです。
10月10日には、ブーヘンヴァルト強制収容所とヴァイマールに行ってきました。ブーヘンヴァルト強制収容所は、ナチス政権下とソ連占領下で使用されたドイツ最大級の強制収容所で、絶滅収容所ではないため積極的に人を殺していた場所ではないとはいえ、その劣悪な環境と過酷な労働によって多くの人が命を落とした場所です。実際にアメリカ兵によって撮影された山積みの死体の写真が展示されているのですが、写真が撮られた焼却炉の建物が現在も存在し、写真と見比べながら建物を見ていると、妙な焦燥感と恐怖心を含めたリアリティーを感じさせられます。「人間」が「人間」を「人間」ではないかのように管理するというその異常さと、いざ自分が管理する側であったり、管理される側であったときに、どういった思いでその現実と向き合ったのだろうかと考えさせられました。
ヴァイマールは、古典主義の都と呼ばれており、旧市街の広場にはゲーテとシラーの像が立っています。また、その像のすぐ近くには、第一次世界大戦後にヴァイマール憲法の制定が行われた劇場があります。残念ながら中に入ることはできませんでしたが、歴史の足跡を辿っているような気持ちになりました。
10月23日から授業が始まりましたが、11月1日が祝日であったため、10月31日のハロウィンにはコスプレをして大学内のパーティーに参加しました。私は、あわてんぼうのサンタクロースというコンセプトで赤い帽子をかぶって参加したのですが、バナナやビールなどもっとインパクトのあるコスプレをしている人がいたため、ツッコまれることもほとんどなく普通にスベってしまいました。非常に恥ずかしかったです。
11月中旬までの天気予報を見ていると、最高気温が10度前後、最低気温が5度から8度くらいと9、10月に比べて気温差が小さくなってきているので、過ごしやすそうに思われますが、風が強まるため体感気温がどんどん下がっていくそうです。町中には手袋、マフラー、ダウンを身に着けている人を見るようになってきているため、自分自身も防寒具を見直し、これから来る冬本番に備えたいと思います。11月も頑張ります。
2023年10月3日
10月に入り、マインツの街並みには少し茶色に近い紅葉が目立ち始めました。最低気温が一桁台になる朝晩には羽織るものが必要になり、日照時間が短くなってきたことや、曇りがちな空模様が長くて暗い冬の訪れを伝えているように思われます。
10月2日は今期から留学を開始する学生たちの入寮日だったので、寮周辺はもちろん、マインツ中央駅や大学の辺りにも大きなキャリーケースを引いた人たちが多くいました。日本大学からは、私以外に法学部と国際関係学部から合わせて3人がマインツに来ています。
10月3日は33回目の「ドイツ統一記念日」のため、スーパーや小売店は閉まっていましたが、飲食店は開いていました。当日は晴れたり豪雨だったりとドイツらしい変わりやすい天気だったのですが、天気を頻繁に確認しながら、顔合わせという形で私を含めた4人でご飯を食べに行きました。私たちが訪れたお店は、夏学期に本部枠で留学していた法学部の先輩に連れて行っていただいたお店で、自分がこうやって留学の後輩を連れていく立場になったことに感慨深さを感じました。
私自身は、4月から半年間経験した法学部交換留学に続いての本部交換留学となるのですが、新たな留学生たちの姿を見ていると身が引き締まると共に、残り少なくなった時間への焦りとこの10か月間を有意義なものにしてやるという思いが溢れてきます。これからの10か月間を法学部や国際関係学部の学生だけでなく、他の留学生たちとも協力しながら、実りのあるものにしたいと思います。