我、プロとして

Vol.7 齋藤宏之 氏【前編】
五十崎社中 代表取締役(1995年理工学部物理学科卒)

卒業生
2021年01月22日

ギルディングを一目見て、和紙との融合に大きな可能性を感じました。

2006年、愛媛県にある内子町の手漉き和紙が「JAPANブランド」育成支援事業に採用され、伝統工芸の担い手となったのは神奈川県出身の齋藤宏之だった。それまで和紙と全く縁のない道を歩んできた齋藤の人生、彼とギルディングとの出合いについて語ってもらった。

内子町の大洲和紙

愛媛県喜多郡内子町は南予地方に位置し、小田川、中山川、麓川に沿って開けた山間の町で、江戸時代から明治時代にかけて手漉き和紙と木蝋の生産で栄えた。その富の蓄積から内子には質の高い建造物が連なり、1982年には四国で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、現在でも歴史・風土に培われた美しい街並みを見ることができる。

この内子町に世界中の人々を魅了する和紙を発信する、株式会社五十崎社中がある。

2008年に齋藤宏之により設立された五十崎社中は国内外の展示会に数多く出展し、その名を広める。そして2018年には三井ゴールデン匠賞を受賞するに至るのだが、まずは原点となる大洲和紙を紹介したい。

この土地で生まれた手漉き和紙は大洲和紙と呼ばれ、延喜式という書物に登場していることから、平安時代には既に作られていたと考えられている。現在のような大洲和紙になったのは江戸時代中期のことで、最盛期の明治後期には小田川沿いに製紙工場が立ち並び、400人を越える職人がいたそうだ。

大洲和紙の主な原料は楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)で、書道半紙、障子紙、凧紙、色和紙など、さまざまな形で利用されている。その中でも書道半紙は「薄くて漉きムラが少ないため、使いやすい」と多くの書道家に愛される逸品だ。

そんな大洲和紙だが、時代の流れと共に職人が激減し、存続が危ぶまれる事態へと陥った。そしてこの伝統産業を守るための担い手として白羽の矢を立てられたのが齋藤だったのだ。

龍馬の志に惚れ込んで

齋藤は神奈川県の海老名市で生まれた。日本大学中学に進学し、その後大学まで本学で学ぶこととなる。理系科目が得意なこともあり、理工学部物理学科に進学。大学入学時に将来のビジョンは定まっていなかったが、理系の中でもベースとなる物理ならば幅広い分野に対応できると考えての学科選択だった。

沢木耕太郎氏の「深夜特急」に影響を受け、バックパックを背負って海外旅行にも数多く出かけた。

「ヨーロッパやアフリカも素敵でしたが、エネルギーに溢れているアジアが好きですね。大学時代にはタイ、インド、ベトナム、マレーシア、中国、台湾などに行きました」

大学時代、深夜特急の他にも影響された本がある。司馬遼太郎氏の長編歴史小説の傑作「竜馬がゆく」だ。五十崎社中という社名の由来は坂本龍馬が作った日本初の株式会社「亀山社中」にちなんでいる。齋藤が龍馬の志に惚れ込んでいる証だ。龍馬のように世界を相手に仕事をしたいという思いが生まれたのも大学時代のことだった。

卒業後は通信系IT企業に就職。システムエンジニアとして10年、企画・営業として3年間勤務をした。

「とても恵まれた会社で、お給料も福利厚生も申し分ありませんでした。ただ仕事のプロジェクトが大きすぎて、自分の仕事がどのように貢献できているのかがよくわからなかった。そんな思いを抱いてIT系の起業を計画していたときに、義父から手漉き和紙に関する相談を受けたのです。僕もものづくりには興味がありましたし、和紙ならば『世界を相手に仕事ができるのでは?』とも考えました」

ガボー・ウルヴィツキとの出会い

齋藤の妻の実家は300年続く老舗の造り酒屋『千代の亀酒造』を内子町で経営している。そして内子町商工会の一員でもあり、伝統産業の保護に尽力していた義父が中心となり「JAPANブランド」育成支援事業に応募し、見事採用された。

「日本の伝統的な技を活用した上で商品開発されたモノを国内外に広く販売する中小企業を助成するという事業で、このときには手漉き和紙が選ばれたのです。助成金をいただいたのですが、地元の商工会メンバーは他に職を持っているし、人手も足りないということで僕が手を上げたのです」

助成金を使用し、パリのインテリア見本市に出展したのは2006年のことだ。そこで齋藤はガボー・ウルヴィツキという壁紙デザイナーと運命的な出会いを果たす。

「ガボーさんは金属箔を使用したギルディングによる壁紙(ブランド名:ULGAD'OR)をデザインし、ヨーロッパ、北米、中東および日本に販売をされていて、その技法によりフランスの国家遺産企業の認定を受けています」

ギルディングとはヨーロッパに伝わる金属箔装飾で、古くは額縁の装飾技術として発展し、木材、鉄などの上にデザインを施す手法だ。金属の酸化と腐食性の特徴を活かし、独創的で艶やかな色合いを表現することができるのだが、その技を紙に応用したしたのがガボー氏のユニークなところであると齋藤は語る。

「ガボーさんのギルディングを一目見て、和紙との融合に大きな可能性を感じました。彼も和紙に興味を持っていたので、僕らの和紙の活動に協力するために内子町に家族で移り住んでくれたのです」

ガボー氏が内子町に住むタイミングで齋藤は通信系IT企業を退職。その後すぐに起業した。それから和紙とギルディングの修行をスタートさせようと考えていたのだが、齋藤の修行は順風満帆の船出とはいかなかった。

「最初は商工会のメンバーと話をしていて、ほとんど細かい話が詰められてなく、自分が想定していた内容がガボーさんの合意に至ってなく困りましたね。他にもヨーロッパ人特有のたくましさに驚かされることはたくさんありましたが、今となっては良い経験だったと思えます」

内子町の人々の温かなおもてなしと齋藤の情熱がガボー氏に伝わり、結果的にギルディングの技術指導を受けることになるのだが、それまでには1年ほどの歳月が必要だった。

ガボー氏は内子町に2年住み、現在はパリに戻り活動をしているが、彼の帰国以降も共に仕事をするなど、良好な関係は続いている。

<プロフィール>
齋藤宏之(さいとう・ひろゆき)

1972年7月22日生まれ。1995年理工学部物理学科卒。神奈川県出身。
大学卒業後、通信系IT企業で13年勤務。2008年に妻・晶子さんの地元の内子町に移住し、株式会社五十崎社中を設立。金属箔で装飾を施した「ギルディング和紙」や「こより和紙」などを開発し、国内外より注目を集める。
15年 ミラノ国際万国博覧会クールジャパンデザインギャラリー出展。17年 ヨウジヤマモト・パリ店 和紙インスタレーション。18年 三井ゴールデン匠賞受賞。