GINZAFARM株式会社代表取締役を務める飯村一樹氏。同社は「スマート農業ソリューション」として、農場でAI分析をするロボット「FARBOT」などを提供するとともに、首都圏で農家が自由に作物を直販できるDXマルシェシステム「P-it」を展開している。

農業に誰でも参画できるような仕組みを

スマート農業という言葉からはロボットが収穫してくれるような光景を想像するが、飯村氏によれば、ロボットは効率化や省力化を助けてくれる手段の一つだという。

「私たちは農場内の効率化を目指したシステムを作っているだけで、鉄腕アトムのようなロボットが来て何かをしてくれるということではないです(笑)。他の産業はどんどん効率的になっているのですが、農業はいまだに効率が悪い。本当にやるべきことがたくさんあるので、やりがいがあります。産業におけるラストフロンティアだと感じています。農家の方と話していても皆さん明るいので楽しいですね」

例えば農業ハウスの中の温度は東西南北で違う。中央部分は二酸化炭素が薄くて成長が遅い。周辺部の風通しの悪い所は害虫が湧きやすい。これまでの農業界はハウス内の数カ所にセンサーを置いて温度や二酸化炭素を測る程度で正確なデータが取得できていなかった。そこで、ロボット掃除機のように満遍なく、農場内をGPSの位置情報で動くロボットを開発し、細かく正確に農場内の全てのデータを取る仕組みを構築した。飯村さんたちはそのような機能を持つ「FARBOT」を農家や企業に提供している。

自律走行し、温度、湿度、二酸化炭素などのデータを収集するデータセンシングロボットFARBOT。カメラの画像から生育状況も分かる

また、AIを使って作物がいつ、どれだけ収穫できるかを分析するサービスも提供している。これまでは農場長が長年の勘によって大雑把に収穫量を予測して人員を計画していたため、例えば、本来パートタイマーを2人雇えば済むところを3人雇ってしまい、人件費で赤字となっているケースが頻繁に起こっていた。 それに対し、ロボットとAIを使えば収穫に必要な人数を正確に計算できて人件費も適正化され、農家は利益を上げることができる。また、農場長は農場内の状況を分かっているが、休んだり出張している間に作物の病気が進むこともあった。さらに、パートタイマーでは農場内の状況が詳しく分からないため、対応ができなかった。ロボットでデータ化して異常が発生した場合は知らせてあげれば、パートタイマーでも対応でき、担い手を増やすことにもつながる。

FARBOTが走行する際に、周囲との距自動計算して走行ルートを設定している様子。離を自動計算して走行ルートを設定している様子。写真はイチゴ農場内を走っているが、赤いエリアは距離が近いので自動回避を行うアルゴリズムとなっている。

「農業技術のテクノロジー化と言えばいいでしょうか。ポイントはどれだけ効率よく農業ができて利益が最大化できるか、ということです。これまで農業は農家がそれぞれのやり方で行っていて、隣の農家は全く違うやり方をしていました。染み付いている自分のやり方があって、お互いに教え合うことも少なく、教えてもらってもデータがないため再現が難しい。それをデータを使って解きほぐし、誰でも参画できるような仕組みを作ろうということを業務としています」

建築事務所やベンチャーを経て農業へ

飯村氏は農業の盛んな茨城県下妻市で生まれ育った。家の周りは見渡す限り水田だったという。両親はともに教師だったが、母の実家は農家だった。幼い頃は水田でカエルやバッタを、梨畑ではアブラゼミを追い回す日々。そんな原風景は心の中にあったが、農業にたどり着くまでには少し回り道をしている。

大学は本学生産工学部建築工学科に進んだ。高校に入学する頃に、親戚の工務店により実家が建て替えられたことがきっかけだ。中庭があって奥まで光が入るような設計の京都風の家で、雑誌でも紹介されたりした。

「それで建築ってすごいなと感じて、建築の道に進んでみようと思いました。田舎道を通って学校に行って、部活をして帰るだけの毎日でしたから、得られる社会の情報が限られていました。その中で実家の建て替えがあって良いイメージがあったので、建築を選びました」

独立して起業する資質はこの頃からあったのかもしれない。父が高校野球の監督をしていたため中学時代は野球部だったが、「チームワークがどうも苦手」という飯村氏は、高校ではテニス部に入る。テニスは性に合った。

「自分で好きなだけ練習すればそれだけうまくなる。協調性がないですからそれが合ったと思います。ベンチャー企業の経営者はそういう人が多いですよね(笑)」

大学時代は「学業はほどほどに」、サーフィンとアルバイトに明け暮れたという。学校に近い千葉県の津田沼近辺に住んでいたが、西麻布の飲食店でアルバイトをしたこともある。時給が良かったこともあるが、その頃から経営には興味があったため、個人経営の店でアルバイトすることが多かった。

卒業後、不動産会社に勤めて4年目に一級建築士の資格を取ったが、「建築にセンスがないのでさっさと見切りを付け」た。経営者が高齢になった設計事務所を継がないかという話もあったが断った。そして不動産金融のベンチャー企業に転職し、28歳から31歳まで投資部門の部長を務めた。年齢やキャリアに関係なく能力と実績次第で報酬や待遇が変わるベンチャー企業の醍醐味も感じていたが、「激務により体調を崩した」のをきっかけに退職する。 会社を立ち上げて独立したのは2007年、31歳の時だった。それまでの経験を生かし、銀行からの紹介で地方の商店街再生に関わった。街づくり事業では有名な高松丸亀町商店街再生事業である。地方の衰退を食い止めたいという思いは以前からあった。しかし地元の個人商店は資金調達が難しく、全国どこにでもあるチェーン店ばかりの商店街になってしまう。

FARBOTのAIが画像診断により自動で収穫時期や収量を予測する

そうした経験から、地方の再生には地域産業を活性化させる必要があると考えた。その基盤になるのが農業であり、農家を強くしなければならないとの確信があった。

その思いを支えたのは、原風景である故郷だ。今、その下妻市にはGINZAFARMの研究農場がある。

GINZAFARM株式会社代表取締役としてスマート農業に取り組む飯村一樹氏。2007年にその前身となる会社を立ち上げて、最初に農業に関わったのは、なんと銀座の真ん中に水田を作ることだった。そこからスマート農業へたどり着くまでどんな経緯があったのか。そしてどんな将来を思い描いているのか。

銀座から海外へ進出しロボットに行き着く

「地方再生を目指して農家を強くする」ために、飯村氏がまず始めたのが、作物の売買の場づくりだった。農家の人がJA(農協)や中間業者を通さず消費者と対面で直販を行うことで、高品質の作物を、農業者はより高価格で、消費者はより低価格で売買することができる場「マルシェ」の提供を始めたのである。

「農業と関わって分かったのが、農家の方が自分で作物を売るのは難しいということです。自分の家の軒先に置いていてもそんなに売れませんし、ウェブサイトで通販してもなかなかお客さんはつきません」

その構想段階で、出品してもらうため農家に足を運んでも警戒された。当時は農作物を送らせて代金を支払わない通販詐欺なども多発していたからだ。

そこで飯村氏は実に斬新な発想をする。銀座の真ん中に水田を作ったのである。銀座中央通りから1本入った銀座一丁目の場所に、4台分の駐車場を借りてアスファルトをはがし水田にした。2009年のことだ。

1100人の農家にFAXとダイレクトメールなどで事業意欲を伝え、88人から2万5000円ずつプロジェクトに出資してもらった。現在のクラウドファンディングのようなものだ。水田にはその人たち全員の写真と連絡先を掲げ、直接注文できるようにした。

すると出資した農家を中心に、全国の農家の人が仲間を連れて見学に訪れた。これまでは農家に出向いても相手にされなかったのが、銀座に水田を作ったおかげで、全国の農家が名刺交換のために飯村氏を訪れるようになった。そこで知り合った人たちの莫大な名刺の束を持って、東京・有楽町駅前の交通会館にマルシェ用の場所を借りる交渉に行った。それが実り、2010年、「交通会館マルシェ」が開設されたのである。

このマルシェが現在でもGINZAFARMの柱の一つとなっている。常設の交通会館マルシェのほか、大手町、京橋、豊洲などの都心で定期的にマルシェを開いており、住宅地の施設やマンションなどで開催することもある。農家にとっては販売の勉強や新作PRの場所となっており、最近は自治体やメーカーが出品することも多いという。

銀座の水田はマスコミでも紹介され、それがシンガポール進出のきっかけとなった。記事を見たシンガポール政府から、都市農業ができないかと話が持ち掛けられたのだ。さらに3年後にはタイ政府から依頼を受けてタイにも進出。そして、これら海外での経験がスマート農業を目指すきっかけになった。

「シンガポールでトマト農場を運営しているため、定期的に日本から農場長を送り込むのですが、友人がいない海外の農場に1人で行って現地ワーカーと一緒に栽培を続けるのはメンタル的に厳しくて長続きせず、何人も農場長が替わったのです。そのたびに農場管理はゼロからやり直さなければならない。タイの方はさらに山奥だったので、同じことに悩みそうでした。それなら農場長ではなくてデータを取るロボットを送り込もうと考えて、データロボットを開発し始めました。実際に日本式の農業システムは海外の財閥や政府系ファンドから問い合わせが増えていた頃なので、大きなビジネスのうねりを感じていました」

それが2017年のことである。

最終的な形状は想像がつかないが、これが月面農場のために試作中のプロトタイプ

10年後には月面で農業を

2021年9月に社名を「銀座農園」から「GINZAFARM」に変更した。旧社名は銀座で米作りをした頃のイメージが残っていたが、テクノロジーの会社であることを表に出した。

スマート農業はまだ黎明期だと飯村氏は言う。現在の顧客は自治体や企業が中心で、新規参入を目指す企業も少なくない。NTT東日本と組んでローカル5Gを使ったロボットを開発するほか、イオングループ、四国電力といった企業とも共同で事業を行っている。社員は20名ほどで、インド、フィリピン、タイなどの国籍を持つエンジニアも所属しているが、外部のエンジニアともタッグを組んでいる。社内で全てを開発するのではなく、社外の優秀な人とのパートナーシップや企業との共同プロジェクトで事業拡大を行うというスタイルだ。北米ではこのようなスタートアップが多い。

GINZAFARMの事業は、農業から派生して他の分野にも広がっている。保有する通信技術を応用し、大手薬局と提携して病院から患者の家まで薬を輸送するドローン実験を始めた。ドローンはPCで遠隔操作するため、現地で操作しなくてよいのがメリットだ。 本学医学部との連携プロジェクトも進んでいる。これまでは農業ハウス内で紫外線を照射することで、害虫を除去する研究を進めていた。その過程で新型コロナウイルスが感染拡大したため、その技術を応用し深紫外線によってウイルスを殺菌する「UVバスター」を開発。日本初の紫外線殺菌ロボットとして注目された。 現行の波長の紫外線では人体に影響があるが、もっと短い波長のLEDができればウイルスだけを除去して人体には影響がないものができる。世界でもまだ開発されていないLEDであるため、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)からの開発資金を得て、本学医学部を経由し理化学研究所と一緒に共同研究を進めている。そして、研究成果が認められ、2022年4月からは理化学研究所内に飯村氏がチームリーダーとなる研究室が発足することが認可された。これからスタートアップの代表だけでなく、理化学研究所のチームリーダーとして、経営者と研究者の二足の草鞋を履くこととなる。

農業の研究から派生して生まれた、深紫外線によってウイルスを殺菌する「UVバスター」

「カッコよく言えば、社会課題が大きい仕事にやりがいを感じています。あとは自分が興味があるかどうかですね。例えば、人材派遣を手掛ければすぐにもうかるかもしれませんが、興味がないのでやりません。多少稼ぎが悪くても、課題が大きい方が面白いです。自分にとって未来が明るくて楽しいことしか仕事にしたくないですね(笑)」

農業に関する長期的な目標は、なんと「月面農場」だ。これはJAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同事業である。

「月面農場のコア技術となる無人農業システムがJAXAに認められ、開発資金をもらいながら東京工業大学、京都大学と共同で1年半ぐらい取り組んできました。非常に面白い研究成果が出たので、第2号のプロトタイプを作っています。北米チームも興味を持っており、月面農場の先が見えたので、あと10年で実現できるかなと思っています」

月には水があることが分かっているため、二酸化炭素を固形化する技術ができれば農業をすることが可能なのだという。これもまた、環境問題の解決にもつながっていきそうな、広がりのあるプロジェクトだ。実際、月面農場に至るまでの中期的な目標として、スマート農業を確立して日本の農業技術をシンガポールやタイだけでなく、暑い国や寒い国、水や光がない所へも持っていくことを考えているのだという。

どんな場所でも農業ができるようになる。銀座の一角で始まった取り組みが、未来の農業へと確実につながっている。

飯村 一樹

1974年茨城県生まれ。1997年生産工学部建築工学科卒業。不動産会社、ベンチャー企業での会社勤務を経て、2007年に現在のGINZAFARMの前身である会社を設立。2009年から農業を手掛け、農産物を販売する「マルシェ」と、AIやロボットを取り入れた「スマート農業」を大きな柱として発展させてきた。