循環型農業を目指して

海のイメージが強い神奈川県藤沢市で農業を営む中越節生氏。小田急線善行駅前で彼が経営する「駅前直売所八〇八(やおや)」は自社農園や農家仲間から仕入れた野菜を直売するだけでなく、それらを調理した料理や加工品も販売し、近隣住民から高い支持を集めている。また彼が栽培する世界三大健康野菜の一つである『菊芋』は多くのメディアで紹介されるなど、注目を集めている。農業とは全く縁のなかった中越氏が、なぜその道を志すに至ったのか、その歩みを見ていこう。

海の街・藤沢で農業

相模湾に接している神奈川県藤沢市は、湘南の中心地として全国から多くの観光客が訪れる都市だ。江の島、片瀬・鵠沼・辻堂海岸などを有しているため、読者の多くが海の街として記憶していることだろう。

2012年、中越節生氏は農業をするためにこの地に降り立った。
そして小田急線善行駅から徒歩1分のところに「駅前直売所八〇八(やおや)」をオープンさせる。

「藤沢市の北部は緑が豊かで、多くの畑があります。ただ農家の高齢化や後継ぎ問題で休耕地、休耕田が多いのが現状です。僕はそういった田畑を再生させ、環境保全にも役立たせ、地域の人々にも作ったものを食べて喜んでもらうという、無理のない、やさしい循環型農業を目指して藤沢にやって来ました。今では農業をやりたい人にまず『菊芋』を育ててもらって、それをうちが買い取って収入を安定させるということもやっていて、地域活性循環型ビジネスとして、その輪は大きくなっています」

『駅前直売所八〇八』では自社農園や農家仲間から仕入れた野菜を直売するだけでなく、食堂や加工品の販売も行っている。農業だけでなく、野菜の直売所や食堂を開いたのには訳がある。

「元々、流山で農業をしていたのですが、ある理由で農業だけでは立ち行かなくなってしまったんです。ただ農家を辞めるつもりはなく、リスクを分散させるために直売所兼食堂を作りました。直売所も食堂も自分自身が『あったらいいな』と思うものを形にしました」

駅前直売所八〇八で販売している菊芋商品

直売所は車でなければ行けない場所にあることが多い。また有機野菜をシンプルに使った農民料理を提供する飲食店は少ない。この二つに着目し、中越氏は『駅前直売所八〇八』を作ったのだ。


彼の『あったらいいな』は次第に地域住民に認知されていく。また、藤沢市の農業担当者と親交を深めたことで、タレントで藤沢観光大使の、つるの剛士氏への農業指導役を任されることになり、彼の活動は世に広く知られるようになった。

現在、中越氏が作る野菜の中で注目を集めているのが『菊芋』だ。ヤーコン、アピオスと並び世界三大健康野菜の『菊芋』はダイエット効果のあるスーパーフードなのだが、まずは中越氏が農業と出合うまでの道程を紹介していこう。

アルバイト漬けの大学時代

東京都出身の中越氏が農業と出合ったのは2005年のことだ。

 さらに時を遡り、本学では農獣医学部(現・生物資源科学部)に入学したが、在籍していたのは水産学科で、農業とは全く縁のない人生を歩んでいた。

「文理学部を第一志望にしていたんですが、農獣医学部に進むことになりました。ブラックバス釣りが好きだったという理由で水産学科を第二志望にしたのですが、それが今では生物資源科学部くらしの生物学科と一緒に研究に取り組むようになって、不思議な縁を感じますよね。僕が大学1年のときには湘南台に1人暮らしをして、よく海で遊んでいました」

大学時代について語る中越氏

大学生活を満喫していた中越氏だったが、大学2年時にその生活は一変する。父が事業に失敗し、多額の借金を抱えてしまったのだ。

「借金の返済だけでなく、学費と生活費も自分で稼がなくてはならなくなってしまい、大学2年からはバイトばかりの日々でした。朝ガソリンスタンド、昼に喫茶店、夕方に塾講師、夜は居酒屋、深夜にバーテンダーなど、4~5件のバイトを掛け持ちするのも当たり前でしたね」

他にも旅行の添乗員、葬儀屋など、お金になるならばどんなアルバイトもしたという。当然大学に通うこともままならなくなり、自主退学を考えた。しかし父から大学を卒業するよう、懇願されたそうだ。

「父は高卒で、サラリーマンを経て独立したのです。昭和の人ですし、高卒ということで不自由な思いもしたようで、息子には大学を卒業してもらいたかったんですね。結局、6年かかりましたが何とか卒業することができました」

本学卒業後、長男の中越氏は家族のために借金を返済する必要があった。彼が選んだ就職先は固定給プラス歩合で稼ぐことのできる不動産会社だった。

農業と出合うまで

中越氏が就職した不動産会社は厳しい環境だったそうだ。

「当時は何をやりたいか、やりたくないかではなく、とにかくやらなきゃいけないという状況でしたから、嫌な思いをしても『これは神様からの試練だ』と自分自身に言い聞かせて仕事をしていました。その甲斐もあって、28歳のときには営業部長になり、年収は2500万円ぐらい。6000万円ほどあった借金を5年で完済しました」

お金も貯まり、自由に使えるようになった。それでも何を買っても幸福感を得ることはなかった。そんな折、客の1人からヘッドハンティングを受けた。

「外資系の生命保険会社のマネージャーさんにスカウトされたんです。パンフレットを見たらファイナンシャルプランの仕事がありました。不動産会社では、支払いが厳しい人にもマンションを販売していたので、そのようなお客さんの力になりたいと思って転職しました」

3年かけて不動産会社時代の顧客全てを回り、生命保険会社でも見事な成績を収めることができた。こちらでも高収入を得ていたが、やはりお金と幸せが結びつくことはなかった。

また、生命保険会社に在籍したことで、死について考えることも増え、いつからか自身が死んだ後にも何か残るものを作りたい思いを抱くようになる。そして知り合いの工務店社長に頼み込み、大工になった。

直売所で販売されている無農薬・無化学肥料の湘南藤沢野菜

3年後、千葉県流山市に中古物件を購入し、それを壊して、自らの力で家を建てた。

「家は4カ月ほどで完成しました。その期間中、内装ばかりしているとストレスが溜まるので、近くの土手をよくランニングしていたんです。走っていると休耕地や休耕田がすごく目に付きました。なんで誰も使用していない田畑がこんなにもあるのだろうと思って、図書館に行って調べたんです」

それが農業との出合いだった。農業の高齢化、農薬汚染、食糧自給率問題、後継ぎ問題などを知り、自分がやらなければならないという使命に駆られたという。

そして農業を始めるために市役所へ相談に行くのだが、門前払いを食らってしまう。素人が簡単にできる仕事ではないから入ってくるなということだった。

しかし、この行政の対応は、中越氏の農業への情熱に火を点けるきっかけとなった。

逆境をチャンスに変える仕組みを考える

藤沢市内にある店舗前にて

神奈川県藤沢市で農業だけでなく、飲食店を営む中越節生氏。多くのメディアに紹介をされ、現在はふじさわ観光名産品協議会理事としても活躍しているが、農業を始めた最初の地は千葉県流山市だった。行政から新規就農を認められず、地道な活動からスタートさせた農業人生を中越氏に語ってもらった。

農業人生のスタート

新規就農を目指すも、行政で門前払いをされた中越氏は、自らの力で農業への道を切り拓いていく。農作業をしている人に直接声をかける、直売所で農家を紹介してもらう内に、師匠に出会うことができた。

「通常の修行期間は3年ほどかかるのですが、何でもやらせてもらえましたし、1年間で独立しました。野菜は意外と手がかからないということを学びましたし、野菜作りに正解がないことがわかりました。正解がないなら、自分はこうやりたいという思いもありましたし、父が他界して母が流山に来ることになったのも、独立を決意するきっかけになりました」

菊芋の解説をする中越氏。収穫期には3メートルまで成長する


1年後、行政は中越氏の新規就農の申請を受理した。 元々農家でない人間が農業をスタートさせ、長期間を続けることは難しい。さらに何を作るかわからない人間に、休耕地を貸すことはできない。門前払いにはそういった意味が込められていたのだ。 裏返せば、農家の人々とコミュニケーションを取り、懸命に農業と向き合う中越氏の姿勢がたった1年で認められるには、それ相応の努力が必要で、彼らを納得させるだけの情熱があったということだ。

こうして、中越氏は2006年に農家としての第一歩を踏み出した。
宅配をメインに、個人や飲食店に無農薬の野菜を届けた。彼の作る野菜は好評を博した。会員制の畑も作り、年間契約で野菜を定期配送する仕組みも作った。

農家として順調に歩みを進めていた中越氏だったが、2011年に思いがけない事態に陥ってしまう。

「東日本大震災が発生し、原発事故の影響で流山市が汚染状況重点調査地域に指定されたんです。放射能ですね。オーガニック野菜を謳っていたので、流山での農業はそこであきらめざるを得ませんでした。また子どもが生まれたこともあって、知人の紹介で滋賀県に一時避難をすることにしたのです」

滋賀で生活を始めたが、農家を辞めるつもりはなかった。妻の育休明けには関東へ戻ると決め、妻が東京の会社に通え、中越氏が農業のできる放射能数値が低い場所を条件に新たな住処を探した。それが藤沢市だったのだ。

「直売所兼食堂を作ったのは、放射能の影響で農業一本では立ち行かないという経験があったからです。リスクを分散させたんですね。このように考えたのは営業職で働いていたというのも影響しているのかもしれません。今では農業、飲食店の他に、野菜の卸と加工品も扱うなど、手広くやっています。そのおかげでコロナでも大きな打撃を受けずに済みました」

事業を拡大させるためには人手は必要不可欠だが、その点において、大きな苦労はなかった。中越氏の人柄、経営方針に引き付けられた友人や客の紹介などでスタッフが自然と集まってきたのだ。

そして事業拡大の際に中越氏の目に留まったのが菊芋だった。

菊芋

藤沢市に拠点を移してから、中越氏の菊芋を使ってマーライコウという中華菓子を作りたいという話が横浜中華街の飲食店から舞い込んできた。

世界三大健康野菜である菊芋。その見た目は生姜、味はゴボウに似ており、後に広がる甘みが特徴的な野菜だ。芋という名を冠しているが、キク科の野菜で、でんぷん(糖質)はほとんど含まない。主成分はイヌリンという食物繊維になる。

「菊芋は天然のインシュリンと呼ばれていて、イヌリンには血糖値を下げ、糖の吸収を大幅に抑えるという効果があります。菊芋を食べ始めてから糖尿病の薬をやめたというお客さんは多いですね。腸内のデトックス効果があるので、ダイエットはもちろん、便秘や肌荒れも解消してくれるスーパーフードなのです」

中越氏は流山で菊芋を育てており、本拠地を藤沢に移してからも栽培をしていた。それを耳にした飲食店から声がかかったのだ。

このプロジェクトは大きく発展し、2017年に農水省と経済産業省の農商工連携事業に認可された。そしてこの機に、中越氏は所有する畑を全て菊芋に変えた。

「菊芋は害虫に強く、土を選びません。生命力が強い野菜なので、無農薬・無化学肥料でも立派に育ちますし、4月に種を植えてから12月の収穫まで、やることと言ったら草刈り程度なんです。そのころには農業だけでなく他の事業も忙しくなっていたので、思い切って全ての畑を菊芋にしたのです」

菊芋を大量生産し、あとは出荷をするだけというときに、その店の担当者が退職をした。中国人オーナーと話をするも、折り合いがつかず、結局このプロジェクトは頓挫してしまう。この危機に直面し、中越氏は菊芋の加工品事業に着手する。

「菊芋は世間的に馴染みのない野菜ですが、その良さを知ってもらえれば、みんな買ってくれるんです。今では菊芋チップス、菊芋パウダー、菊芋焙煎茶、菊芋きな粉、菊芋青汁を独自で開発し、販売しています」

 菊芋製品の中でも、抹茶のような味わいで苦味がなく、ノンカフェインの菊芋青汁は大ヒット商品になった。食前に飲むだけでダイエット効果もあり、中越氏は朝晩に菊芋青汁を飲むだけで、4キロの減量に成功したそうだ。

 

菊芋青汁


「お湯で溶かせば日本茶の代わりになり、焼酎で割れば緑茶ハイのように飲むことができるだけでなく、シフォンケーキやポタージュなどの料理にも使用ができ、お客さんの好みによって使い分けることができる点に湘南のご当地青汁の魅力があります。菊芋青汁ハイを提供する飲食店は藤沢市内だけでも約30店舗で、その人気は徐々に広がっていますし。今後もうちの主力商品として活躍してくれるでしょう」

幸せな人生を送るための仕組み

中越氏は現在(2021年6月)、横浜伊勢丹などの催事出店に力を入れるべく忙しい毎日を過ごしている。今後は菊芋を使用したプロテインを主力商品と売り出す予定だ。

「23年には支店オープンあとはご当地の塩を作りたいですね。江の島の裏側の海水はとても澄んでいて、実はきれいなんですよ。藤沢に住む人はそのことを知っているので、地元の人に喜んでもらえると考えています。そのときには日大にも是非ご協力していただきたいですね(笑)」

多くの事業を抱えた社長だ。その毎日は忙しいに違いないと考える人は多いだろう。しかし、中越氏はマイペースに、のんびりと毎日を過ごしていると語る。

「不動産や保険会社にいたときは毎日満員電車に乗るのも、スーツを着るのも嫌でした。僕は人生というのは循環するものだと思っていて、会社員時代は長時間働いて稼いでもストレスを発散するために夜遅くまで酒を呑んで金を使い、睡眠時間が削って健康を害するという負の循環に陥っていたんですね。お金をどんなに消費しても幸せになれない。つまり僕にとっての幸せはお金じゃなく、心の豊かさだと気づいたんです」

農作業で汗を流し、大好きな人と働き、隙間時間で酒を呑むなど、中越氏は自身が生きやすい生き方を追求することで、幸せの仕組みとなる循環を作り出すことに成功した。

「僕は幸せな人生を送るためには自分が心地よい仕組づくりが全てだと考えていて、その仕組みの中に自分を投じることが必要だと思っています。僕の場合は循環させるというのが人生のテーマで、野菜を作って、それを食べて喜び健康になる人がいて、働く人も遣り甲斐を感じ楽しめる、みんなが心地よい自然の循環を継続していきたいんです。日々いろんなお仕事の話をいただきますが、儲け話よりワクワクする仕事を優先して取り組んでおります。それでも一生懸命に考えて、心地よい仕組みを作ることができれば、お金もついてきてやっていけるんです」

コロナ禍の今、人生に迷う方は多いことだろう。それでもこの状況下に合った心地よい仕組みを作ることができれば、きっと状況は好転すると中越氏は語る。数々の逆境をチャンスへと変えた彼の言葉には説得力がある。

それでも人生に疲れてしまったという人には善行駅前にある『駅前直売所八〇八』へ行って欲しい。中越氏のやさしさが詰まった野菜があなたの心をきっと癒してくれることだろう。

中越節生(なかごし・せつお) 氏

1970年5月5日生まれ。1995年農獣医学部水産学科(現・生物資源科学部海洋生物資源科学科)卒。東京都出身。
本学卒業後、不動産会社に勤務。その後、外資系保険会社、工務店勤務を経て、農家に転職。独立し、千葉県流山市でオーガニック野菜の宅配販売を行うが、東日本大震災の影響で2011年に休業。翌2012年に藤沢市に移住し、株式会社八〇八を設立。善行駅前に直売所兼八百屋カフェをオープンさせ、菊芋栽培で注目を集める。ふじさわ観光名産品協議会理事。