魚醤「最後の一滴」が一人歩きして
新潟県立海洋高校が話題になった

魚醤を使った自社商品を前にする「能水商店」の松本さん
市場価値の低い1万匹もの遡上サケを、もっと活かせる術はないか。教育の一環として始まった商品づくりが、やがて事業になり、地域の課題解決へと繋がっていった。
前編では、川に上ってきたサケの一生の“最後の一滴”を活かす、松本さんの足跡を追いかける。
衝撃だった能生川の光景
「これはどうにかしなきゃ、と思いましたね」
新潟県糸魚川市で株式会社「能水商店」を営む松本将史さん。つい3年前まで、地元の海洋高校で水産の教員として教鞭を執っていた。
本学生物資源科学部の卒業後、神奈川県立三崎水産高校の講師を経て、故郷・新潟で2002年度教員採用試験に合格し、Uターンを決めた。
驚いたのは、赴任した糸魚川市にある県立海洋高校の近くにある能生(のう)川で見た光景だった。
能生川には、当時、秋になると1万匹近い産卵期を迎えたサケが遡上してくる。地元の漁協では、その鮭たちの卵巣(イクラ)だけ取り出して、値のつく大型の魚体以外は産廃扱いされていた。ここでは当たり前の光景だった。
しかし、小さい頃から三度の飯より釣りが好きだった松本さんにとって、獲った魚は必ず最後まで食べるのが、父から教わった作法。自分もずっとそうしてきた。だから、どうしたら放置されているサケを活かせるかを、考え、動いた。
「自分だけでなく生徒と一緒に、海洋高校にある食品科学コースの実習で、市場価値の低いサケを利用するための基礎研究や商品開発を行ったんです。地域の課題に生徒たちが関わりながら解決していくってこと自体、面白い取り組みでしたし、良い学習をさせて頂ける絶好の機会」
と、研究、開発を続けた結果、商品化するには最大の課題であった遡上サケ独特の臭いを抑え込むことに成功。2007年にお酒のお供、「鮭とば すもう君サーモン」が完成し、地元企業の協力を得て商品化した。松本さんが最初に行った産学プロジェクトだ。
嬉しかった反面、次の課題もみえた。鮭とばにするには、原料となる魚体のサイズや成熟度を選ぶため、使えるサケは限られた。

開発商品第1号となった鮭とば「すもう君サーモン」
1万匹の遡上サケを、もっと活かせる術はないか―。
松本さんは生徒たちとさらに研究を続け、2010年にさしかかる頃、第2弾となる商品を「魚醤(ぎょしょう=魚の醤油)」に絞り始めた。
研究とオープンシェアで見えた光
その頃から授業だけでなく、“遡上サケを利用した商品作り”は、課外活動としても稼働しはじめた。
「授業としてやっていると限られた時間しか取り組めないので、教員がある程度、お膳立てしたところに生徒が来て、6時限目で終わらないといけない。私が教えていた水産加工で言えば、生徒は魚をさばくってことだけやって、前後の原料の調達とか調味料を買いに行くとかっていうことは一切やれない」
しかし、それでは仕事全体の一部しか捉えていないため、実社会に出たときに本当に戦力になっているかどうか、と疑問が湧いた。だから、クラブで活動を始めた。すると、原料調達などの事前の準備から後片付けまでを、一定の時間のボリュームを経験できるようになったことで、生徒たちはたくましく成長し始めた。
生徒の成長に、松本さんも負けてはいない。商品化を魚醤に絞ったとたん、舞い込んだ朗報に食いついた。
通常の魚醤作りには、塩しか使われず、1~2年かけて発酵させる。ところが、新潟県の水産海洋研究所と食品研究センターがタイアップし考案した魚醤作りは、醤油の麹(こうじ)を使って発酵を促進させる画期的な製法だった。しかも、このアイデアを県は広く県内の事業者に活用してほしいと、提供情報があったのだ。今流行りの“オープンシェア”だ。
麹の中にはタンパク質を分解する酵素があり、酵素が魚の旨味を短期間で生み出す。早速、このアイデアを取り入れた。
そして、ほぼ時を同じくして、教員内地留学制度を活用し、静岡にある東海大学海洋学部に行って、半年間、遡上サケを魚醤として商品化するためのハードルとなっていた“臭み”の成分を徹底的に研究した。

松本さんが2011年9月から翌年3月までの半年間、東海大で研究した内容を記したポスター発表用資料
完成した「最後の一滴」
2012年3月に研究先の東海大学から戻り、行く前に仕込んでおいた麹を使った魚醤を味見してみた。サケの肉だけとか、頭と肉とか、内臓も入れてみたりとか、仕込み方を考え得るすべてのパターンで「どの組み合わせが一番美味しいか」を検証した。
一番美味しかったのは、サケの頭から尾までをすべてミンチにしたモノだった。ちょうど良いサケの風味と醤油のコクを合わせ持った、絶妙な味わいが口の中に広がった。心配した臭みも、麹の効能で見事に抑えられた、これまでにない逸品ができあがった。
「これでいこう」
そこから商品リリースまで約1年をかけ、2013年8月、ついに海洋高校発の遡上サケを使った魚醤「最後の一滴」が販売された。

パッケージデザインは、2016年「GOOD DESIGN」賞を獲得した
「最後の一滴」のネーミングは、生徒が付けた。川に上ってきたサケの一生の“最後の一滴”であること、パスタやチャーハンの旨味隠し味としての“最後の一滴”に、と二つの意味を込めた。パッケージも、ラフ案を生徒がつくり、地元の代理店や商工会議所の経営指導員と相談しながらつくり上げた。
販売は、市内の観光施設からスタートした。ほどなくして、少しずつ地元飲食店でも使ってもらえるようになった。メディアでも取り上げられようにもなり、年が明けた2014年には年間で2,400本を売り上げた。
一方で、「海洋高校」のPRも兼ねて、首都圏での販売イベントに参加する機会も増えていった。高校で広報も担っていた松本さんは、当時、“定員割れ”だった海洋高校に生徒を集める一つの方策として、授業で行う魚醤作りが呼び水となってくれるのでは、と考えていた。
「商品が一人歩きして、こういった学校がここにある、ということを知ってもらっているっていうところだと思います。潜在的に、船や海や魚が好きな子っているんですよね。そういう子たちに、われわれが作った商品を通じて、海洋高校の存在が情報として届くようになった」
2015年12月には、日本テレビ系列「満点★青空レストラン」で取り上げられて、地上波で全国放送された。すると、翌年4月には、遠隔地から来る生徒が1.6倍以上に増えた。
そして「最後の一滴」の売上本数は、前年の7倍近い1万6000本を数えるまでに増加した。
ドイツの“デュアルシステム”では、理論学習と現場が確かにつながっていた

株式会社「能水商店」の前で。海洋高校まで徒歩11分の立地にある
能生川岸でふと目にした、放置された遡上サケ。これをどうにか活用しようと始めた高校での授業から、地域振興を期待されるプロジェクトへとなり、雇用も生む「糸魚川版デュアルシステム」へと発展。ここに高校生キャリア教育と水産業の活性化を示すロールモデルが誕生した。中編では、サケ魚醤「最後の一滴」を生み出すに至った、数々のドラマを振り返る。
産学官プロジェクトが始動
魚醤の商品化に成功し、メディア露出も図れた「最後の一滴」は、順調に売上を伸ばした。
単純計算すると、単価1,225円(内税)の「最後の一滴」が16,000本売れたなら、それだけでも売上金額は2000万円近くなる。県立高校のクラブ活動で得る売上としては、桁外れに大きく、問題となりそうだ。では、なぜそれが可能になったのか。
松本さんは、産学プロジェクトとして商品化に協力してくれた民間企業だけでなく、これに「官」を加えた、産学官のプロジェクトとすることに、大きな意味があると考えていた。
「試験販売をはじめてから1年ほど経った頃に、能生川に遡上してくるサケ1万匹をすべて利用したときの事業規模を算出してみると、高校生による水産振興や雇用創出など、『最後の一滴』を基幹商品とする製造販売事業所による、ダイナミックな地域振興の可能性がみえてきたんです」

「最後の一滴」は生徒たちが名づけの親だ。彼らがメディアに取り上げられることで市外や県外からの入学生が増えた
糸魚川市内の高校生キャリア教育と水産業の活性化を示すロールモデルの誕生は、市にとっても魅力あるものだった。
松本さんは動いた。
生徒と糸魚川市農林水産課の職員と一緒に、高校生が働く事業モデルを先んじて展開していた三重県にある「高校レストラン まごの店」を視察に行った。テレビドラマの舞台にもなった、週末に三重県立相可高校の現役高校生たちが料理をふるまう、立派な営利レストランだ。
「ものすごい人気店で、そこで売上ってどう管理しているのか、細かく聞いてみたら、県費と分け、町で管理してたんです。学内ではなく、外でお財布を管理する、かつ、店舗が学校から離れていて、運営費が県費と混ざらなければ、やれるというのを、市役所の皆さんと確信して帰ってきました」
海洋高校には寮を運営管理する同窓会である(一社)能水会がある。松本さんは、海洋高校の一番強力な応援団が法人格を持っている強みを生かして頂きたい、と会長をはじめ理事の方にお願いし、事業参画への承諾をもらった。
商品開発のため半年間大学へ
「高校生レストラン」を視察に行った2013年11月には、もう一つの別の視察にも行った。
「(公財)産業教育振興中央会が、ドイツ、スイス、デンマークなどで行われている、マイスター養成の“デュアルシステム”の視察に、全国の農業や水産などの専門高校の教諭を対象に、1週間くらい派遣する『教員海外産業教育事情研修』というのがあって、ぜひ、行ってみたいと思って参加しました」
“デュアルシステム”(Dual system)とは、もともとはドイツで始まったシステムで、学校での教育と職場でのOJT(「On the Job Traininng」略称。新人や未経験者に対して、実務を体験させながら仕事を覚えてもらう教育手法)による職業訓練が同時に受けられる職業教育システムだ。

松本さんは、大義名分よりも、日々の積み重ねと周囲が良くなれるかどうかを考え動いてきた
ドイツの専門高校の生徒は、学校に通いながら訓練生として企業実習を受ける。訓練生はこの期間企業と職業訓練契約を結ぶため、訓練生手当が支給され社会保障制度にも加入できる。ドイツのこのデュアルシステムは、周辺国などでも導入されており、日本でも2004年から、文部科学省と厚生労働省が連携して実施する「日本版デュアルシステム」がスタートした。ただ、専門高校で有効に運用されている実例は一部だけといわれる。
「向こうの高校生は週1日または1日半、学校に行って勉強して、残りは地元の会社でOJTで現場を学んでる。彼らには、仕事をしている時間帯の給料も支払われていて、ベンツあたりの工場で働くと、工業高校生は月収12万円くらいもらえる。理論学習と現場がしっかり繋がっているんですよね、そこが凄いなって思って」
今後必要になるのは、専門高校の生徒たちを社会に出て、即戦力人材として育てるための、こうした現実的なシステムの構築だと、考えた。
完成したサケの魚醤「最後の一滴」
ドイツでは、工業高校の3年生が地元の工務店で自分の机を与えられ、強度計算などの仕事を普通にしていた。場所と仕組みさえあれば人は育つ。松本さんは、現実を目の当たりにした。
日本に帰ってきてすぐに動いたのは、生徒たちが働ける学外の「実物学習の場」だった。
糸魚川市に補助金申請をして、学校の近くの元食品工場を水産加工場として生まれ変わらせ、2015年4月、同窓会である(一社)能水会を事業母体とした「能水商店」が誕生した。
そこで生徒たちは、「製造開発部」「品質管理部」「マーケティング販売部」に分かれ、商品の製造や開発から、微生物試験や新商品の化学分析、ホームページやECサイト運営や、イベント販売までの活動を、担当教員や松本さんの指導の下、週1日実践している。生徒たちがリアルな食品産業に触れ、体験として学び取ることに役立っているという。
学校での学習と企業実習を並行して継続的に行う仕組みである「デュアルシステム」が、地域振興に結び付いた「糸魚川版デュアルシステム」で雇用も生まれた。
現在、社員3人、パート5人の「能水商店」は、松本さんが教員を退職し、経営者として本格的に稼働してからのメンバーだ。
「2015年に『能水商店』をはじめてからの3年間は、教員をしながらでしたから、学校が終わってから夜中まで工場で作業することもありました(笑)。原料の仕入れから、売り先の新規開拓まで、ほぼ全部を一人でやっていましたが、全部楽しかったので苦にはならなかったですね」

自ら遡上サケを捌き、加工して商品に。その商品を流通させ、売上から雇用を生む。松本さんの挑戦は続く
生徒たちの成長と、取引先を含めたこの仕事に携わる人々が喜んでくれる商品を作り続けることが、いつしか、松本さんの中で膨らんだ。
「東海大でサケの臭いを研究していたときには、学位を取ろうかと思っていたくらいアカデミックな世界にも惹かれましたが、商人になっちゃいましたね(笑)」
2018年春、松本さんは、教鞭を置いて、自ら創業した株式会社「能水商店」の社長になった。
日大の大島先生の徹底指導がなかったら
今の事業展開もなかったかもしれません

20年前、一部は廃棄されていたサケを、今や資源として有効利用している松本さん
目指す「糸魚川版デュアルシステム」は完成形へと近づいていく。ただそこには、教育の延長であるがゆえの課題があった。事業を請け負う形で教員から経営者となった松本さんは、実社会に適応した有能な人材を育てるため、そもそものサケの一生の始まり、サケの捕獲採卵事業への本格的な参画を試みている。後編では、進化系「糸魚川版デュアルシステム」と実業家・松本さんの転機に迫る。
かつての教え子が社員に
全ての時間を「能水商店」に注ぎ込みはじめると、売上はさらに伸びた。メイン商品の「最後の一滴」の販売本数は2万7000本まで増えた。
原動力の一つは、松本さんを支える社員・パートの人たちの力だ。
入社3年目の開発担当・石田寿文さん(29歳)は、10年前に松本さんの教え子だった。
「海洋高校を卒業後、大手菓子メーカーで9年間、商品開発に携わっていましたが、社長(松本さん)が会社をやると聞いて、自分から誘って下さいとお願いしました(笑)。自分で開発した商品の反応がみられるって、とてもやりがいがあります。今は週に1回、海洋高校の3年生の課題学習をサポートしています」
石田さんが開発した商品は、「ごっつぁんカレー」と「最後の一滴(甘口)」。特に「最後の一滴(甘口)」は、消費者の声を反映した力作だそうだ。
「黒ラベル(「最後の一滴」)はお刺身に付けて食べてもいいんですけど、塩分濃度が高い分、抵抗感のあるお客様もいらっしゃると直接販売の際に感じたので、椎茸に含まれる旨味成分のグアニル酸を加えて、よりまろやかでお刺身や卵かけご飯などで召し上がって頂ける(甘口)を開発しました」
確かに、卵かけご飯で試食してみると、マイルドな旨味が卵とご飯にマッチして、食欲をそそる。消費者からの反応も上々だという。
現在、こうして少しずつ開発してきた商品も40種類まで広がった。今後は、こうした商品の販路を広げることに注力していくそうだ。

相撲の強豪校・海洋高校ならではの「ごっつぁんカレー」も開発担当した石田さん
中でも全国展開するイオンモールでの定期的なブース販売の取り組みは、次第に収益の大きな部分を占めるまでになった。県内はもちろん、埼玉・越谷レイクタウンだとか、長野や群馬まで、イオンモールに海洋高校の生徒が来て販売するのを楽しみにするリピーターも増えてきた。
自社商品も売れ、「海洋高校」の認知度が上がり、生徒たちの職業体験となり、雇用も創出する。目指す「糸魚川版デュアルシステム」ができつつある。
より実習の時間を割くために
さらに、「糸魚川版デュアルシステム」を発展させるための構想がある。
「生徒たちは、今は週1日の実習ですが、本当は週に3~4日必要だと思っています。“体験”程度ではやりがいも感じられないし、仕事は連続しているもの。しかし、全日制の高校では制度的に限界がある。であれば、通信制課程を利用して、高校卒業を担保しながら、職業教育に十分な時間を充てる」
3~4日の職業教育の時間を確保できれば、関連する資格を取るための時間にも充てられる。もし、これが実現すれば、まさにドイツなどのデュアルシステム並みのボリュームのあるリアルな職業教育が実現する。
「(通信制高校の設立は)実は、ここ1年くらいずっと考えていて、対象者さえいれば、『能水商店』で受け入れる予定なんです」
例えば、トヨタ式などでも言われている「5S(整理・整頓・清潔・清掃・しつけ)を慣習化して身に付けさせるには、一定以上の反復作業をしないといけない。専門的な知識や技術の習得も大切だが、現場で基本とされる「5S」のような素養も、大人と生徒が共有するボリュームある時間さえあれば、教えることができる。
「(通信制高校に)入学した生徒たちがいずれ卒業し、社会に出て、活躍する姿を見せてくれたら、10年後には、全日制高校と同じ土俵で、選べる、選択してもらえる学校になると思います。職業教育の根本的な構造の改革、改善という意味では、こうした通信課程を取り入れるしかないと思っています」
「今、僕がやっていることは、全日制課程との連携でなんとか週1日を企業実習に充てている。クラブとしての活動は、もちろん週5日の外の話。これからの時代、週5日で完結するしくみが必要です。昭和の根性論は通用しませんので」
海洋高校だけでなく、日本の専門高等学校教育が抱える、課題にも見える。

2013年から9年間で発売した商品は実に40種類。公式HPではオンライン販売も
本学で鍛えられたロジカルシンキング
「これができたら死んでも後悔しない」と、松本さんが笑いながら話すのが、サケの放流事業への本格的な参画だ。
サケを供給してくれる漁協があったからこそ、「能水商店」は商品を作ることができている。独立した3年前、教員時代にはなれなかった漁業協同組合の組合員になった。
しかし、サケの捕獲採卵事業に関わる組合員の平均年齢は70歳を超え、高齢化の波には逆らえない。であれば、松本さんたち「能水商店」の社員が担い手になれば良い。出した答えはシンプルだった。
「みぞれが降る時期に遡上してきたサケを捕まえて、こん棒で頭を叩いて、お腹を割いて、いくらと精子を混ぜてってことをする人がそのうちいなくなってしまう。であれば、早く私たちが、そこに従業員を配置できるくらい会社として体力をつければ、問題は解決する。ゆくゆくは、サケの稚魚放流をして、4年後に帰ってきたサケを全て魚醤として活用していけたなら、理想的な循環が生まれる」

「教職と経営、人生二度も楽しめていますね」(本人談)
サケの一生の最初から最後までに関わる。松本さんが掲げる産学官プロジェクトの正念場はこれからだ。
最後に、インタビュー中、終始、論理的に理路整然と語る松本さんに、その秘訣を聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。
「日大で3年生から取り組んだ教職課程の「理科教育法」で、当時いらっしゃった大島海一先生が毎週A4一枚の作文課題を出し、ムダを省いた論理的な文章の書き方を徹底的に鍛えて下さった。先生の授業をパスするのは超難関で、大島先生に教わらなかったら、今の事業展開はなかったかもしれない。客観的・合理的な考え方を身に付けられたのが、一番ありがたかった。人生においては、大きな宝だな、と思います」
良き出会いを生かし教員となった第1の人生から、実業家としての第2の人生へ。「能水商店」と松本さんの歩みから、まだまだ目が離せそうもない。
松本将史 (まつもと・まさふみ)
1978年12月12日、新潟県新潟市生まれ。2001年生物資源科学部海洋生物資源科学科卒。新潟県立巻高校時代は山岳部。本学では、サークル活動で漁業学学術研究部(漁研)に所属し、釣り好き仲間と全国を縦断。
本学卒業後、新潟県立海洋高校の水産教員として赴任。市場価値の低い産卵期サケを有効利用した魚醤「最後の一滴」を(一社)「能水会」(=海洋高校同窓会)として商品化。
2018年、16年間務めた海洋高校を退職し、自ら設立した(株)「能水商店」の代表取締役となる。ドイツ発祥の職業教育制度「デュアルシステム」をモデルとした「糸魚川版デュアルシステム」を考案し、自社で実践している。