ごまとの出合いは、一つの導きであると考えています

岐阜県高山市にある、ごまの蔵高山店

独自の技術でごまのおいしさを追求している株式会社セサミライフ。創業者・伊神幸泰氏のこだわりが詰まった同社の製品は、老若男女から高い支持を得ている。コロナ禍で苦しい状況にあっても、あきらめることなく、不断の努力でこの状況を打開しようと奮闘中だ。前編では伊神氏のルーツ、彼がごまと出合うまでの人生にフォーカスしよう。

時代に合った食品を提供する家系

ごま加工品販売を開始するために伊神氏が「オフィスアイ」を立ち上げたのは2001年のことだ。それから2年後に出身地である岐阜県各務原市に株式会社セサミライフを設立し、自社生産をスタート。

「“体”によくて“味”にこだわる」をモットーに独自の技術で加工したごま製品が人気を集め、現在では唯一無二の胡麻専門店「ごまの蔵」を岐阜県に2店舗(高山店、お千代保稲荷店)、滋賀県に1店舗(長浜店)を構えるまでに成長した。

伊神氏の家系は各務原市で代々、食品ビジネスに従事してきた。

曽祖父は大正時代にこの地を開墾し、麦や芋を作り、祖父は戦後にそれらを加工し、水飴を販売。父は高度成長期に芋で育てた豚を世の中に供給していた。

「ひい爺さんのときは食べるのが困難な時代で、爺さんのときには世の中から甘いものを求められていました。父のときには良質なたんぱく質、そして私は健康的なごまというように、うちの家系はその時代に合った食品を世の中に提供しているのです。ですから私とごまとの出合いは、一つの導きなのだと考えています」

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長嶋茂雄に憧れて

幼少時代の伊神氏は一人のプロ野球選手に憧れた。後に読売巨人軍の終身名誉監督となる長嶋茂雄氏だ。

「常に明るく前向きな長嶋さんの周りには人が集まっていて、当時おとなしい性格だった私は、長嶋さんのような人になりたいと思っていました」

 伊神氏の長嶋氏への憧れは筋金入りだ。ごま加工品販売を最初に始めた会社名は「オフィスアイ」で、これは長嶋氏の「オフィスエヌ」にちなんでいる。また、現在所有する長嶋茂雄グッズは長嶋氏通算ホームラン数の444点に上るなど、常に伊神氏の心の中で長嶋氏が輝きを放っているのだ。

大学時代について語る伊神氏

「大学時代は軟式野球部に所属したのですが、1年生で入ったばかりなのに、背番号3以外は着けないと先輩に伝えましたし、ゴルフの授業では3番アイアンばかり使っていました。銭湯に行くときにも3番のロッカーを使うなど、徹底しています(笑)」

大学は本学の農獣医学部畜産学科(現・生物資源科学部動物資源科学科)へ進み、肉質の良い豚を育てる研究を行っていた。大好きなお酒を覚えたのも大学時代で、研究室に泊まり込んで仲間と酌み交わした酒の味は格別だったそうだ。

「研究室でお酒を呑むのは褒められたことではないですし、今の大学生にはありえないことかもしれませんが、本当に充実した楽しい大学生活でした。4年間補欠でしたが、大好きな野球もできて、当時の仲間とは今でもいい関係を築けています」

伊神氏の日大愛の深さを何度も感じることができたのは、この取材で印象に残った一つだ。そんな彼の日大への願いは、大好きな箱根駅伝で母校が優勝する瞬間を見ることだ。

体に良く、人に喜ばれるもの

大学を卒業した伊神氏は名古屋にある食肉会社へ就職した。

「入社するまでは研究開発を希望していたのですが、入社日に営業をしたいと思って、会社にもそのように伝えました。外に出ていろいろな人に会ってみたいと急に考えるようになったのです」

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営業部に配属された伊神氏の生活は多忙を極めた。各務原市の実家から名古屋の会社へ2時間かけて通い、接待なども含め、酒の席は多く、睡眠時間はかなり短かったそうだ。また仕事上、自然と食生活は肉が中心になっていった。

「食肉会社時代に食べた肉の量は一生分、いや二生分になると思います。また当時の食肉会社というのはイケイケな方が多く、上司がパンチパーマでした。そのような意味でも鍛えられ、根性がつきましたし、アメリカやオーストラリアなどの海外出張で、見聞を広めることができました」

そんな充実した日々を過ごす伊神氏だったが、忙しい生活は彼を蝕んでいき、ついに体が悲鳴をあげた。十二指腸潰瘍を患ってしまったのだ。

伊神氏は食肉会社に在籍した11年間で三度、十二指腸潰瘍で倒れた。

「不摂生が祟ったのでしょう。ちょうど同じころ、父が養豚を廃業することになり、食肉会社にいる意味もなくなってしまいました。このような経験から『体に良く、人に喜ばれるもので身を立てたい』と次第に考えるようになったのです」

そして遂にごまと出合う。伊神氏が35歳のときだった。

私の見据える未来には光があります

ごまの蔵高山店にて

自身が病気になったことで「体に良く、人に喜ばれるもので身を立てたい」と考えていた伊神幸泰氏は、導かれるようにごまと出合った。ごまに魅せられた伊神氏は、ここからごま一筋の人生を歩むことになる。後編では会社設立の経緯、こだわりが詰まった商品の数々、コロナ禍における戦略などについて語ってもらった。

高山のジャパネットたかた

父の紹介で入った会社でごまと出合ったのが2000年のことだ。その会社で伊神氏は食肉会社時代と同じように営業職に就いたのだが、早い段階で独立を考えることになる。

「社長とはたくさん衝突しました。簡単に言えば反りが合わなかったのです。それでも今後はごまで勝負すると決めていたので、独立することにしたのです」

1年後、会社を立ち上げ、ごま加工品の製造販売をスタートさせる。卸売の他に、長浜黒壁スクエア、各種イベント会場などで対面販売を積極的に行った。

「その頃は『黒胡麻飴』が主力商品でした。この飴には400粒分の黒胡麻が入っています。この商品を滋賀県長浜市にある黒壁ガラス館の軒先をお借りして販売させていただきました。妻や義父にも協力してもらい、必死で売りましたね」

 創業当時からこだわっていたのは体に良く、おいしい味の商品開発だ。伊神氏は毎日ごまを食し、試行錯誤を繰り返した。他にも話術を磨くため、お笑い芸人のDVDなどを何度も鑑賞した。

創業当初を振り返る伊神氏

その努力は実を結び、路上での1日の売り上げが大卒初任給くらいに達したこともあった。

「あの頃より話術も磨かれ、今では『高山や長浜のジャパネットたかた』と言わることもあります(笑)。また、変わらずごまを毎日食べています。会社も私もここまで成長できたのは長浜の街のみなさんのおかげです」

体によくて味にこだわった商品

セサミライフのごま商品はご飯にかける、パンに塗る、おかずに使用する、牛乳やお湯に溶く、お菓子にするという5本柱で作られており、店舗だけでなく、ごまの藏のホームページで購入することが可能だ。

セサミライフ完全オリジナルのペースト「黒ごまキャラメル」

「弊社の胡麻油は手詰めにこだわり、他のどこにもない香りを追求しました。ペーストは他の会社が作っていない完全オリジナルで、トーストなどに塗っておいしく食べることができます。また『大麦入りごま梅茶』などの粉末もお客様から高い評価をいただいています」

搾れるほどの油を含むごまは、ペースト加工すると時間経過とともに分離してしまうのだが、この問題をクリアし、無添加で長期保存可能なのがセサミライフの技術だ。また粉末にでも油があることでパウダーにするのは難しいのだが、セサミライフ独自の製法がそれを可能にした。

「ごまの粉末では『とろけるきな粉』という商品があります。きな粉を食べると歯にくっつくことが、この商品はそれがなく、くちどけの良さを感じていただけます。またその粉末を使用した『ごまきな粉豆』というお菓子は、落花生を粉末化した黒ごまときな粉で包んだことで、外はしっとり、中はサクサクというおもしろい食感が楽しめます」

読者の皆さんもごまのおいしさを徹底的に追求した数々の商品に、きっと驚かされることだろう。

光に向かって歩み続ける

新型コロナウイルスはセサミライフに大打撃を与えた。ごまの蔵はいずれも観光地に店を構えているのだが、客足は途絶え、高山店の売り上げは9割減になる月もあったそうだ。それでも伊神氏はあきらめずに歩み続ける。なぜなら彼の見据える未来には光があるからだ。

「長嶋茂雄さんもデビュー戦で4打席4三振をしましたし、監督初年度は最下位という成績でした。それでもあきらめずに努力したことで、選手としても監督としても素晴らしい功績を残しています。私は長嶋さんからあきらめずに努力し続けることの大切さを学んだのです」

現在、伊神氏に見えている光は二つある。一つはオンライン販売で、昨年リニューアルされたホームページは順調にアクセス数を伸ばし、売り上げに大きく貢献し始めている。そしてもう一つの光は刺身用ごまという新商品の開発だ。刺身市場の席巻を目論んでいます。

「船盛りを食べていると、醤油だけでは飽きてしまうと感じることがありました。そこで味にアクセントをつけるためにある加工をしたごまで刺身を食べてみたのです。これがとてもおいしくて、さらに工夫して商品化することに決めました。商品名は未定ですが、今年の4月には販売開始できるように進めています」

ごまの蔵高山店内

敬愛する長嶋茂雄氏がジャイアンツ一筋だったように、ごま一筋で奮闘する。実直に明るい笑顔で話す彼の姿が長嶋氏と重なる部分があるように感じるのは筆者だけではないだろう。

コロナに打ち勝ち、セサミライフがより一層の発展を遂げることを願ってやまない。

伊神幸泰(いがみ・ゆきやす)

1965年12月9日生まれ。1988年農獣医学部畜産学科(現・生物資源科学部動物資源科学科)卒。岐阜県出身。代々各務原市で食品ビジネスに従事する家系に生まれる。父の跡を継ぐための進路として本学へ進み、養豚の研究を行う。
卒業後は食肉会社に11年間勤務。その間に体調を崩し、「体に良く、人に喜ばれるもので身を立てたい」と考え、2003年に株式会社セサミライフを設立。「“体”によくて“味”にこだわる」をモットーに独自の技術で加工したごま製品が人気を博し、ごま専門店「ごまの藏」を岐阜県に2店舗、滋賀県に1店舗展開し、高い評価を受けている。