(世界で)一番を目指さないとつまらない。それだけのことです

山梨県甲州市にあるブドウ農園
2017年、山梨県甲州市にある「Kisvin」という小さなワイナリーがワイン界に衝撃を与えた。ワインの神と呼ばれる世界的なソムリエが彼らのワインを絶賛したのだ。ワイン発展途上国と言われる日本から世界が認めるワインを送り出す荻原康弘。彼のブドウへの情熱と飽くなき探求心に迫った。
世界一のワインを目指して
荻原は農業生産法人株式会社Kisvinを2009年に設立。自社醸造施設「Kisvin Winery」が建設され、ワイン醸造が開始されたのは2013年のことだ。
それから4年後に、ワイン界の神と呼ばれるソムリエ・故ジェラール・バッセ氏がKisvinのワインを賞賛。2020年には「ANAオリジナルKisvin甲州」が全日空の国際線ファーストクラスの機内搭載ワインに採用されることとなる。
ワイナリーの誕生からわずか7年でワイン界を駆け上がってきたKisvinだが、荻原にとって、これらの功績は、いつか通る道が少しばかり早く訪れただけだったのかもしれない。
なぜなら彼が目指しているのは世界一のワインを造ることだからだ。
「世界で一番って言うと、笑う人もいますよ。多くの人に日本で世界一のワインを造るのは無理だと言われもしたよね」
世界的に有名なワイン産地の多くは乾燥地だ。例えばカリフォルニアのナパの雨季は11~3月で、ブドウの生育期間中はほとんど雨が降ることはない。フランスのワイン産地も同じく降水量が極めて少ないことで知られている。
一方、日本では3月から徐々に降水量が増え、6月には梅雨を迎える。つまり世界各国の有名産地とは真逆の降水グラフを辿っているのだ。
ワインにおける日本という土地が「世界一」という発言を嘲笑する一因なのだろう。しかし、そんなことは荻原も当然承知している。
「車、電化製品、新幹線など、日本のものづくりは世界に高く評価されています。多くの誇れるものを作り出してきたのにワインを造れないなんて格好悪いでしょ? それに一番を目指さないとつまらない。それだけのことです。『世界一って何?』って笑って聞いてくる奴には『目指さない者にはわからない』って答えていますけどね(笑)」
それでも全く同じ問いかけをした筆者に対して荻原は、世界一について優しく教えてくれたのだが、それは後編で述べることにしよう。
競争原理を意識

大学時代について語る荻原氏
農獣医学部畜産学科に在籍していた際、荻原が夢中だったのはバイクだ。その腕前は全日本選手権に出場するほどで、当時の夢はプロレーサーになることだった。そのほかに思い出されるのは飲食店でのアルバイトで、当時の経験は現在にも生きているそうだ。
大学では友人も少なくあまり思い出もないそうだが、実習は好きな時間だった。
「畜産学科ですから、1週間泊まり込んで牛の世話をするというのが、年に2回ほどありました。そのときに、なぜか俺が行くと牛が出産するんですよ。何度もあるから周囲からは『産気を催す何かが荻原の体から出ている』なんて言われていましたよ(笑)」
Kisvinの醸造責任者・斎藤まゆによると、大学時代について楽しそう語ることも少なくないそうだ。
確かに学校での思い出は少ないのかもしれない。それでも荻原にとって大学時代はかけがえのないものだったに違いない。そう思わせてくれたのは、現在の彼に通ずる姿勢が熱中したバイクにもあるからだ。
「物の進化やイノベーションは競争原理からしか生まれないと考えています。例えば誰かがシャルドネを飲みたいと思ったら、ショップやレストランなどにあるシャルドネの中から選ぶことになります。つまり産地などは関係なく、お客様のコンペティションの中に放り込まれ、うちのワインはそこで選ばれなければならない。競争原理については常に意識していますし、根底にこの考えがあるのはレースでの経験が影響していると思います」
木にとって最適な環境作り
代々ブドウ農園を営む家系に生まれた荻原が大学を卒業したのは1983年のことだ。
しかし、すぐに農家になった訳ではない。父の勧めでトラック販売会社に就職し、その後保険会社に転職した。ワインと出合ったのは90年代後半で、アメリカ人の友人とカリフォルニアを訪れた際のことだ。
「父が2000年ごろに病気を患い、当時は自分で保険の代理店をやっていて、自由が利いたので、農園と自分の仕事を掛け持っていました。それより少し前からカリフォルニアのワイナリーにも行くようになって、『うちの農園でもワインができるんじゃ?』と思ったことがワイン造りのきっかけです」

農園のブドウ
株式会社Kisvin設立のきっかけとも言える、醸造用ブドウの勉強会グループ「Team Kisvin」を2005年に立ち上げた荻原。主なメンバーは彼と同じくブドウ栽培者の池川仁氏と当時東京大大学院の研究員だった西川一洋氏の3人で、それまで食用ブドウが主だった農園にワイン用ブドウを栽培し、同時に規模の拡大にも着手した。
食用ブドウとワイン用ブドウの大きな違いは見た目にある。前者は粒が大きく食べやすいものが好まれるが、後者に形は関係ない。
「ワイン用ブドウはワインにしたときにどれだけおいしいかが全て。糖が全てアルコールになるから、そのまま食べてもすごくおいしいんですけどね。ワイン用ブドウは見た目にとらわれないから参入する人も多いのですが、日本は加工を前提とした農作物を作るのに弱く、技術的蓄積も少ない。その中でもブドウは育てるのが難しい植物だからそんなに簡単にうまくいくものじゃないんだけど」
先述した通り、天候に恵まれない日本においてブドウ栽培は困難を極める。
荻原には代々受け継がれる経験、仲間の助け、弛まぬ努力があり、それらが現在の評価につながっているのだ。そしてブドウの木に最適な環境を提供することが何より大事だと荻原は語る。
「自然派とか言って、殺菌剤も殺虫剤も使わないのが素晴らしいみたいな風潮があるけど、それを人間で例えると病気に対して予防も治療もしないのと同じなんですよ。虫に食われて木が枯れることだってあるんだから、そのための対応をするのは当たり前でしょう」
知り合いの農家が花弁の付かないカベルネ・ソーヴィニヨンを抜くというので、譲り受けたことがあるが、荻原にも状態を改善させることができなかったそうだ。そこで彼はカベルネ・ソーヴィニヨンに接ぎ木をし、シャルドネに生まれ変わらせた。農園内には枝の途中から色の変わる木が多く見られた。
「ブドウの木はワイン造りのための道具じゃなくて、生き物なんだよね。それを理解していたら『自然が一番』なんてとてもじゃないけど言えないよ。農家や畜産業に携わる人間は、その命が自身の仕事の全ての始まりであることを肝に銘じて向き合わなきゃいけない。俺はそう思っているよ」

接ぎ木について語る荻原氏
勉強したい学生が畑に来てくれていいし、
(中略)必要なら声かけてよ(笑)

山梨県甲州市にあるKisvin Winery
醸造所の完成からわずか7年で国内外の評価を高めたKisvin Winery。この軌跡を辿ることができたのは、荻原康弘と彼のかけがえのないパートナーのワインに対する情熱の賜物と言えるだろう。そして「世界一」を目指す2人の想いは、彼らの造るワインやワイナリーの経営方針にもしっかりと表れている。
醸造家との出会い
Kisvin Wineryを語る上で欠かすことのできない人物がいる。
醸造家の斎藤まゆだ。
早稲田大在学中にワインと出合った斎藤は同大を中退後に渡米。カリフォルニア州立大でワイン醸造を学んでいたときに1人の見知らぬおじさんからメールが届いた。荻原だ。
「大学で学んだワイン醸造の記録を斎藤がブログに書いていて、それを読んでいました。ブログには俺の見たいものが全て綴られていて、世界でも有数の産地で醸造経験がある彼女を仲間にしたいと思ってカリフォルニアまで会いに行きましたよ。ナンパですね(笑)」
出会った当初、斎藤は荻原に懐疑の目を向けていた。
しかし、帰国した2009年に塩山のブドウ畑を見て考えを一変させる。
荻原の作るブドウに大きな可能性を感じた彼女はTeam Kisvinに加わることとなった。斎藤はさらにその後、フランス・ブルゴーニュで研鑽を積み、Kisvinの醸造所が完成した2013年に帰国。醸造責任者となった。
「俺の仕事は最高のブドウを作ること。だから収穫後は全て彼女に任せています。醸造に関しては一切口を出しませんよ」
驚くことに荻原がワインを口にすることは少なく、斎藤にテイスティングを促されても断るそうだ。斎藤に全幅の信頼を置いている証であろう。
「醸造についても勉強はしたけど、俺はアマチュアで彼女はプロだから飲む必要はないし、お酒って楽しく飲むものでしょ? ワインを飲むとあれこれ言いたくなっちゃうんだよね、性格的に。仕事上、いろいろなところでワインを勧められるんだけど、それも『ワインアレルギーなんだ』とか言ってほとんど断っちゃう(笑)。もちろんいただくことがないわけじゃないけど、下手なワインを飲むと舌がバカになるから、基本的に飲むのは年に一度行くカリフォルニアでと決めてるんですよ」
Kisvinの名を世界に轟かせたシャルドネ

左からシャルドネレゼルヴ、ピノノワール、甲州レゼルヴ、ピノノワールロゼ
Kisvinは山梨県甲州市塩山と勝沼地区に5ヘクタールほどの畑を持つ。
そこで赤ワイン用のピノノワールとシラー、ロゼワイン用のジンファンデル、白ワイン用のシャルドネと甲州を育てている。ピノノワールやシャルドネは世界中で栽培されている品種だ。ワイン界の神と呼ばれるソムリエ・故ジェラール・バッセ氏が賞賛したのはシャルドネヴィンテージ2014。
つまりワインを愛する者なら誰もが知る品種で超一流のソムリエから賛辞を受けたということだ。それがいかに稀有な出来事であるか、ワインに疎い人間でも容易に想像できるだろう。
「Kisvinの名を世界に覚えてもらうためには、ピノノワールとシャルドネで勝負できなくてはいけない。そこで興味を持ってもらえれば日本古来のブドウ・甲州の知名度も上がり、注目されると考えています」
Kisvinの甲州レゼルヴは醸造責任者・斎藤の自信作だ。
一般的にレゼルヴ(レゼルバなどの類似表記あり)とは、一定期間、樽で寝かせて熟成したワインのことを指す。国によってワイン法は異なるが、スペインなどでは熟成期間が定められおり、条件をクリアしなければその名を冠することはできない。
「もちろん日本では法的な意味を持つ言葉ではありません。それでもKisvinでは最高のブドウを最高の仕事をして瓶に詰めたときに『レゼルヴ』と表記しています」
コロナウイルスの影響もあり、残念ながらKisvin Wineryの売店は現在休業中だが、山梨県では勝沼町にある新田商店、東京都内では、いまでや銀座、カーヴドリラックス、その他にインターネットでも購入が可能だ。また、都内外資系ホテルでサービスを受けることもできる。あなたもKisvinの自信作を一度味わってみてはいかがだろうか。

この文章はダミーで、文字の量やサイズを把握する為のものです。
100年後も続くワイナリーに

Kisvin Wineryの敷地内にあるワイン樽倉庫
Kisvin Wineryでは年に約1万5000本のワインを醸造しているが、収穫した全てのブドウを使用している訳ではない。
荻原は早く2万本の醸造を可能にしたいと考えているが、それは新たに畑を作るということではなく、今ある畑を成熟させて収穫量を増やすことを意味している。
そして彼は目標の一つとして「100年後も続くワイナリー」を掲げており、そのためには身の丈に合った経営が大事だと語る。
「畑の設備を整えるためにアウトソーシングをすると2000万円ぐらいはかかるんですけど、そこには当然依頼先の作業費や人件費などが加わりますよね。でもそれを自分たちの手で行えば材料費の400万円で作ることができる。しかもそこで得た技術は1600万円の価値がある。これは目には見えないけど、すごいことでしょ? 他にもロゴ制作やボトルのデザインもしたし、ワイナリーは実家を改装して作りましたよ」
経費は当然価格に反映される。本物のワインをボトルの中に詰めるために、できることは全て自らの手で行う、これはKisvinでは当たり前のことなのだ。荻原のパートナー、斎藤も同じ考えを語っていた。
「ワイナリーもビジネスだから経営を成立させるためのマネープランは重要で、Kisvinでは、まず畑と醸造所という最低限のものにお金を使いました。私が学んだカリフォルニア州立大ではワイン造りだけでなく、ビジネスとしてワイナリーの運営方法も教育していて、それは今でも役立つ価値のある学びです。日本大学さんにもワインの実践的な能力を養える学科を作ってもらえたらうれしいです(笑)」
ワイナリーを経営する上ではブランド戦略も欠かせない。1万5000本という限られたワインの卸し先を考えることも重要な要素だ。
「うちのワインを見たことがないなんて言われることもあるけど、どこにでも卸している訳ではないから当然だよね。世界一になるためにはコンクールで一番になるとかもあるけれど、誰もが認めるワインにならなければならない。じゃあ、そういうワインってどのようなレストランやホテルに置いてあって、どのような人たちが口にするのか、それを考えています。そこで認められることで世界一に近づくだろうね」
ワイン用ブドウの栽培から経営まで、荻原は仲間の助けを借りながら、独学で学んだそうだ。そして常に新しい情報を頭に入れ、2~3年前の自身の考えや技術は全否定しなければいけないと考えている。
「今はいいよね。欲しい情報が手に入るし、調べればすぐにわかる。YouTubeなんかでも学術的な動画があるから助かるよ。それでも畑には今も昔も同じ時間が流れているから、トライ&エラーも1年に1回しかできない。だからこそ知識が必要なんだよね」

ワイナリー内の売店にて
インタビューの終わりに「勉強したい学生が畑に来てくれていいし、畑でも経営でも講演するから、必要なら声をかけてよ」と笑顔で語った荻原が印象深い。
昭和気質の残る男だからだろうか、少し荒い言葉遣いにも温かさが滲み出ている。
植物にも人間にも分け隔てなく接し、愛することができる荻原の魅力が尽きることはおそらくない。そしてその彼が作るワインだからこそ、人々を魅了することができるのだろう。そう思わずにはいられない。
荻原康弘(おぎわら・やすひろ)
1960年1月26日生まれ。1983年農獣医学部畜産学科(現・生物資源科学部動物資源科学科)卒。山梨県出身。代々続くブドウ農家に生まれ、2001年に父・登より家業を継ぐ。
09年農業生産法人株式会社Kisvinを設立。13年自社醸造施設「KisvinWinery」を建設し、ワイン醸造を開始。翌年からワインの販売をスタート。自社畑の充実と丁寧なワイン造りをモットーに、世界水準の品質を目指しクリーンで果実味あふれるワインを生み出している。