オリンピックで金メダルを取りたい。プロになってみんなに夢を与えたい。日本の企業に就職して活躍したい。それぞれに大きな夢を抱いて日大にやってきた留学生たち。出身や言葉が違っても彼らの思いは一つ。日大で力をつけていつの日か必ず夢を掴んでみせる―

タウファ 統悦さん

いまでもはっきりと覚えています。2000年11月16日。僕が日本へやってきたのは20歳になったばかりの秋の終わりのことでした。その日から僕の第二の人生が始まったんです。
じつはその時、南アフリカに留学する話もあってとても悩んだのですが、「言葉は大変かもしれないが、日本の方が安全だ」という父の意見を聞いて、日本へ留学する決断をしたのでした。当時はトンガからの留学生は大東文化大学へ入学するのがおきまりで、日大に進んだのは僕が初めてだそうです。

日大がいまの僕を作ってくれた。

いまの僕があるのはすべて日大のおかげ、と言っても言い過ぎではないです。そもそも留学のきっかけをくれたのが日大でしたし、何もわからない僕に日本語だけでなく、日本の文化や日本人の心まで教えてくれたのも、ラグビー部の監督、コーチを始めとする日大の先生方でした。ラグビー部の仲間以外の友達がたくさんできたのも日大だったから。近鉄ライナーズに加入できて、日本代表になれたり、ラグビーワールドカップに出場できたのも、日大でのプレーを認めてもらったから。日大での4年間がいまの僕を作ってくれたんです。

いつか必ず日大に恩返しがしたい。

日大を卒業してからずっと思い続けていることがあります。それは自分を育ててくれた日大に、いつか恩返しがしたいということ。自分ができることはラグビーに関することだと思うので、何らかの形でラグビー部の力になれたらと考えています。すぐに優勝させることは難しいかもしれないけど、少しでも強くする自信はあります。そのために僕はいまコーチングライセンスの取得に挑戦しています。自分の持っている経験を選手たちに伝えていくためにはHOW TOが必要。それを見つけようといま一生懸命に勉強しているところです。

現役でいる限りワールドカップを目指す。

僕は2011年に小さい頃からの夢だったラグビーワールドカップに出場することができました。その後、達成感から少しロス状態になってしまったんです。これから何を目標にしていったらいいんだろう、と。現役を続けるのはお金のため? 家族のため? いやそうじゃない。自分のラグビー人生まだまだやり残していることがあるはずだ。そう思ったときに見えてきたのが、2019年に日本で開催されるワールドカップにもう一度出たい、という新たな夢でした。その時僕は39歳。正直簡単な話じゃないけど、現役でいる限りはチャレンジし続けたい。日大への恩返しはその後です。

Profile

タウファ 統悦(トーエツ)

1980年生まれ。トンガ出身。183cm・105kg。近鉄ライナーズ所属。

日大1年時よりFWの主力として活躍し、4年時にはキャプテンを務める。近鉄ライナーズに加入後の2005年に日本代表に初招集。2011年にはラグビーワールドカップ2011に出場した。

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