世界中を驚かせた、リオ五輪4×100mリレーでの快走から約4ヵ月後の今年1月、
銀メダリスト・ケンブリッジ飛鳥選手は、日本人初のプロスプリンターとして新たな道を走り始めた。目指すのはあくまで、2020年東京五輪100mでの金メダル。
日本人初の9秒台も、彼の中ではもはや文字通りの秒読み段階、頂点に向けての通過点に過ぎない。
リオの経験を糧にしたNext Challenge、彼の言葉には自信がみなぎっていた。
トップ選手たちと同じ舞台で戦うために、プロへ。
リオ五輪の男子4×100mリレーで、日本チームのアンカーを務めたケンブリッジ選手は、アメリカの猛追をかわしジャマイカ・ボルト選手に続く2位でゴール。「決勝で最も驚いた出来事のひとつ」(AP通信)と言わしめた”奇跡の銀メダル”を獲得し、日本中が歓喜に湧いた。
©PHOTO KISHIMOTO
大学生の頃から、“プロのスプリンター”というのに興味がありました。ただ、すぐにプロになるというわけではなく、いずれはそういう立場で試合に臨めればいいなと思っていました。
きっかけはやはり、リオで走ったことですね。100mの予選はいい走りができたのですが、準決勝では自分の形を崩してしまい、上手くいかないレースになってしまいました。自分ではもう少しやれるかなと思っていたんですけど…。決勝のレースはスタンドで見ていましたが、走るメンバーはみんなプロとしてやっている選手ばかりで、そういうところでも試合に対する意識に何か差があるのかなと感じて、やるからには自分も同じ舞台、同じ土俵に立って勝負してみたいという気持ちが強くなったんです。
「プロになりたい」と周りに話したら、誰もが最初は「大丈夫か」と心配してくれましたし、コーチには「いつかそう言い出すんじゃないかと思っていた」と言われました。最終的にはみんな応援してくれたので、僕としては迷うことなくプロになることを決断できました。
プロになって変わったことは、気持ちの違いが大きいですね。これまでも結果を求められていましたが、これからは結果も内容もまた違ったものが求められると思うし、プロは結果がすべて自分の生活につながってくるので、今まで以上に引き締まった気持ちになっています。でも、やることが特別変わったわけではないので、求めるレベルが高くなったということですかね。
トレーニングは、コーチと一緒に相談しながらやっています。自分からこうした方が良いのではという意見を言うこともありますが、自分だけで練習メニューを決めたり、与えられたメニューをこなすだけといったことはしないようにしています。これまではずっと、苦手なスタートを課題にしてトレーニングをしてきましたが、まだまだムラもあるものの、ある程度は自分の思うような形になってきました。ここからは、自分の得意なところをもっと伸ばしていければいいかなと思います。
国内では、僕は後半が強いように言われていますが、世界の舞台で戦ってみると、決して弱くはないけれども、特別に強いわけでもない。だから、自分の得意とする武器をもっと伸ばして、世界レベルに近づけていけば、十分に世界でも戦っていけるんだという手応えを、リオの100m予選を走って感じました。あのレースも9秒台の選手が4、5人いたので、正直ちょっと厳しいんじゃないかと思っていましたが、結果的には問題なく着順で通過できましたし…。それだけに準決勝の走りはもったいなかったと思っています。
あと、レースを走って感じたのは、やっぱり経験の少なさですかね。トップ選手と走る機会があまりに少ないので、9秒台の選手たちと一緒に走る機会を増やすために、今シーズンは初戦からアメリカに遠征して3試合走ります。昨年9秒台を出した選手やメダリストも出場してくるので、そこでどういう走りができるのかを確認したいですし、足りないと思ったことは早く補って次に進みたいと思っています。
日本人初の9秒台は、もう手が届くところにある。
ケンブリッジ 飛鳥選手
今シーズンはここまで順調に来ています。足の不安が全くないわけではないですが、この冬もしっかり練習できているので心配していません。
この調子を維持して8月のロンドン世界陸上までに9秒台で走れればいいなというイメージです。アメリカでの試合で9秒台を出せればいいんですけどね。狙っていきますが、あまり深く考えずにのびのびとやれば出るかなという感じですね。
【※インタビューから1週間後の4月15日、米フロリダ州で行われた競技会で、追い風5.1mの参考記録ながら自身初の9秒98をマークした。】
また、新しい自分を作るためにも環境を変えることを考えています。今年は世界陸上があるので、チャレンジするなら少し落ち着いてできる来年ですかね。大事なのは、2020年の東京オリンピックはもちろん、その前年、2019年の世界陸上(カタール・ドーハ)であって、世界陸上で結果を残さないと、オリンピックで勝つのは難しいだろうなと思っています。この2つの年が勝負になるので、今自分がやりたいと思ったこと、足りないと感じたことに挑戦するのが、これからの2年間だと考えています。なので、今シーズンが終わったら練習の拠点を海外に移してやってみようと考えています。
今年の世界陸上でボルト選手が引退すると言われていますが、オリンピックのリレーではメダルを獲ったものの、ちょっと悔しさもなくはなくて…。あの時、隣のレーンを走った僕だからこそ、ほかの誰よりも100mの決勝でボルト選手と走りたいという気持ちが強いと思いますし、そこであのリレーのリベンジをしたいと強く思っていて、そういうイメージも常にしていますね。
もちろん、リレーメンバーの桐生(祥秀・東洋大)君や山縣(亮太・セイコー)さんにも負けたくないですし、2人のレースは気になりますね。彼らがいいタイムで走ったり、良い結果を残したりすると刺激になりますし、それが僕のモチベーションにも間違いなくなっているので、2人の存在というのはすごく大きなものだと思います。
リオで準決勝まで進んで、次の東京オリンピックでの目標が“決勝進出” だと小さいなと思うので、やはりメダル争いをする選手になっていなければいけないですよね。もちろん金メダルを狙います。また、100mだけではなく、200mのレースも挑戦したいので、今年は少しずつ200mを走る機会も増やしていこうと考えています。
”憧れの選手”になりたい。
ケンブリッジ選手からのメッセージ
2020年までのステップは考えていますが、その先のことはイメージが沸きません。これから体も変わっていくでしょうし、その時にどういう走りをしているかも分からないので、あまり先のことを考えても仕方ないと思いますが、どういう選手になりたいかというのはあります。
僕がボルト選手に憧れて陸上を始めたように、僕を見て子供たちに「陸上をやりたい」と思ってもらえるような選手でありたいと思います。その点、今回初めて短距離でプロになりましたが、新しい道を拓いていく上で失敗できないなと感じることがあります。「ああいう競技人生を送ってみたい」「僕もプロでやってみたいな」と思う選手が現れてくるように、これからの僕が良い結果を残していかなければならないんだと思います。
最新情報
セイコーゴールデングランプリ川崎では、ガトリン選手(右)と競り合うも捉え切れず。「並んだ時に行けるかなと欲が出て力が入り、腕の振りがぎこちなくなってしまった。残念です。」
セイコーゴールデングランプリ陸上2017川崎は僅差の2着。
今季国内初レースとなったセイコーゴールデングランプリ川崎でケンブリッジ選手は、リオ五輪100m銀メダリストのJ・ガトリン選手と対決。リオの100m準決勝では大差で敗れたが、「楽しみにしていた。勝つチャンスはあるかなと思いながらアップしていた。リオよりはいいレースができたと思う」という通り、隣のレーンを走るガトリン選手に得意の後半で肉迫。100分の3秒差で惜しくも2着(10秒31)となったが、「ずっと視野に入っていた。しっかり最後まで競ることができたことが自信になった」と手応えを感じ、「自分の持ち味を出し切れないレースが続いていたので、これまでに比べたらだいぶ良くなったと思う」と笑顔。
期待された9秒台は出なかったが、1週間前に走った上海ダイヤモンドリーグでのレース(10秒19で4位)と比べ「タイム的には物足りないが、感覚としては今日のほうが良かった」と話し、「スタートはちょっと遅れたが、中盤からしっかり伸びてきた。でも、自分の思い描いている走りとはまだ少し差があるので、そのイメージに近づけるようにやっていきたい。向かい風(1.2m)が残念だったが、こういう条件でもしっかりタイムを出せるように力を付けたい」と振り返った。
6月に走るレースも、世界陸上への出場権を取るため、参加標準記録(10秒12)の突破が第1の目標となる。この日の走りを分析して「腕の振りと足の動きがかみ合っていない。肩が上がる癖も修正していければ」と課題と挙げたが、「練習では手応えがある走りができているので、あとはそれをレースで出すだけ。次まで2週間あるので入念に準備ができると思う」と自信をのぞかせていた。
Profile
ケンブリッジ 飛鳥[けんぶりっじ・あすか]
1993年生まれ。東京高校卒。文理学部卒。
ジャマイカ人の父と日本人の母の間に生まれ、2歳の時に日本へ。日大入学後、小山裕三陸上競技部監督の指導のもと、国際大会で優勝するなどその才能を大きく開花させる。
卒業後、株式会社ドームに入社し、東日本実業団陸上競技選手権の100m予選で自己ベストの10秒10(日本歴代9位)を記録。昨年8月のリオデジャネイロオリンピックに出場し、男100mでは惜しくも決勝進出を逃すが、男子4×100mリレーで日本代表チームのアンカーを務め、銀メダルの獲得に貢献。昨年12月、ドームを退社してプロに転向。今年2月にナイキと契約を結び、日本人初のプロスプリンターとして本格的に活動を始める。