中日ドラゴンズのルーキー京田陽太選手はいま、プレーで勝利に貢献できる喜びと、プロの厳しさの狭間で、自分のあるべき姿を求めて日々レベルアップに努力めている。
“東都のスピードスター” から“強竜のリードオフ” へ。
プロ野球選手としての成長ストーリーは、まだ序章だ。

順調に来ているが、すべての面でまだ足りていない。

中日ドラゴンズ 京田選手

中日ドラゴンズ 京田選手

「第2回選択希望選手、中日、京田陽太、内野手、日本大学」―その瞬間、一斉に焚かれたフラッシュライトの渦の中で、テレビ中継をやや緊張した面持ちで見つめていた顔に、喜びと安堵の笑みが広がった。

2016年10月、プロ野球ドラフト会議において、中日ドラゴンズの2位指名を受けた京田選手。直後のインタビューでは、「これで新たなステージで野球ができます。まずは開幕一軍が目標ですが、日大の看板を背負ってプロにいくので、それに泥をぬらないように頑張りたい」と語っていた。

それから半年後の2017年3月31日、キャンプ、オープン戦を通じて一軍で過ごし、若手内野手たちとのレギュラー争いに身を置いてきた京田選手は、目標の開幕一軍どころか、東京ドームでの巨人との開幕戦に7番・ショートでスタメンに名を連ねた。しかも、2打席目には巨人の開幕投手マイコラスの直球を見事にライト前へ運び、中日の新人では1989年の大豊泰昭以来、実に28年ぶりとなる開幕スタメン&プロ初安打を記録。自慢の快足を活かして初得点も挙げた。

「ここまでは思っていたより順調に来ていて、自分でも上出来だと思っています」という京田選手。試合数が圧倒的に多く、ナイターが中心のプロの世界については「体力的な面はだいぶ慣れてきましたが、時間の使い方にまだ慣れていないので、試合に向けての準備も試行錯誤しながらやっています」

入団前から「守備とスピードは一軍レベル」と評されていた京田選手だが、自分では「守備・塁・打撃と、すべての面でまだまだ」と感じている。中でも“自分の持ち味”として自信があったフィールディングが「全然通用しなかった」という。

「アマでは捕れていたはずの打球に全く追いつけなかったり、捕れると思った打球をはじいてしまったり…。打球のスピードがこれまでと全然違いますし、そういうところには戸惑っています。ここまでの2失策(4月18日時点)は、どちらも投手が打ち取っている打球なので、しっかりアウトにしなければいけなかったと思います」

一方、バッティングについては「ボール球を振らされているので、そこの見極めをしっかりしなければいけない」と課題も見えている。ここまで対戦した投手の中で印象的だった投手を尋ねると、ヤクルトスワローズのブキャナン投手の名を挙げた。
「変化球の変化量がとても凄かった。曲がり方も違ったり、真っ直ぐの軌道で来て横にビュッと動くので、それに詰まらされたりしました」

また、7番または2番が多い打順は「やっぱり7番の方が気持ちがラクですね。2番はクリーンナップにつなぐ役割があるので、打っていい場面、いけない場面、いろいろ考えることがあって難しいです」

そうした中、4月12日からのヤクルト戦は、大学時代からの思い出深い神宮球場での、いわば“凱旋試合”。自ら「お庭ですね」と言うグラウンドに立ち、応援に駆けつけた野球部の後輩たちの前で、先制点となるプロ初タイムリーをセンター前に放って見せるなど躍動した。
「慣れたグラウンドなのでやりやすいし、球場からパワーをもらったような気がします。日大の看板もありますしね」

結果を出し続けていくために、毎日必死にプレーしている。

京田選手

日大では今年から、ナゴヤドームの一塁側・三塁側のダッグアウト前に広告看板を掲出している。「守備から戻るときなど目に入りますし、これを見るとパワーをもらえるというか、支えられているなという感じがします。神宮や東京ドームでも見ますし…、えっハマスタにも?やっぱり日大って凄いなぁって思います」

本誌取材を行った4月18日からはナゴヤドームでの阪神3連戦。初戦は敗戦の中でも、レフト前への打球で自慢の快足を飛ばして二塁を陥れるなど、キラリと光るプレーで名古屋のファンを魅了。翌19日には9回裏のチャンスで放った三塁ゴロを、一塁へ執念のヘッドスライディングでセーフとし、サヨナラ劇を演出。さらに、23歳の誕生日でもあった20日の試合では、同点の2死満塁から決勝となるライト前への2点タイムリーを放ち、連夜のヒーローインタビューとなった。

中日の内野手の中でも、ショートでの先発はここまで京田選手と堂上選手だけで、定位置を獲ったようにも思われるが、それを問うと「いえ、まだ1日1日が必死です」という言葉が返ってきた。
「1年目なので、このままずっと試合に出続けることができるとも思っていないし、結果を残す選手が試合に出られるというのがプロの世界。自分も結果を出し続けていかないと、使ってもらえなくなると思うし…。でも、失敗したら次に頑張ればいいんだという考えをもって取り組んでいます」

実際、連戦の疲れからか精彩を欠いた試合が続き、出場機会が減ってきたことに危機感を感じた京田選手は、休日返上で守備練習に取り組む日もあった。
「今は休んでいる暇はありません。練習してナンボですからね。その分、外へ出掛ける余裕もなく、時間があればほとんど寮で寝ています」

大学時代からの積み重ねがあってこそ、プロとしての僕がある。

京田選手

いくつかの候補の中から自ら選んだという背番号「51」。「イチロー選手が付けている番号ですし、自分の売りでもあるスピードという点で、イチローさんみたいになりたいと思って選びました」。さらに昨シーズン大ブレークした同学年の広島・鈴木誠也選手が「51」であることも「意識します」。中日の三遊間・二遊間が“竜のエリア51”と呼ばれる日が来ることを期待したい。

5月に入ると、打撃の調子も上向きになり、トップバッターを任せられる試合も増えてきた。G.W.中に行われたマツダスタジアムでの広島との試合では、プロ初の猛打賞とプロ1号のホームランを記録。どちらもチームの勝利には結びつかなかったが、守備の安定感も増し、勝利に見放されているチームにあって、その存在感は日増しに高まってきている。

名古屋ドームのスタンドには、「京田陽太」と書かれた応援タオルや手製のうちわを持つ女性ファンの姿も多く見られるようになり、「ありがたいことですね。でも僕の場合、年齢層が少し高いようです(笑)」という京田選手。
「球場で、いろんな人に“頑張れよ”と声を掛けてもらうことが増えました。たまに気になるヤジも聞こえますが、それだけ僕に期待されているというか、応援して頂いているんだと思うで、その気持ちにしっかり応えられるように頑張りたいと思います」

期待するのはファンだけではない。今も電話で連絡を取り合っている恩師の日大野球部・仲村恒一監督からは「とにかくケガをするな」と言われている。また、ドラフト後、地元テレビ局の企画で対談した、京田選手の憧れの存在である中日OBのミスター・ドラゴンズこと立浪和義さんは、球場で会うたびに声を掛けてくれるという。
「『いっぱいやることがあるなぁ』と言ってくださいます。バッティングに関しても、細かいところまでよく見てくださっていて、指導して頂いています」

プロとして技術的な成長は必須であるが、その一方で「基本に忠実なプレーをいつも心掛け、大切にしている」という京田選手。捕手からの返球時のベースカバーや、常に全力で走ることなど、大学時代からやってきたことを、プロ入り後も続けている。
「今、僕がこうしてプロの世界で野球をやっていられるのも、大学時代の毎日の積み重ねがあったからこそ。これからも継続することを意識して、頑張っていきたいと思います」

ドラフト後のインタビューの際、成績の目標や新人王について聞くと「全く考えていません」と笑っていたが、今回改めて数字的な目標を尋ねるも「まだまだです」と言い、「新人王宣言は?」と水を向けてもきっぱりと「ないです!」。
しかし、それは常に謙虚な京田選手の人柄そのものであって、心中には秘めた思いが芽生えていてもおかしくはない。セ・リーグ新人王となった京田選手に、再び話を聞く機会が訪れることを願ってやまない。

Profile

京田 陽太[きょうだ ようた]

1994年生まれ。石川県出身。青森山田高校卒。法学部卒。右投げ左打ちの遊撃手。
青森山田高校から日大へ進み、1年時からベンチ入り。4年秋のリーグ戦では、打率.328、盗塁11個で日大の12年25季ぶりの優勝に貢献し、ベストナインも獲得。その後の日米大学野球でも日本代表の遊撃手として活躍。堅実な守備と50m5秒9の俊足、シュアなバッティングが高く評価され、昨秋のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから2位指名され入団。これからの中日を支える期待の若竜として注目されている。

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