ワールドカップ第4戦の表彰台で歓喜の声を上げる銀メダルメンバー
(左から近谷涼選手、今村駿介選手、一丸尚伍選手、沢田桂太郎選手)

ワールドカップ第4戦の表彰台で歓喜の声を上げる銀メダルメンバー
(左から近谷涼選手、今村駿介選手、一丸尚伍選手、沢田桂太郎選手)

昨年12月、チリ・サンティアゴで開催されたUCIトラックワールドカップ第4戦・男子団体追い抜きで、日本代表チームが史上初となる銀メダルを獲得。
さらに同じメンバーで臨んだ2018年2月のアジア選手権(マレーシア)の同種目決勝でも、アジア&日本新記録を叩き出して悲願の金メダルを獲得した。
この快挙に大きく貢献したのが、本学自転車部の沢田桂太郎選手とOBの近谷涼選手。
JAPANを牽引する二人が、今思うことは…。

ワールドカップ第4戦、1回戦は予選3位の日本と2位のアメリカが決勝進出を賭けて戦った。序盤から速いペースで走る日本がアメリカとの差を広げていき、1kmで1.5秒差、3kmでは約4秒差に。そのままフィニッシュした日本チームは、3分59秒071のタイムで、従来の記録を約4秒も縮める見事な日本新記録を樹立。決勝進出を果たし、男子団体追い抜き初のワールドカップでのメダル獲得を確定させた。

ワールドカップ第4戦、1回戦は予選3位の日本と2位のアメリカが決勝進出を賭けて戦った。序盤から速いペースで走る日本がアメリカとの差を広げていき、1kmで1.5秒差、3kmでは約4秒差に。そのままフィニッシュした日本チームは、3分59秒071のタイムで、従来の記録を約4秒も縮める見事な日本新記録を樹立。決勝進出を果たし、男子団体追い抜き初のワールドカップでのメダル獲得を確定させた。

―― 史上初の銀メダルを獲得、おめでとうございます。今回のワールドカップは新しいチームでの挑戦でしたが。

沢田 ありがとうございます。僕と近谷先輩は昨シーズンのワールドカップでも一緒に走っていましたが、あとの2人が違っていて、現在の4人になったのは今季のワールドカップ前からです。中でも今村(駿介・中央大)選手は同い年で、ジュニアの頃からずっと戦ってきたので、そんなに違和感なく入ってきた感じでした。

近谷 ワールドカップ前の数カ月間は4人揃って練習をしていました。コミュニケーションを密に取るようにして、先輩後輩や年齢とかに関係なく、お互い何んでも言い合えるチームになってきたことで、少しずつ協調性も生まれてきました。僕は年齢的にちょうど真ん中なので、全体をうまくつなぐというか、間に入って指示がうまく行き渡るように心掛けていました。

―― 試合で気を付けたことは?

近谷 レース中、走りながらもコミュニケーションを大事にしようってことですね。走っている時はスピードも速くて、みんな集中していますが、その中でも「声を掛け合っていこう」と事前に4人で話し合っていたので、そこはすごく意識しました。作戦的にも、与えられたそれぞれの役割をしっかり果たせば、いいタイムが出るんじゃないかと。自分が厳しい時は他の仲間にも頼って、4人で協力し合おうって言っていました。

―― イアン・ヘッドコーチが新たに加わってから、チームが急に伸びてきたとも言われていますが?

近谷 正直、僕たち当事者も驚いてはいたんですが、取り立てて練習方法が大きく変わったというわけではなく、基本に忠実というか、「当たり前のことを当たり前にする」というのを教えられています。僕たちは練習では競技場をぐるぐる回っていますが、それをまずキレイに走ったりとか、隊列を崩さず走るとか、当たり前のところの精度を上げることをすごく重視してやっています。

沢田 確かに劇的に変わってはいませんが、コーチという大きな存在が替わることで、環境が変わったように思います。やっていることは今までと同じですが、練習時間や合宿期間が長くなり、みんなと一緒にいる時間が増えたので、コミュニケーションの機会も増えて、そこから信頼関係が生まれていったということはあると思います。

―― ワールドカップに臨むにあたっての思いは?

近谷 昨シーズンのワールドカップに男子は出場していませんでしたが、女子チームが出場して3位という結果を出していました。これが男子には凄いプレッシャーになっていて、しかも新しいコーチが来て、新体制・新メンバーだったので、幸先良くスタートできるのかすごく心配で、そういう面では不安もありました。

沢田 若干プレッシャーはありましたが、不安ではなく、どちらかといえば、どんな結果が出るかっていう楽しみのほうが大きかったですね。なので、そんなに気負わずに走れたっていう感じです。

いいタイムが出ると走りながら感じていた

「団体追い抜きで東京オリンピックを勝つ 」沢田 桂太郎(スポーツ科学部3年)

「団体追い抜きで東京オリンピックを勝つ 」
沢田 桂太郎(スポーツ科学部3年)

―― 銀メダルを決めたアメリカ戦、走りながら手応えはありましたか?

近谷 そうですね。コーチが毎周出してくれるラップタイムを見ていて、中盤からは記録が出るんじゃないかと意識していましたね。4分を切れたことが大きいし、銀メダルという結果が出たことで今までやってきたことが報われたと思いました。

沢田 前半のタイムがいつもと比べられないぐらい速くて、このまま最後まで行けば相当いいタイムが出るんじゃないかと思って走っていました。ただ、先頭を交代する時の感覚がいつもより速すぎて、後輪がスリップしたり、後ろにつくのが遅れたりとか普通にできることができなくて…スピード感が全く違いました。後半少しペースが落ちてきたのでどうかなって感じでしたが、記録が出て良かった。アジアで初の3分台を出せたのが価値あることだと思います。

―― 決勝に向けてはどんな思いでしたか?

近谷 アメリカ戦は勝てば決勝に行けるということで「ここが決勝だと思って走れ」とコーチにも言われていましたが、決勝の相手のニュージーランドは世界でも必ずベスト4に入る強豪なので、「胸を借りるつもりで、始めから全開で行こう!」と指示されていました。力の差は明らかなので、その中でどこまでやれるのか。僕らは失うものがないので、最初から飛ばして、後のことは考えずにガンガン行こうっていう作戦でした。

「2020年はあっという間にやってくる 」近谷 涼(経済学部卒業)

「2020年はあっという間にやってくる 」
近谷 涼(経済学部卒業)

―― 残念ながら敗れましたが、収穫もあった?

近谷 1回戦でもいつもより速かったのに、前半はそれよりも速く行って、僕たちも体感したことがない領域で走っていました。後半は落ちて差が開きましたが、世界と戦う時のスピード感を味わうことができたし、練習でやるよりも、アドレナリンが上がっている試合の大舞台で実践するというのは、体感も感覚も全く違うので…。今後は、このスピード域で走らないといけないんだというのを、みんなが体で覚えることができたので、すごくいい経験になりました。

沢田 一度表彰台に立つと、そこで気持ちが昂ぶってきます。これをもう1回味わいたいなっていうのがモチベーションになって、今後もっと頑張ろうという気持ちになりましたし、世界のトップレベルで戦えたっていう自信も結構つきました。

―― その経験がアジア選手権での金メダル、

アジア&日本記録の更新につながりましたね。

近谷 最高の結果でした。予選はフィニッシュタイムを設定しましたが、決勝は相手を気にせずに攻めていって、4人が力を使い切るという走りをしました。その結果が記録につながったのだと思います。

沢田 ゴールした瞬間は、声が出るくらいうれしかったです(笑)。世界選手権(2月・オランダ)にも出場できましたし…。

日本でも、自転車競技をもっとメジャーにしなければいけない

1番手・近谷選手、2番手・沢田選手

アジア大会男子団体追い抜き決勝は、予選2位の韓国と対戦。序盤は韓国にリードを許すも、3,000m過ぎから徐々に差を詰め、最後は見事な逆転勝ち。金メダルを獲得すると共に、アジア&日本新記録を樹立するという快挙を達成した。(1番手・近谷選手、2番手・沢田選手)

―― その世界選手権では結果が出ませんでした。

近谷 団体追い抜きの中距離のチームが出たことが数十年ぶりということで、何もかもが初めての経験でしたが、アジア選手権とは会場の空気感や観客数、参加国や選手の数も全然違っていて、そういう雰囲気のところから場慣れしていなくて気負いがあったというか…。相手国は当たり前のようにそこに来ていて、いつもと同じような感覚でやっていましたから、実力だけでなく、気持ちの面でも一つ二つ上というのをすごく感じました。

―― その差はどこにあるのでしょう?

近谷 世界選手権はヨーロッパでの開催が多くて、自転車の選手だけじゃなく、観客の方も含めて国全体で盛り上がるスポーツになっています。日本で言えば野球やサッカーのような感じで、自転車競技に対する国民の意識や文化も全然違いますね。日本でも自転車競技をもっとメジャーにしていかないといけないし、競技のことを知ってもらうところから始めないと、日本もアジアも、世界にはなかなか追いつけないと思いますね。

―― 日本大学自転車部で学んだことは何ですか?

近谷 日大は、僕が生まれる前からインカレを連覇していて、高校生の時から自転車競技の名門として憧れていました。僕が2年生の時まで30連覇して、3年生の時に止めてしまったんですが、あの時はみんな連覇するのが当たり前みたいな気持ちで安心しきっている部分もあって…。総合優勝することの難しさや先輩方が達成してこられたことの偉大さを改めて感じました。あと、自転車部のキャッチフレーズ「なにくそ精神」というのをその時も今も変わらずに持っています。環境が大きく変わったり怪我をしたりとか、いろいろ落ち込む時もありますが、なにくそ精神で「やってやるぞ!」みたいな、不屈の心、強靱な精神力というものが、今の競技生活にもすごく生きていると思っています。

沢田 近谷先輩は、なにくそ精神が伝わってくる熱い走りをしているんで、それを見てこちらも熱くなってきます。僕の目標であり、憧れの選手ですね。

目指すは東京オリンピック。残された時間はあまりない

左:沢田 桂太郎選手、右:近谷 涼選手

左:沢田 桂太郎選手、右:近谷 涼選手

―― 世界での経験を活かし、個人としてJAPANとしての次の目標は?

近谷 直近は8月に行われるアジア大会ですね。そこで団体で優勝するというのが、今一番の目標なので、それに向けて練習を積んでいます。個人では、個人追い抜き種目でアジア選手権を優勝したものの、世界選手権は全然ダメだったので、その舞台で入賞、ゆくゆくは表彰台というのを目標にしています。もちろん、2020東京オリンピックも見据えていますが、あと2年というのは本当にあっという間なので、1日1日を大事にやっていかないと間に合わないと思っています。

沢田 僕は個人目標はなくて、団体追い抜きで東京オリンピックというのしか考えていません。でも、団体の練習をしていて、その副産物的に他の種目の力が付いてくればいいのかなって思っています。

―― 将来、世界での戦いを目指すアスリートたちに必要なことは何だと思いますか?

近谷 僕はナショナルチームに入って活動したのが大学3年の時でしたが、一番最初に感じたのは、そこに集まる人たちは見ている部分や考え方が自分とは全く違っているということでした。そういう部分が変わってから、自分自身大きく伸びたように思います。中学・高校の時から、世界の舞台やオリンピックで戦おうと思っているなら、県大会やインターハイといった目の前の大会も大切ですが、それだけじゃなく世界を意識した練習をしたり、頭にたたき込むというのがすごい大事であって、世界を見据えたイメージや思いを忘れないようにすることが必要なんだと思います。

沢田 まず基礎をしっかりやることが大切だと思います。基礎ができていれば、大体の種目に行けると思うので、そこから自分にあった種目を選択して、それに特化した練習をしていくというか、技術とか機材とかは二の次でいいので、とりあえず、その時点でできる、基礎をレベルアップする練習をするべきかなと思っています。

Profile

沢田 桂太郎[さわだ・けいたろう]

1998年生まれ。宮城県出身。東北高校卒。スポーツ科学部3年。
トップアスリート推薦入学。チームブリヂストンサイクリング所属。高校時代に自転車競技を始めるとすぐにその才能が開花し、ジュニア日本代表として活躍。日大入学後も、2016年の全日本学生選手権・スプリント優勝、JOCジュニアオリンピック・スプリントおよび3km個人追い抜きで優勝。2017年よりナショナルチームに入り、12月のUCIトラックワールドカップ第4戦・4㎞団体追い抜きで史上初の銀メダルを獲得(日本記録)。2018年、アジア選手権・4㎞団体追い抜き優勝。

近谷 涼[ちかたに・りょう]
1992年生まれ。富山県出身。県立氷見高校卒。経済学部卒業。
チームブリヂストンサイクリング所属、三和シャッター工業勤務。2016年、アジア選手権・4㎞団体追い抜きで2位、全日本選手権・4㎞個人追い抜きで優勝(日本記録保持者)。2017年、全日本選手権2連覇を達成。12月のUCIトラックワールドカップ第4戦・4㎞団体追い抜きで史上初の銀メダルを獲得(日本記録)。2018年、アジア選手権・4㎞団体追い抜き優勝(アジア&日本記録)、4㎞個人追い抜きでも優勝。

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