令和初の陸上競技・日本新記録が誕生した。
木南道孝記念大会(大阪・ヤンマースタジアム長居)の女子やり投で、北口榛花選手が従来の日本記録を56cm更新。
アジア歴代5位に入る堂々の64m36は、今秋のドーハ世界選手権と東京五輪の参加標準記録をも上回った。
孤独な戦いを続けてきた“北の大器"、その視線の先にはもう、世界の表彰台が見えている。

北口榛花選手

北口榛花選手

「その瞬間は“投げたっ"という感覚ではなくて、やりがスッときれいに出たなという感じでした。カメラ映像で日本記録の赤いライン(63m80)を超えたのを見て“あっ、超えた"って。でも、東京五輪の参加標準記録(64m00)まであと20cmあるので、その間に落ちていないことだけを祈ってました」
 
渾身の一投を笑顔で振り返った北口選手だが、ここまでの日々は失意と試練の連続だった。

高校時代の輝かしい実績から日本陸連認定の「ダイヤモンドアスリート」として将来を嘱望されていたが、本学1年生の時にリオ五輪代表をわずかの差で逃すと、その1ヵ月後には右ひじ靭帯を損傷。記録が伸び悩む中、思うような投てきができず、大会での記録も50m台に終わることが多くなった。高校時代の恩師、全日本でお世話になった先生、OBの現役選手など、頼れる人すべてに連絡を取って指導を仰いだ。苦しい2年間だった。
 
「でも、あの悩みや苦しんだ時期がなかったら、この結果は出ていなかった。今思えば大事な時間だったんじゃないかなと感じます。練習が嫌だなと思うことも、記録が出なくてつらい時もありましたが、この時期を乗り越えればきっとまた記録を出せると、自分を信じてやっていました」

 

転機は昨年11月。浮上の糸口を求めてフィンランドで行われたやり投のカンファレンスに参加すると、強豪国チェコのU20コーチから声を掛けられた。指導者がいない窮状を話すと、「メダルを獲りたいなら、それは厳しいよ」と言われた。「じゃ、あなたが見てくれますか」「来たら見てあげるよ」…帰国後、決意を固めてメールで交渉を重ね、今年2月、武者修行のため単身チェコへ渡った。
 
「チェコには高校生の頃からずっと行きたかった。つながりがないからと断られ続けていたので、今しかないと思って必死にプッシュしました(笑)。1ヵ月ちょっと滞在しましたが、最初は馴染むのに時間がかかるかなと思っていたのに、自分が変わろうとする前に、自然にやっていたら変わっていることに気づき、私にはここが合っているんじゃないかって。1ヵ月でチェコの雰囲気に染まろうと思いました」
 
地元クラブチームでジュニア世代の選手に混じって行う練習では、基本的な動きづくりや脚を速く動かすためのメカニックを学び、課題とされた下半身の強化に努めた。女子の世界記録を持つシュポタコバ選手からも動き方に対してのアドバイスをもらい、またチェコの多くの人から「君ならもっと投げられる」と言われ自信にもなった。

手応えは感じていた。前週の織田記念国際陸上では「やりが真っ直ぐに出ずに力が分散してしまった」と優勝記録は59m75だったが、「投げる感覚は悪くなかった。真っ直ぐに飛べば必ず60mオーバーは出ると思っていました」と振り返る。

そして迎えた5月6日。だがその日は、思わぬ敵との戦いにもなった。「最近、試合前になるとよく出る」という鼻血。「前日からすごい出ていて、朝起きたら手が真っ赤(笑)」という状況で会場入りしたが、ウオーミングアップ中に再び出血し、救護室へ駆け込んで処置を受けた。

「アップができなくて少し不安でしたが、しっかり鼻血を止めてからフィールドに入り、ちゃんとアップすればいい。結果がダメだったら鼻血のせいにすればいいやと思って(笑)。今までは記録を狙い続けて自分を追い込んでいましたが、鼻血の一件で結構リラックスして臨めました」

試合が始まった。前半3投を終え、2回目の59m54が最高と、まだしっくりきていなかった。

「実は織田記念からの1週間で助走スピードを上げることに取り組んでいて、その部分が上手くいかなかった。3投目は思い切り走って投げようと意識を変えてみました。失敗にはなりましたが、それがあったので4投目からしっかり進む感じがつかめたんだと思います」

4投目。助走の最中に少し向かい風を感じた。

「このままだと風に負けて進まなくなる、頑張って前に進まなきゃと意識したら助走もいい感じになり、流れができて投げられました」

放たれたやりは60mラインを大きく越え、63m58を記録。3年前に出した自己ベスト61m38を一気に2m以上更新した。会心の一投を喜びながらも、北口選手はすぐに次のことを考えていた。

「今までは1度自己ベストが出ると連発して記録更新ということがなかったんですが、この記録では日本記録も更新していないし、東京の参加標準も切れていない。リオ五輪の選考の時に、それで悔しい思いをしたので、ここで気持ちを切らしちゃダメだって。次の一投をよりオーバーできるようにしたいと切り替えました」

そして5投目。「あとちょっとだから、お願い」という気持ちで走り出し、「4投目よりもやや高さを出して投げるイメージ」で放たれたやりは、大きな放物線を描き、赤いラインを大きく越えて地面に突き刺さった。会場にどよめきと拍手が沸き起こる。胸元で手を合わせて記録の表示を待った北口選手は、64m36が表示された瞬間、両拳を突き上げ、飛び跳ねて喜びを表し、スタンドで見守っていた父に手を振った。この日の朝、旭川を発った父親が大阪の競技場に到着したのは、3投目が終わった頃。「日本新記録を見せられて良かった」と笑う。

陸上のフィールド種目では東京五輪の参加標準記録の突破第1号となった北口選手。64m36は、今季世界ランクでも6位に相当するが、自身では今季の目標を65mに置いていた。

「東京五輪ではメダルを目標にしていますし、そのためにはたまたま出た64mでは足りない。65mを出せばメダル争いのテーブルにつけると思うので、そこに向けて技術的にも精神的にも、さらに強くなれるように頑張っていきます」

東京五輪の本番ではどれぐらい投げたいかを尋ねると、「68m」と笑顔で即答。

「そこまで出せれば、金メダルも夢じゃないと思います。68mだったら」と、自分に言い聞かせるように力強く語った。


(取材:2019年5月)
 

北口選手は、2019年10月に開催された北九州陸上カーニバルにおいて、自らの日本記録を1m64も上回る66m00を投げ、2度目の日本新記録をマークして優勝しました。

Profile

北口 榛花[きたぐち・はるか]

スポーツ科学部4年。1998年生まれ。北海道出身。旭川東高校卒。
中学まではバドミントンと水泳をやっていたが、高校入学後に陸上部にスカウトされ、やり投を始める。入部2ヵ月で道内大会で優勝するなど急成長を遂げ、2年生でインターハイ、日本ユース選手権、国体の三冠を達成。日本陸連の「ダイヤモンドアスリート」に選出された3年時には、世界ユース選手権で金メダルを獲得した。さらに本学入学後の2016年セイコーゴールデングランプリで日本歴代2位の61m38(ジュニア日本新・日本学生新)を記録したが、リオ五輪参加標準記録をクリアできず出場を逃した。大学2・3年時は故障等もあって低迷したが、今年2月に単身チェコへ渡り練習を積んだ成果を5月の木南道孝記念で発揮し、アジア歴代5位となる64m36の日本新記録を樹立。さらに10月、北九州陸上カーニバルで66m00を投げて日本記録を更新した。

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