3年前の東京五輪は、表彰台まであと11cmだった。37年ぶりの快挙となる6位入賞ではあったが、「不完全燃焼だった。今でも悔しい」と話す橋岡選手。その“大きな差”を埋めるために、2022年11月から練習拠点を米国フロリダ州に移し、世界トップレベルの短距離選手が集う強豪クラブで指導を仰いだ。
「スプリンターになれ」―合流して早々、コーチに言われた言葉を胸に、助走のスタート直後からトップスピードまで上げられるように、スプリント強化に取り組んだ。だがその分、踏み切りのタイミングの難しさは上がった。
昨年は、度重なる怪我に加え、進化した助走と持ち前の踏み切りの技術が噛み合わず苦しいシーズンだった。日本選手権の3連覇を逃し、3度目の出場となった世界選手権でも予選敗退の屈辱。それでも、急遽出場が決まった9月のダイヤモンドリーグ・ファイナルでは、8m15を跳んで3位に入り日本男子初の表彰台に立った。
今年3月に行われたフロリダでの競技会で8m28を跳び、パリ五輪の参加標準記録(8m27)を突破。6月の日本選手権で優勝すれば、その時点で五輪代表内定が決まることになった。
橋岡 優輝 選手
迎えた大会3日目。会心のジャンプが期待されていたが、1回目7m87、2回目も7m95。順位ではトップに立ったものの、橋岡選手は跳び終えた直後、首を左右に振って納得のいかない様子を見せる。その後4回の試技でも思うような跳躍ができなかったが、最後までトップを譲ることなく2年ぶり6度目の頂点に返り咲き、2大会連続の五輪代表内定となった。
「今回は、代表内定が決まったことだけが良かった。“最低限の最低限”くらいの助走がようやく6本目にできたけれど、すべてが悪いとしか言いようのない内容だった」と振り返った橋岡選手の表情は厳しかった。
「これからの1カ月、どれだけ納得できるような練習をして本戦を迎えられるかというところが勝負。少し意識を変えて、やりきろうと思っている。そこに結果がついてくればいい。メダルを獲得しようと思う」
パリ五輪での目標は、東京五輪の時から一貫して「表彰台」。自己ベストや日本記録を大きく超える8m50のビッグジャンプを見せることができれば、橋岡選手は表彰台の上に立ち、心からの笑顔でスタンドに手を振っているはずだ。
Profile
橋岡 優輝[はしおか・ゆうき]
1999年生まれ。東京都出身。八王子高卒。2020年度スポーツ科学部卒。富士通所属。’18年U20世界選手権で日本人初となる金メダルを獲得。世界選手権は’19年、’22年、’23年の3回出場。’21年の東京五輪では日本人37年ぶりとなる6位入賞。大会後、米国フロリア州に拠点を移す。’23年のダイヤモンドリーグ・ファイナルに出場して日本男子初の3位となる快挙を果たすと、今年3月、米国での競技会で8m28をマークし、パリ五輪参加標準記録を突破した。自己ベストは’21年の日本選手権で記録した8m36(日本歴代2位)。
