「私の人生、映画になっちゃいますね」と自ら笑い飛ばすほど、その経歴は異色だ。しかしそれは、「五輪に出て金メダルを獲る」という夢をひたすら追い続けてきた、情熱と努力の証しだとも言える。

 

レスリングの名門中学で競技を始め、強豪高校で腕を磨いた赤澤選手は、いずれも全国の頂点に立ち、アジアカデットレスリング選手権大会にも出場した。大学での活躍も期待されていたが、4年間で肩を3回手術するなど怪我に泣かされ、「インカレはベスト64ぐらいの成績。大学では何も残せなかった」。

現在は日大レスリング部の道場で練習に取り組んでいる赤澤選手。痛めた右膝のリハビリに毎日2時間ほど要すると言い、「リハビリ、激しい練習、ビデオ研究と、毎日大忙しです」。

現在は日大レスリング部の道場で練習に取り組んでいる赤澤選手。痛めた右膝のリハビリに毎日2時間ほど要すると言い、「リハビリ、激しい練習、ビデオ研究と、毎日大忙しです」。

卒業後は「五輪をめざすなら、世界で一番強いところで練習しなければ」と考え、単身ロシアで武者修行を敢行。「厳しい状態に自分を追い込むことで、やるしかないようにするという、逆の発想でした」

だが最初の1ヶ月ほどは、言葉の壁もあって練習場で相手を見つけることもできず、ただ立っているだけの日々だったという。

 

「これはまずいと思って、キルギスタン(現キルギス)から来ていた選手に同居をお願いして、翻訳機を使ってコミニュケーションしながらロシア語の単語を覚えていくというのを3ヶ月くらいやりました。それでやっと練習に参加できるようになりましたね」

 

厳しいトレーニングに励んだものの、五輪への道が開けないまま4年が過ぎた。それでも「五輪に出るためなら、ここで強くなるしかない」と、気持ちが萎えることはなかった。

 

そうした中、親しいロシア選手が国籍を変えてリオ五輪に出場したことを知ると、「五輪に出やすいのはどこか」を探り、昔の伝手を頼ってラグビー大国のサモアにわたった。2017年、27歳での決断だった。

パリ五輪パリ五輪予選通過のメダルを手にした赤澤選手。「日々、小さな挑戦を重ねています」と明るく話す。

パリ五輪パリ五輪予選通過のメダルを手にした赤澤選手。「日々、小さな挑戦を重ねています」と明るく話す。

レスリング不毛の地でも、赤澤選手は持ち前の行動力で、ゼロから実績を積み上げていった。サモアの青年をレスリングに勧誘し、彼らとともに草むらや簡素な施設で練習を重ねた。国籍変更の申請はなかなか承認されず、東京五輪には間に合わなかったが、「五輪に出たいという思いが強く、モチベーションが下がることはなかった」。

 

マッサージ店を開業として生計を立て、サモア人の女性と家庭を築き、永住も決意して、日々鍛錬に励んだ。コーチがいないため練習メニューは自分で考え、動画を参考に技の習得やトレーニング手法を採り入れた。若い選手を指導しながらも、「今はどんどん強くなっていると感じています」。

 

ようやく国籍を取得できたのは昨年12月末のこと。満を持して今年3月、エジプトで行われたパリ五輪アフリカ&オセアニア予選に“サモア人”として出場した。初戦を快勝し、2回戦も勝利したが右膝を負傷してしまう。状態は深刻だったが、「やるしかない」と覚悟を決めた赤澤選手は、続く準決勝も逆転のフォール勝ち。サモアに移住して6年、悲願の五輪切符を手に入れた。

 

試合直後、一番最初に喜びを報告したのは、中学進学時にレスリングの道を示してくれた恩師、元日大監督の富山英明日本レスリング協会会長。「電話をしたらとても驚いていましたが、学生時代からいろいろあっただけに、『おめでとう』と言葉をいただき、とてもうれしかった」と顔をほころばせた。

波瀾万丈な赤澤選手のキャリアについて、86kg級代表の石黒隼士選手(左)は「ここまで五輪に対する執着心を持っている人は少ないと思いますし、先輩のことを本当に尊敬します」と話し、パリ五輪での健闘を誓い合った。

波瀾万丈な赤澤選手のキャリアについて、86kg級代表の石黒隼士選手(左)は「ここまで五輪に対する執着心を持っている人は少ないと思いますし、先輩のことを本当に尊敬します」と話し、パリ五輪での健闘を誓い合った。

すでに減量に取り組みはじめ、出場する選手についても試合の映像を見て徹底的に研究しているという赤澤選手。「夢の舞台に出るだけじゃなく、そこで金メダルを獲るのが私の夢。普通にやれば厳しいでしょうが、五輪では何があるかわからない。可能性はゼロではないと思っています」と意気込みを語った。

 

4年後のロス五輪、今サモアで指導している選手たちの中で2,3名は、出場が見込める選手もいるという。指導者としての出場が新たな夢になるのかと思いきや、赤澤選手は、控えめな声で「ちょっと、やりたくなってきちゃって…」と、次の五輪出場にも意欲を見せる。

赤澤 岳 選手

赤澤 岳 選手

「サモア人は体力がないので、6分間動きっぱなしのフリースタイルよりも、グラウンドポジションの時に少し休む時間がとれるグレコローマンの方がいいかなと思うので、グレコのチームに切り替えようかなと考えていて、それならば、私もまたグレコで挑戦してみようかなと思っています(笑)」

 

破天荒と見るか、チャレンジャーと呼ぶべきか。映画化には十分すぎるノンフィクションだ。

Profile

赤澤 岳[あかざわ・がく]

1990年生まれ。東京都出身。花咲徳栄高卒。2012年度文理学部卒。サモア在住。全国中学生選手権優勝、インターハイ優勝。日大時代は怪我に泣かされるも、4年次は主将を務める。卒業後はロシアを拠点に練習を積む。’17年にサモアに移住し、昨年12月にサモア国籍を取得。’22年に日本の全国社会人オープン選手権フリースタイル70kg級で優勝。今年3月のアフリカ・オセアニア予選を勝ち抜いてパリ五輪出場を決め、世界レスリング連盟より同月の「レスラー・オブ・ザ・マンス」に選出された。