2019年の第97回インカレで4年ぶり29度目の団体戦優勝を果たし、’20年も見事に2連覇へと導いた木﨑孝之助監督。選手、コーチ、監督とし日大相撲部とは40年以上関わってきた。

高校選抜相撲宇佐大会優勝、国体優勝など輝かしい実績を挙げ、母校の監督が日大の卒業生だった縁で本学へ進学。2年生になってレギュラーの座をつかむと、3・4年生時にはインカレ団体戦の2連覇に貢献した。

「それが当時インカレ7連覇の1・2年目でした。黄金期の始まりにレギュラーとして出させてもらった経験が、その後の指導にも生きていると思います」

卒業後は本学職員として働く一方、5月からは相撲部のコーチに就任。道場に住み込んで学生と寝食を共にしながら後進の指導を始めたが、「当時の監督があまりにも大きい存在で、私らコーチはただ横にいるだけで、それほど貢献できていなかったのではないかと思います(笑)」。

その監督から「監督をやるように」と言われ、’13年に監督を引き継ぐ。しかし、“常勝軍団”ゆえの重圧は思っていた以上で、何をするにも緊張が先に立った。前監督の元を訪れては、「これはどうすればいいのか」と相談することもしばしば。「前監督がされていたことをずっと側で見てきたので、『あの時はこういう指導をしていた』とか『こうだったんじゃないか』と想像しながらやっていましたが、結果に結びつかず、最初の3年間はきつかった」と振り返る。

監督になって強く意識したことは、いかに選手たちが自主的に稽古に取り組むようにさせるかだった。「現役時代の私は自分から稽古をする方だったので、“やらされてやる”という気持ちがわからなかった。何も言わなくてもやるだろうと思っていたんですが、そうではなかった。やらない子をやらせるには言いたくないことも言わなくてはいけないし、自分たちからやるような雰囲気作りが重要でした」

そのために木﨑監督は常々、部員みんなが仲良くすることを求めている。「部の中の雰囲気、特に4年生が仲良くないと、全体がぎくしゃくしてまとまらないんです。だから、1年生で入ってきた時から『4年間一緒なので仲良くしろ』と言っています。同級生どうしは仲良くても、学年が違うと合う合わないというのもある。チームが勝てない時というのは、そういうところも影響しているのではないかと思います」

監督3年目の2015年に待望のインカレ団体優勝を勝ち取るが、翌年からは主力のケガなどで戦力が揃わず、再び優勝から遠ざかってしまった。

 

「勝つことを目標にしながらも、ケガをさせずにやるというのが難しい。ケガをしているからと稽古を緩くすると試合で結果を残せないし、稽古をやり過ぎるとまたケガにつながってしまう。体が大きいので一度ケガをすると回復までに1・2年かかることもありますが、学生には4年間しかないから…」

勝ち抜きの申し合い稽古では、熱が入り過ぎる選手はケガをしやすくなる。そこで選手の状態を見極め、ブレーキをかけることも大切だと木﨑監督は言う。「選手が一番いい体調で選手権を迎えられるようにする、そこが最も気に掛けているところです」

また、監督としての経験を重ねることで、団体戦のチーム編成にも独自の考えを持つようになった。 

「団体戦でトーナメントを勝ち進んで行くと、4年生は普段感じないプレッシャーが生まれてくる。4年生中心にするとチーム全体が固くなっちゃうので、あえてメンバーから外して、下級生を入れることも多いんです。そして、4年生が負けた時に3年生・2年生がしっかり勝てるような練習をしろといつも言っています」

それは「4年生は下級生と一生懸命に稽古しなさい」という意味であると同時に、4年生が稽古の雰囲気をつくり、日大の強さと伝統を次の世代に伝えていってほしいというメッセージでもある。

「本当は、4年生はレギュラー同士で稽古をやって早く上がりたいし、下級生に負けるのも嫌なんです。でも負けてもいいから下級生を指名して、一生懸命稽古することで、チーム全体の力が上がるし、大事なところで彼らが勝つことができるようになるんです」

その言葉通り、’19年は主将の榎並将史選手や沢田日登志選手ら4年生が鍛えた、イェルシン選手や川副圭太選手、石岡弥輝也選手が活躍して王座を奪還。昨年は、故障を抱える佐藤淳史主将が決勝トーナメントのメンバーから外れても、4年生になったイェルシン選手らが引っ張り、川副・石岡の両3年生と草野直哉・川渕一意の1年生コンビが勝利を重ねて連覇を達成した。「この勢いを持って、それぞれが日大の伝統の偉大さに挑戦していってほしい」と語る木﨑監督。新主将となった川副選手を中心に、’06年以来のインカレ3連覇へと相撲部を導いていく。

Profile

木﨑 孝之助[きざき・こうのすけ]

1961年生まれ。鹿児島県奄美大島出身。
1984年経済学部卒。2年生からレギュラーとして活躍し、1982年からインカレ団体戦2連覇に貢献。4年時には個人戦でも準優勝を果たす。卒業後は本学職員として勤務し、相撲部コーチを経て2013年に監督就任。’15年にインカレ団体戦優勝、’19年・’20年は団体戦2連覇に導いた。

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