4月9日から14日までカザフスタン・アスタナで行われたレスリングの2023年アジア選手権で、日本大学レスリング部の吉田アラシ(スポーツ科学部2年)が男子フリースタイル92kg級で優勝。グレコローマンと合わせた男子で唯一の金メダルを獲得した。「19歳3ヶ月3日」のアジア・チャンピオンは、従来の記録を約2ヶ月更新する日本男子の最年少王者。レスリングの本場、イランにルーツを持つ若きチャンピオンを追った。

伝統的に軽量級が強い日本のレスリング。それでも、昨年のU23世界選手権では男子フリースタイル86kg級で世界王者が誕生し(白井達也選手)、重量級も世界で闘える時代の到来を予感させてくれた。その流れを、父が元レスリング選手という吉田が、確固たるものとした。

 

最年少アジア王者も素晴らしいが、90kgを超える階級で日本選手がアジアの頂点に立つのは、1989年アジア選手権以来の快挙。1993年からは、旧ソ連が分かれてカザフスタンなど5ヶ国がアジアに加わり、骨格とパワーで劣る日本選手にとってチャンピオンがさらに遠い存在となっていた。

 

吉田の優勝は、日本レスリング界の長年の懸案でもあった重量級の振興に向けて、大きな弾みとなる出来事。92kg級はオリンピック実施階級ではないので、オリンピックに出場するには97kg級への階級アップが必要となる。来年夏に迫ったパリ・オリンピック(世界予選は今年9月にスタートし、来春まで3度ある)へ向けて、「監督やコーチとしっかり話し合いたい」と吉田は話す。

レスリング王国イランの有望株に圧勝して波に乗る

アジア選手権初戦で、父の母国であるイランの選手と対戦した。相手は叔父が世界チャンピオンというアラシュク・モヘビ選手、2019年にU23アジア選手権を制し、今年3月にブルガリアで行われた国際大会で欧州2位のブルガリア選手を破って優勝するなど、イラン期待の選手だ。

 

吉田はこの強敵相手に10-0のテクニカルフォール勝ち(10点差がついた時点で試合終了)。周囲の度肝を抜いた。前に出る圧力があり、引き落とす力もすごいので、相手は動かされっぱなし。接近戦になってもパワー負けしない。攻められたシーンは一度もない快勝だった。

 

2回戦では、2019年アジア選手権3位の実績を持つモンゴルの選手に、カウンターの首投げを受けて4点を失うスタートとなり、途中で巻き投げを受けてさらに2点を失ったが(この時点でスコアは3-6)、しかしいずれも攻撃をしての失点。試合は常に前に出る攻めの闘いを展開した吉田が逆転、最後は9-7で吉田に軍配が上がった。

 

準決勝ではウズベキスタンの選手を13-2のテクニカルフォールで破り、決勝は昨年のU23アジア選手権で優勝している、地元カザフスタンのリザベク・アイトムハン選手に11-4で勝利し優勝を掴んだ。
4試合を通じ、攻撃を受けての失点は決勝のみ。準決勝までは、旺盛な攻撃精神が“勇み足”のような形となってポイントを失ったケースだった。

 

試合後、吉田は「(世界における)立ち位置が分かりました」と話し、自分の力が国際舞台で通じることを証明した。モンゴルの選手に4点を先行されるなど「課題とすることもあった」と反省も忘れず、この優勝によって「周囲からはマークされます。今までと同じ闘いではポイントを取れなくなるでしょう」と気を引き締めることも忘れなかった。

不利な状況であっても瞬時に有利な体勢に変えられる能力

四男として誕生した吉田アラシは、長男の吉田アミン(2018年スポーツ科学部卒)や次男の吉田ケイワン(2022年スポーツ科学部卒=三恵海運)の後を追うように3歳からレスリングを始めた。はっきりした記憶はないようだが、「レスリング場に行くのが当たりまえ」と思うほどレスリングが日常に入っていた。

 

最初に試合をした記憶もはっきりしない。「試合」という感覚ではなく、「遊び」の延長だったからだろう。「勝つぞ、という気持ちで試合をしてはいなかったと思う」と振り返る。そのうちに、負けたときには「悔しい」という気持ちが芽生えてきて、全国少年少女選手権で5度優勝を成し遂げた。

中学は、成績ではやや停滞したが、埼玉・花咲徳栄高校に進んだ次兄のケイワンがインターハイで2位、国体で優勝するなどし、あこがれの気持ちが出て、勝つことを意識し始めたという。そんな兄の後を追って花咲徳栄高校に進んだ。

 

そこでインターハイや全国高校生グレコローマン選手権を制し、才能に磨きがかかった。兄に追いつきたいという気持ちがあり、「兄の影響は大きいです」と振り返る。

これだけの成績のある選手が、これまで国際大会に出場していなかったことは不思議。「単純に弱かったからです」と笑うが、コロナ禍によってタイミングが合わなかった理由もある。コロナ禍もある程度おさまった昨年は、本学へ進学してハイレベルなレスリング技術を習得し、飛躍につなげた。

 

これも兄を追う形となったが、近年の日大は重量級に強豪がそろっていたことも選択した理由のひとつだ。吉田が中学生だった2018年には、全日本王者の石黒峻士(当時2年生=2020年スポーツ科学部卒=現新日本プロレス職)が世界大学選手権で3位に入賞し、弟の石黒隼士(当時1年生=2022年スポーツ科学部卒=現自衛隊)が世界ジュニア選手権86kg級で優勝。これは、同選手権の年齢区分が18~20歳になった1997年以降、日本選手として初の快挙。

 

吉田の兄も92kg級で2019年にU23世界選手権に出場し、コロナ後の2021年に学生二冠王者に輝くなど、重量級の層の厚さは他大学を圧倒していた。高校生のときも出げいこで何度も日本大学レスリング部の練習に参加し、「ここで練習すれば強くなれる」と確信を持ったという。

 

質量とも練習相手の中で実力を伸ばし、10月の栃木国体では全日本トップを占めていた社会人2選手を破り、1年生にして優勝。11月の全日本大学選手権は、チーム事情で92kg級に出場してきたU23-86kg級世界王者の白井選手(前述)を退けて1年生王者となった。

 

大型な父の遺伝子を受け継いだと思われる恵まれた体格と体力に、技術が身につき、実力をつけたのだろう。12月の全日本選手権では、オリンピック3度出場の高谷惣亮選手(当時ALSOK)に屈したものの、後半、相手は防戦一方。吉田の攻撃が、いかにすごかったかを感じさせる内容で、この頃から日本レスリング界の注目が集まった。今回のアジア選手権優勝は、十分に考えられる結果だった。

 

それでも、初の国際大会に向けて大言壮語はなかった。出発前は「持っているものをぶつけたい」とだけ話し、具体的な目標の明言はなし。帰国後、あらためて試合前の気持ちを聞いてみると、「スポットライトの下で闘うところ(レスリングの国際大会では、3位決定戦と決勝は会場を暗くし、スポットライトの下で行われる)まで行ければいいな、くらいの気持ちでした」と打ち明けた。
1回戦でイランの選手に快勝し、勝ち進むにつれて「優勝したい、という気持ちが強くなっていった」と振り返る。アジア王者になれば、当然、次の目標は世界王者だ。

 

本学OBで4月から大学の教員に着任した齊藤将士コーチ(2007年アジア選手権優勝)は、怖がらずに前へ攻める度胸のよさと、上下前後左右の様々な方向への攻撃ができる技術を身につけたことに加え、「勘のよさ」を挙げる。「自分の動きと相手の動きを瞬時に判断し、不利な状況であっても瞬時に有利な体勢に変えられる能力を持っている」と分析し、状況判断力とそれへの対応力が強さの源と見ている。

 

若きアジア王者・吉田の存在は、日本大学レスリング部全体の底上げにも貢献するはず。吉田も、個人として世界を目指す一方、兄も経験できなかった団体戦(東日本学生リーグ戦、全日本大学選手権)での優勝という結果で大学に貢献したいという気持ちも強い。

 

普段はスポーツ科学部競技ポーツ学科の学生。トレーニング理論の授業などもあり、レスリングに役立つ発見や学ぶことも少なくない。グループワークが多いこともあり、レスリング部以外の学生との交流もあり、「友達も増えて授業も楽しいです」と、マットを離れた時間でも充実した毎日を送っている。

 

「アラシ」という名前は。イランの「アラーシュ」という男性名からつけられた名前で、「嵐」からではない。しかし、日本レスリング界に頼もしい嵐を巻き起こしてくれることは間違いあるまい。

なお、今回のアジア選手権には、本学卒業生が3選手出場。女子59kg級の坂野結衣選手(2017年文理学部卒=警視庁)が5試合を勝ち抜いて優勝し、男子フリースタイル86kg級の石黒隼士選手(2022年スポーツ科学部卒=自衛隊)が3位に入賞。同97kg級の石黒峻士選手(2020年スポーツ科学部卒=新日本プロレス職)は無念の初戦敗退だった。

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