新庄剛志監督の就任ときつねダンスで注目を集めた2022年の北海道日本ハムファイターズ。
チーム改革を進めながらの厳しい戦いとなったシーズンだったが、その中で確かな輝きを見せたのが社会人野球出身のドラフト9位ルーキー・上川畑大悟内野手(2019年生産工学卒)だった。
身長168cmと小柄な体格ながら、名だたるプロ野球OBたちが高く評価する守備力を武器として、
チームの「不動の遊撃手」となるべく切磋琢磨する上川畑選手に、大学時代からプロ入りまでの思いと、これからについて聞いた。
(2023年5月取材)
大学時代の練習が、今の自分の土台になっている。
小学4年生の時に地元・倉敷市の軟式チームで野球を始めた上川畑選手。倉敷商業高では1年夏の甲子園でベンチ入りを果たし、本学でも1年生の秋季リーグ戦から二塁手のレギュラーとして定着し、先輩の京田陽太選手(横浜DeNAベイスターズ)と二遊間を組んだ。
「もともと守備は好きだったんですが、まだ技術も知識も持っておらず、自分の感覚だけでプレーしていたので、高校時代から結構エラーが多くありました」
そう話す上川畑選手の守備力を向上させたのは、大学1年の時に毎日行っていた基本練習だったという。
「朝の全体練習前に、コーチの方に特守に呼んでいただき、1時間ほど基礎的な練習を反復してやりました。それを1年間みっちりやったことで、守りの堅実性が向上しましたし、守備への自信がつきましたね。そして、その時に培ったものが、今の僕のプレーにもつながっているんだろうと思っています」
2年秋のリーグ戦最終節、東洋大戦。1点ビハインドの9回裏1死1・3塁から上川畑選手が右中間へ2塁打を放ち3対3の同点に追いつく。この後、サヨナラ安打が出て本学の12年ぶり23回目の優勝が決まった。(2016年10月)
2年秋のリーグ戦では全試合1番を務め、13試合で22安打を放ち打率.386(リーグ4位)を記録。リードオフマンとして12年ぶりの東都大学野球1部リーグ優勝に貢献すると共に、自身もベストナインに選ばれた。
「大学時代、一番うれしかったのはやはり優勝できたことですね。逆に3年の秋に入替戦で負けて2部降格になった日は苦しかった。いや、それよりも翌年の春の入替戦で、中央大に負けて昇格できなかった時かな。秋に負けた時は、春にすぐ1部復帰して『4年の最後の秋は絶対に日本一になろう』って目標を立てやすかったし、そこに向けて気持ちの切り替えもできて頑張れました。しかし、春の入替戦で負けてしまって、目標にしていたことが達成できなくなったので、気持ち的にはちょっと苦しい日々でしたね」
子どもの頃から、プロ野球選手への憧れはあったものの、「絶対にプロになるんだっていうほど強い気持ちを持ってやっていたかと言えば、そうでもなくって…。いつかプロに行けるかなと、ぼんやり思っていたぐらいです」と話す上川畑選手。京田選手の卒業後は遊撃を任され、大学球界屈指の守備力で4年時には侍ジャパン大学日本代表にも選出された。
その一方で3年の秋に社会人野球のNTT東日本の練習に参加すると、卒業後の入社を決断。4年時にもドラフト指名の条件となるプロ志望届は提出しなかった。
「プロに行きたいという欲も気持ちもありましたが、絶対に行くんだというほどでもなかったし、正直、3年生の時点ではプロに行けるような能力はまだないと自分で思っていました。守備には自信ありましたが、今のバッティングのままではプロで活躍するのは無理だなと。
ただ、社会人入りを決めた後、大学日本代表に選ばれてレベルの高い選手たちと一緒にプレーしましたが、みんなプロに行って活躍するんだという強い気持ちを持っている選手ばかりでした。でも、彼らに刺激を受けて、自分もプロに行きたいという気持ちがより強く芽生えたと思います」
まさかの指名漏れに、さらなる成長を誓う。
上川畑選手のグローブは、社会人時代に井端氏から譲り受けたもの。「僕が大学時代からお世話になっている野球用具メーカーさんが、井端さんの意見を聞くために渡していたグローブを、『使ってみるか?』という感じでいただきました。5年ほど使いこんでいるので、とても手に馴染んでいますし、今後これを超えるものとは出会えないかも」。大切にしているため試合でのみ使用し、練習時は自分で発注した同じモデルのグローブを使っているという。
「2年で結果を出してプロに行くぞ」と 、 意気込んで社会人野球に臨んだ上川畑選手。 強豪チームの中でもその守備力は群を抜き、 入社1年目から正遊撃手の座をつかんだ。 さらに、そこで出会ったのが同社の臨時コーチを務めていた元中日ドラゴンズの井端弘和氏。ゴールデングラブ賞7回を誇る稀代の名手から教えを受け、グラブさばきにより磨きをかけた。
「井端さんが常々おっしゃられていたのは、 いかに脱力するかということ。プロは1年間で143試合もあるので、疲れを残さないように無駄な動きを省いて守備をする大切さや、 体の動かし方などを教えてもらいました」
課題のバッティングも、井端氏からのアドバイスと打撃練習に多くの時間を費やすことで手応えをつかみ始めた。やがて、堅実な守備と俊足巧打の三拍子揃った選手としてプロの注目を集めるようになり、ドラフト解禁となった2020年の秋には、マスコミやネット上でも指名候補として名前が挙がっていた。
ドラフト会議当日も、期待に胸をふくらませて中継を見守っていた。しかし、その名前は最後まで読み上げられなかった。まさかの指名漏れに「かなりへこみましたし、しばらくは引きずりました」と振り返る。だが「自分自身にプロに行ける力がなかっただけ」と現実と向き合い、「僕の中では、社会人3年目がプロに行けるラストチャンスだと思っていたので、どうせ野球をやるならばこの1年は必死でやってみようって…」 。
それからの1年、まずはチームに勝利をもたらす存在になることを目標として、改めて真摯に野球に取り組んだ。打撃での結果が出ない中、翌21年の夏に思い切ってフォーム改造に着手すると、持ち前のシュアなバッティングが戻ってきた。そして、都市対抗野球予選の東京第2代表決定戦では、延長10回にチームの6年連続出場を決めるサヨナラ適時打を放つ。守備での貢献と相まって大会MVPを獲得し、本選開始前に開かれる2021年プロ野球ドラフ ト会議に向け、絶好のアピールとなった。
あきらめかけていたプロへの道がついに開けた。
マスコミの取材を受けると、「まだプロをあきらめていません」と答えてはいたものの、事前にプロ側から届いた調査書は2球団のみ。「正直、前の年ほど期待してなかったというか、もうプロには行けないんだろうなって思うところもありました」と、運命の日は自宅でリラックスしながら、ネット中継を見ていたという。
ドラフト1位指名とその重複抽選など華やかな時間が過ぎると、前年順位に準じたウエーバー方式で2位指名以下が淡々と続いていく。5巡目で指名終了とする球団が現れ、7巡目を終えると北海道日本ハムファイターズを除く11球団が指名終了となった。
「名前を呼ばれないと思って見ていたんで、 焦りとかは全然なかったです」というが、 ついに9巡目、「上川畑大悟 内野手」という司会者の声が流れてきた。支配下選手指名で12球団ラストとなる77番目だった。 「呼ばれた時は本当にびっくりしました。ファイターズからは調査書が来ていたので、 可能性はあるかもしれないと思っていましたが、最初は信じられないという気持ちが強かったですね。その時はまだプロに行くという覚悟もできていなかったんで(笑)」
めざしてきたプロ野球の舞台へ道が開けたと同時に、2カ月後に結婚を控えていた上川畑選手にとっては人生の大きなターニングポイントでもあった。
「これから1人じゃなくなるし、生活もかかってくるので覚悟を決めないとプロには行けないと…。しかし、こういうチャンスはもう絶対に来ないと思ったので、彼女には『プロで勝負させてほしい』と言いました。 そして背中を押してもらいました」
2021年12月17日、新入団会見を行った上川畑選手。9位指名ながら、チーム歴代の守備職人たちが付けた背番号「4」を与えられ、「即戦力として期待されていると思う。結果で恩返ししたい」と決意を語り、 プロ野球人としてのスタートを切った。
「守備」を一番の武器として、打撃でもチームに貢献したい。
2022年2月、新庄剛志新監督の就任で注目を集めるファイターズの春季キャンプ。 1軍メンバーに抜擢された上川畑選手だったが、右膝のケガのため離脱することになり、開幕1軍入りが厳しい状況になった。
「最初の3日間ぐらいは普通に練習して、 チームの雰囲気や1軍のレベルを自分なりに感じ取れたので、そんなに焦りはなかったですね。6月頃に1軍に上がれるよう、しっかり準備していこうという気持ちでした」
その言葉通り、5月24日のセ・パ交流戦の東京ヤクルト戦から1軍に昇格。「2番・ 遊撃」で初出場初スタメンを果たすと、好守備でチームを救い、プロ初安打と初盗塁も決めるなど、大学時代に慣れ親しんだ神宮球場で躍動した。以降、80試合に出場し、軽快かつ堅実な守備に加え、打率.291 と打撃でも好成績をマーク。シーズン終盤はサヨナラ打を放つなど勝負強さも発揮し、ファンからは「神川畑」と賞賛されるほどの活躍を見せた。
プロ1年目を振り返り、プロでやっていく自信を持てたのはいつかたずねると、上川畑選手は「いや、まだないです」と即答。「シーズンを通して出場・活躍していないですし、守備の面はそれなりに自信を持ってやっていますが、打撃の方がまだまだなので…」。さらに「トップレベルの投手は、本当 にすごいなぁっていう感じで、プロの一流の球はそう簡単には打てないと思いました。どの球団でも、セットアッパーの投手との対戦はとても難しいと感じています」
元東京ヤクルトの宮本慎也氏ほか多くの野球解説者が上川畑選手の守備を絶賛する。「うれしいですが、源田(壮亮・埼玉西武ライオンズ)選手に比べればまだまだなので、もっと頑張ります」
2年目の今シーズンは、レギュラー遊撃手としての地位を固めるために大事な1年。開幕から2カ月が経ち、打撃では思うような結果を出せずにいるが、それでも新庄監督が「チャンスで打つ人。外せない選手」と評するほど、上川畑選手に対する信頼は厚い。
「そう言っていただけて本当にありがたいと思います。ただ現状は試合にずっと出られるような成績を残していないので、早くレギュラーに見合う成績を残せるよう、日々頑張るしかないと思っています」
昨年最下位からの逆襲を狙うファイターズにおいて、攻守にわたり上川畑選手が重要な1ピースであることは間違いない。その中で今、思うこととはー
「まずは守備が第一。試合に出るためには 守備が大事だと思うので、そこは大切にしたい。でも打たないと試合に出られないっていうことも分かっています。やっぱり打ってなんぼですから。打順はどこでも気になりません。やることはどこでも変わらないですし、自分らしい嫌らしいバッティングで チームの勝利に貢献していきたいと思います。打率の数字はあまり考えてはいませんが、規定打席到達を目標として今シーズン戦っていきます」
日本中が熱狂した3月のWBCを、「皆んなカッコいいなと思って見ていた」と笑う上川畑選手。「3年後の大会にはあの舞台に立っていたい」と、「77番目の男」は日本で一番の遊撃手をめざして、研鑽を重ねている。
MESSAGE
何か1つ絶対的な“自分の武器”を 持っていれば、めざす道も開けやすいと 思うので、自分の得意とする 何かを作ることを意識しながら、目標に向かって頑張ってほしいと思います。
Profile
上川畑 大悟[かみかわばた・だいご]
1997年生まれ。岡山県出身。倉敷商業高卒。 2019年生産工学部卒。本学2年秋にリーグ優勝し、二塁手でベストナインを獲得。4年時に大学日本代表としてハーレム・ベースボールウィーク (オランダ)に出場し、日本の優勝に貢献。卒業後は、NTT東日本で3年間、社会人日本選手権や都市対抗野球で活躍。ʼ21年ドラフト9位で北海道日本ハムファイターズに入団。昨季は出場80試合で打率.291、本塁打2、打点17、盗塁10。 遊撃での守備率は.993を記録。右投げ左打ち。
世界に誇るボールパークとして誕生した
「エスコンフィールドHOKKAIDO」
2023年3月に開業した新球場は、「北海道ボールパークFビレッジ」と命名されたボールパークの中核を成す。開閉式の屋根を備え、3万5000人を収容できるスタジアムは、開放感のあるガラスウォールや、 内外野の鮮やかな天然芝、どこからも見やすいように設計されたスタンド、各地の逸品を楽しめるグルメストリートなど、斬新なアイデアと最新の技術が集約されており、メジャーリーグの球場を彷彿とさせる楽しさにあふれている。だが、上川畑選手は、天然芝ならではの守備の難しさを話す。「芝のところはかなり打球が死ぬんですが、土の部分は硬くてグッとくるので、それに対応するのがとても難しいですね」。 まさに守備職人としての腕の見せ所だと言えよう。