3月25日。冷たい雨が降りしきる中、約16000人もの学生が卒業を迎えた。そのなかに、パリ五輪への挑戦権を懸けた戦いを終えたばかりの本多灯選手(スポーツ科学部・4年)がいた。本多選手は何を学び、何を得て、世界に羽ばたくのか。濃密な時間を過ごした日本大学での学びを振り返る。

ほかの誰よりも濃い4年間を過ごした

本多灯選手は、日本大学の一員として過ごす最後の日に、ハッキリとこう言い切った。

「僕は、ほかの誰よりも濃い4年間をこの日本大学で過ごせたと思っています」

それは、心の底から沸き起こる実感がこもった言葉であった。

本多選手は2020年に入学。当時はまだ未知のウイルスであり、世界中を恐怖に陥れた新型コロナウィルス感染症拡大のまっただ中であった。そのため入学式は中止。授業もオンラインになるなど、思い描いていた大学生活のスタートでは決してなかった。しかし本多選手は「東京五輪のこともあったので、オンラインのほうが逆にありがたかったですね」と逆境もプラスに捉えた。

三軒茶屋のキャンパスに行くようになると、他競技で活躍する選手たちとの交流が活発化。知らないことを知る毎日。自分の世界が広がっていくその感覚が楽しかった。

「大学に入って他競技で活躍する選手たちと触れ合うことで、いろんなスポーツの特性を知ることができました。水泳というのはいろんな意味で少し狭い世界なので、自分の感覚だけにとらわれてしまうことが多いんです。でも授業の中で他競技のことを知ることができて、『この競技は水泳とは全く違うけど、トレーニングとしては同じようなことをやるんだ』というような気づきや学びがこの4年間でたくさんできました」

 

その学びがトレーニングに生きただけではなく、人として、アスリートとしての成長も促してくれた。

「やっぱり、水泳だけの狭い世界のなかで物事を考えていたら、僕はここまでの成績を残せていないと思うんです。自分がどうやったら速くなるのか、を考えたときに、それこそほかの競技の選手たちがどんなトレーニングをしているのかはすごく参考になりましたし、それを自分の競技に落とし込むにはどうしたら良いのかなどを考える機会も多くありました。すごく考える幅が増えたと感じています」

 

自分の世界が狭い、と言い切れる選手が、どれだけいるだろうか。

その競技のスペシャリストになる、ということは、必ずしも良いことばかりではない。少し視点を変えれば見え方も変わる。良かれと思って取り組んでいたことが、視点を変えれば実はマイナスに作用していた、ということだって往々にして起こる。実はそれがスポーツにおけるスランプを引き起こす要因のひとつなのだが、ひとつの競技に集中していると、意外とそのことに気づけないものだ。

 

外の世界を知ることは、今までの自分を否定する可能性を秘めている。だから皆、外に出たがらない。スポーツ選手はその傾向が非常に強いのは確かだ。でも、本多選手は『それじゃダメ』と気づくことができた。

 

「日本大学で学べて良かったですし、あらためて、この大学に入って良かったと思う部分“しか”ないです」と胸を張る本多選手。授業はもとより、他競技の選手たちからの多くの学びと気づきを得たことで、選手として、人として大きく成長することができたと振り返る。

「日本大学で学べて良かったですし、あらためて、この大学に入って良かったと思う部分“しか”ないです」と胸を張る本多選手。授業はもとより、他競技の選手たちからの多くの学びと気づきを得たことで、選手として、人として大きく成長することができたと振り返る。

「特に水泳というのは、水という特殊なものを扱うスポーツなので、自分の感覚が最も大事、みたいに思われがちです。もちろん僕も自分の感覚を大事にしていますが、ただ、それが正解ではないときもあります。スポーツという大きなくくりのなかで、水泳だけが感覚に頼って良い、ということはないはずなんですよ」

 

特に、スランプに陥ったり悩んだりしたときこそ、自分の感覚に頼ってしまう。今までそれでスランプを乗り越えてきた、という小さな成功体験があるから、それにすがりついてしまうのだ。

きっと、その感覚で解決できる悩みもあるだろう。だが、身体も心も成長し、記録も世界のトップレベルになっていくにつれて、自分が経験した世界だけの正解ばかりを追い求めると、必ず袋小路に陥ってしまう時がくる。そんな自分を打破してくれるのは、自分の外にある世界の知識なのである。本多選手にとって、他競技の世界で活躍する選手たちと交流し、話し、議論を交わす日々は外の世界の知識を与えてくれるものであり、新しい学びの連続であった。

 

「大学生活の中で、本当にたくさんの気づきや学びを得ることができました。でもそれは僕だけの力では成し得ません。一緒に練習しているチームメイトだったりコーチだったり、大学の仲間だったり。そういう周りの方々が一緒に悩んだり考えたり、教えてくれたり、時には叱ってくれたりしたからできたこと。クラブチームや日本水泳連盟、そして日本大学というところが、僕にこういう素晴らしい学びの環境を与えてくれたのだと思います。だから僕は、ほかの誰よりも濃い4年間をこの日本大学で過ごせたと思っています」

 

学びを経て感覚を言語化できるように

 本多選手は大学で運動生理学を専攻。特にバイオメカニクスの授業は自分の競技に大いに生かすことができた。

「たとえば陸上で走る動作の時に、どうやったら速く走れるのか、という授業を受けた時に、単に腕を速く振るだけではなく地面に対してどれだけ力を加えられることができるかが大事、ということを学びました。じゃあそれを水泳に置き換えたらどうすれば良いんだろう、と。陸上で走る脚の動きは、水をかく、という動作につながると思うんですけど、水という崩れやすいものに対してどうすれば走るのと同じように力を加え、推進力を得ることができるのか、という感じです。特に今の僕の場合は水泳が主軸になる人生なので、授業で学ぶことすべてをどうやって水泳に生かすかを考えながら授業を受けていました」

 

授業での学びを通じて、目に見える変化もあった。本多選手が毎日つけている練習ノートに書くコメントの変化だ。

「最初のころの練習ノートを見返すと『今日は練習がきつかった』程度のことしか書いてなかったんです。それが徐々に『調子が悪かったけど、その理由はキックのタイミングがずれていたから』とか、『お腹に力が入っていない可能性があるから、次回は刺激を入れてから泳いでみよう』とか、内容が細かくなっていきました」

 

大学の学びによって、自分だけの中で完結していた感覚について、人に伝えられるレベルで言語化できるようになっていたのである。

「こういう小さなことの積み重ねが、今の結果につながっていることを実感しています。でも書くだけではダメで、毎日の振り返りや反省を次に生かし、実践していかないと自分が目指しているものには届かないでしょうし、今までやってきたことを続けるだけではその先もない。どんどん新しいことに挑戦して行くことが、今の僕には大切で必要なことだと思っています」

そういう気づきを得られたのも、日本大学での学びの成果のひとつであった。

夢から目標へ 五輪では金メダルを獲りにいく

2024年3月17日から8日間、本多選手が大学2年生の時に銀メダルを獲得した東京五輪が開催された会場である東京アクアティクスセンターで、今度はパリ五輪への挑戦権を懸けた競泳の国際大会代表選手選考会が行われた。

 

そこで本多選手は、苦しみながらも200mバタフライの代表権を獲得。後輩である寺門弦輝選手(スポーツ科学部・3年)と一緒に、人生で2度目の五輪に向かう。

「僕は今まで五輪で金メダルを獲る、ということが夢だったんですけど、それが今年に入って目標です、と胸を張って言えるようになりました。夢に描いていたものが目標に変わったことで、自分がちゃんと成長しているんだと思えましたし、だからこそあらためて五輪で金メダルを獲りたい、と思っています」

 

東京五輪後、本多選手は200mバタフライのレースでは国内で負けたことがなかった。だが、パリ五輪という最大の目標に掲げた大会の前に敗北を経験した。しかも、後輩の手によって。本当の勝負の前に、『勝つ』ことの難しさを知ることができた。

 

「五輪につながる良い経験をしたと思っていますし、良い経験にしないといけない。世界の強豪はたくさんいますが、その中で勝ちきる自信はあります。今からやれることを少しずつ積み重ねていって、五輪という舞台では1分51秒台を出して金メダルを獲る。それが今の目標です」

 

自主創造を体現し、幅広い総合知を得る。本多選手は日本大学の理念を胸に世界に羽ばたく。

Profile

本多 灯[ほんだ・ともる]

2001年生まれ。神奈川県出身。日本大学藤沢高校卒。’24年3月スポーツ科学部卒業。本学入学後はインカレで200mバタフライを4連覇するなど、数々の大会で活躍。大学2年時に出場した’21年東京五輪で200mバタフライ銀メダル。世界選手権でも’22年、’23年と同種目で表彰台に上がり、’24年には五輪・世界選手権を通じ同種目で日本人男子選手初となる金メダル獲得の快挙。パリ五輪でも金メダルを目指す。

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