昨年11月の2023ダンロップフェニックストーナメントで、男子プロツアー史上7人目のアマチュア優勝(大会初)という快挙を達成。直後にプロ転向を宣言し、ゴルフ界の注目度と期待が高まっている杉浦悠太選手(国際関係学部卒)は、日大での4年間をどう過ごしてきたのか。世界をめざすプレーヤーとして、日大ゴルフ部主将として、学んだことや考えたこと、そしてプロとなった今、どこをめざしていくのかを語ってくれた。

コロナ禍で過ごした時間が今につながっている

高校ゴルフの強豪校で腕を磨き、2年生の時に「日本ジュニアゴルフ選手権」(男子15歳~17歳の部)を制覇して、全国に名を馳せた杉浦選手。将来プロになることをめざしていた中で、日本大学への進学を決めた理由は、ゴルフに対し貪欲な杉浦選手らしい理由だった。

 

「福井では、冬の雪の時期には雪かきに追われてゴルフの練習ができないことが多くありました。日大ゴルフ部の寮がある三島は雪が降ることもなく、1年中ずっとゴルフに関われると思いましたし、練習場やゴルフ場などの環境もすごくいいので進学を決めました」

 

しかし、入学早々にコロナ禍による非日常の生活が始まった。国際関係学部の授業は3年間オンラインで受講。ゴルフの試合も相次ぎ中止となって「モチベーションはなかった」と言うが、時間を有意義に使うことができたと振り返る。

 

「その時期はあまり調子が良くなかったので、試合がないぶん、逆にじっくりと調整できたし、気持ち的にもリラックスできて良かった。思い切ってスウィングを見直すこともでき、とてもいい時間になりました。その思い切りが、今につながっているのかもしれません」

 

大学に入り、トレーニングの質は高くなり、量も増えたことで「飛距離が伸びた」と感じていた杉浦選手。4年間で成長した点は「ショット力だと思います」とキッパリ。元々アプローチとパターは調子の波が小さく、「ショットの良し悪しでスコアが左右されるというのが僕のゴルフでした。ちょうど4年生になる頃からショットがすごく安定し始めて成績の波がなくなり、最後までいい調子でプレーできました」

主将をやってわかったこともある

ゴルフ部では、伝統的に主将は立候補で決まる。杉原選手も立候補して主将となったが、実は1年生の時から、将来は主将になると心に決めていたという。

「1年生の最初の合宿で、主将の清水(大成)さん(国際関係学部・2020年度卒)が部員たちの前で話をする姿がカッコよくて…。こういう主将になれたらいいなと、ずっと思っていました」

 だが、実際に主将になると、大変なこともたくさんあった。部活をより良くするためにどうしたらいいだろうか。そんな時、大学本部で開催された「キャプテン研修」に参加し、チームリーダーとしての行動のヒントを得ることができた。

「リスクマネジメントについての講義内容は、部員を引っ張っていく上で大いに役立ちました。また、“人間力”についての話も、ナショナルトレーニングセンターに通っていた時に『人間力なくして、競技力の向上なし』というフレーズをよく目にしていたので、講師の方の話がよく理解できたし、その言葉の意味も再確認できました。個人としても、強くなれる選手とそうでない選手の差がどこにあるのかを聞くことができ、部のためにも自分のためにもなったと思います」

 

試合出場のため寮を不在にしている時は、チームメイトたちがフォローしてくれた。寮に帰って来た時は、後輩たちが元気よく挨拶してくれたり、みんなが話しかけてくれ、「とても雰囲気のいい部活でした」。だからこそ、主将としてインカレの団体戦で優勝した時は「本当にうれしかった。この1年間の全部がいい経験になりましたし、主将をやって本当によかったなと思います」と微笑んだ。

快挙達成を支えたのは “会話”

アマチュアとして出場するのは最後と決めていた「ダンロップフェニックストーナメント」の4日間で、杉浦選手のキャリアは大きく変わった。厳密には、9月のABEMAツアー「ダンロップフェニックストーナメントチャレンジ inふくしま」でツアー史上8人目のアマチュア優勝を果たし、本大会の出場権を得た時がターニングポイントだったかもしれない。

 

大会初日を迎える時はまだ、2週間後に行われる来季のツアー出場権獲得が懸かるクォリファイングトーナメント(QT)の方が重要だった。

「もちろん優勝することが目標なんですけど、まだアマチュアですし、そんなに簡単に優勝できるものでもないと思っていたので、むしろQTの方を意識していました。調子は悪くなかったので、QTまで調子を維持できるように、苦しい時にその場しのぎとなるショットを打たないように心がけていました」

 

とは言え、ひとたび試合が始まれば、QTのことは頭の中から薄れていった。

初日は、7アンダーで首位の松山英樹選手と1打差の単独2位。2日目に10アンダーまで伸ばし単独首位に立つと、「優勝もだいぶ近いところにあったので、QTよりも優勝をめざして頑張ろうという気持ちになりました」と方向転換を決めた。

 

3日目も2アンダーでまとめ、12アンダーで首位をキープ。2位と4打差で迎えた最終日も、緊張のためかスタートホールこそボギー発進だったものの、その後は「調子が良かった」というドライバーを中心にしっかりと立て直し、13アンダーで後半に入った。

 

ピンチはあった。11番ホールでダブルボギー、12番もボギーを叩き、スコアを3つ落とし、2位に2打差に迫られる。テレビ中継の解説者は「3日間のプレーができていない。緊張しているのかな」と話していたが、それでも杉浦選手はキャディーと笑顔交じりで会話し、余裕があるようにも見えた。

「2ホールでスコアを落として、焦る気持ちはあったんですが、リーダーボードを見るとまだ1番上に自分の名前があって後続と2打以上差があるし、今の状況は状況ですけど、優勝に一番近いところにいるんだからと言い聞かせる感じでした」

 

実はキャディーを務めたのは、大会前に急遽依頼したという福井高校ゴルフ部の同級生。気が置けない仲間が側で支えてくれたことも、ここで崩れずに本来のプレーを取り戻すことができた要因だろう。

「会話することで緊張もほぐれて笑顔にもなれましたし、気持ちを切り替えられたのが良かったのかなと思います」

 

14番ホールからはパーを積み重ね、2打差のまま最終18番ホールのグリーン上へ。すでに優勝はほぼ手中に収めていて「状況的には楽なはずだったんですが、それでもすごい緊張がありました」と、短いウイニングパットをバーディーで締めくくった。


勝利の瞬間、「自然とやっていた」と、天を見上げるように両手でガッツポーズをした杉浦選手。史上7人目のアマチュア優勝、しかもダンロップフェニックスでは初めてとなる歴史的瞬間を見届けた大ギャラリーからの称賛と拍手の中、「ずっと緊張していたのからやっと解放され、ホッとしたという感じでした」と満面の笑みを浮かべ、キャディーを務めた盟友と喜びを分かち合った。

世界で戦えるゴルファーになる

「QTを受けるタイミングでプロ転向宣言するつもりだったので、優勝できなかったとしても次の週には宣言していたと思います」という杉浦選手は、表彰式でプロ転向を宣言した。この優勝でもうQTに出場する必要がなくなり、優勝賞金こそ規定により受け取れなかったが、副賞や豪華賞品を受け取ってプロゴルファーとなったことを実感した。

 

大会を振り返った杉浦選手は、精神面での成長も口にした。

「大学の先輩たちがプロになって早速ツアーで優勝したり、優勝争いをしてシード権を獲る様子を見ていましたが、プロが近づいてくるにつれ、自分はそういうことができるのかという不安もありました。しかし、この優勝によって、これから思い切ってやっていける自信になりました」

 

さらに、4日間を通して憧れの松山選手の存在感の大きさは感じていたという。

「松山さんのプレーを間近で見たり、話をする機会もありませんでしたが、松山さんや石川遼さんのように、日本を代表する選手には本当にギャラリーが多くいて、すごい注目を浴びてるんだなぁ、僕らの先にいる人なんだなぁと改めて思いました。僕も、ファンの方に会場に足を運んでもらえるような、そしてギャラリーがたくさんついてくれるような選手になりたいです」

 

そして、高校生の頃から「世界の舞台で戦いたい」という思いがある。

「今世界で戦っている松山さんや、1学年下の久常涼選手のように、自分より先のステージで戦っている人のプレーを見ると、頑張ろうという気持ちになります」

 

将来の夢は、マスターズでの優勝。松山選手が果たした日本人初の快挙を、自らも成し遂げたい。

そのため海外に行くチャンスをつかむために「賞金王になること」を今季の目標に掲げた。

 

「2028年のロス五輪も出てみたいし、出るためにも世界で活躍できる選手になりたい。まずはプロとしての1勝、それができるようにこのオフも頑張ってきたので、自信を持ってやっていきたい。体力の不安はありませんが、怪我だけは気をつけたいと思います」と、力強く決意を語った杉浦選手。

 

最後に口にした言葉は、自らを叱咤激励するように聞こえた。

「高い目標を持ち続けて、そこに向けて努力し続けていきたい」

 

卒業式から3日後、3月28日(木)に始まった今季の国内ツアー開幕戦「東建ホームメイトカップ」に出場。初日は雨の影響でスタートさえできず、3日目と最終日の2日間で残り54ホールを回るといういきなりの試練に。しかし、6アンダー・41位タイで迎えた最終ラウンドで、杉浦選手はボギーなしの9バーディを奪い、自身のベストスコアを1打更新する「62」をマーク。通算15アンダーで「まさかのトップ10入りだった」と自身でも驚く8位タイに入り、プロ1年目での「賞金王」へ、幸先のいいスタートを切った。

Profile

杉浦 悠太[すぎうら・ゆうた]

2001年生まれ。愛知県出身。福井工大附属福井高卒。2024年3月、国際関係学部卒業。父の手ほどきで3歳からゴルフを始めるも、小学6年間は野球との二刀流。高校2年の’18年に「日本ジュニア」優勝。翌年からナショナルチーム入り。大学3年の’22年に「日本オープン」で3位。大学時代はレギュラー、主将としてチームを牽引し、’23年の全国大学ゴルフ対抗戦で8年ぶり36回目の優勝に導いた。ダンロップフェニックス優勝後にプロに転向。

特集一覧へ