小学6年生の時、埼玉県体育協会のスポーツタレント発掘事業に参加し、フェンシングと出会った高橋栄利佳選手(法学部・4年)と松本龍選手(文理学部・4年)。10年以上にわたり、友人として、世界と戦う同志として、そして日本大学フェンシング部のチームメイトとして、互いに切磋琢磨してきた。ともにエペ種目での日本代表をはじめ、さまざまな経験を積み重ねてきたが、卒業後はそれぞれ別の夢を追って新たなステージを歩んでいく。だが、その力の源が、日大での日々であり、仲間たちの存在であり、自身の信念である点は2人とも同じ。4年間の成長を振り返るとともに、これからについて聞いた。

「強くなりたい」という思いで日大へ

−卒業おめでとうございます。フェンシングを始めたきっかけは?

 

高橋 それまで水泳や陸上競技をやっていたのですが、埼玉県のスポーツタレント発掘事業「彩の国プラチナキッズ」でアイスホッケーや重量挙ほかの様々なマイナー競技を体験し、その中でフェンシングと出会いました。もともと物を扱うスポーツは得意ではないうえに、最初は難しい競技だと感じていたので、フェンシングを選ぶことはないだろうと思っていましたが、JOCエリートアカデミー生の練習パートナーに抜擢されたことでフェンシングを続けようという気持ちになりました。自分が一度やりたいと思った競技は、ある程度納得できるところまで続けたいという思いがあり、また、周りに強い選手たちがいて、その選手たちにいつかは勝ちたいという気持ちが生まれ、気がつけばここまで続けていました。

 

松本 僕はもともとサッカーをやっていたのですが、高橋選手同様に「彩の国プラチナキッズ」に選ばれ、五輪を目指す競技をいろいろと体験しました。その中でフェンシングは、最初からナショナルトレーニングセンターで練習できるという話を聞いたのでやってみたいと思いましたし、小学4年生頃からの知り合いだった高橋選手が先にフェンシングを始めていたことも理由の1つです。

 

 

−日大進学を決めた理由は?

 

高校のフェンシング部は初心者ばかりで、教える立場だったと言う高橋選手。しかし、「新たな発見や考え方を知ることができ、大学で後輩を教えるヒントにもなりました」。

高校のフェンシング部は初心者ばかりで、教える立場だったと言う高橋選手。しかし、「新たな発見や考え方を知ることができ、大学で後輩を教えるヒントにもなりました」。

高橋 私は、日本大学が大学トップレベルのフェンシング強豪校で、練習環境が最も整っていたこと、そして山﨑(茂樹)監督が私自身を育ててくれる人だなと感じていたこともあって、第1志望にしていました。別の大学を勧めていた母と話し合った末に、「競技を引退した後に、もう一度自分の学びたいことをやる」ということを条件に、日大への入学を決めました。

 

松本 僕はとにかくフェンシングで強くなるための選択肢として、どこの大学に行ったら自分が一番強くなれるかということだけにフォーカスして考えていました。日本大学は競技面も学業の面もバックアップやサポートが充実していましたし、競技に専念できる環境が整っている点を考えて日大に進学することにしました。

−それぞれ学部での学びから得たことはありますか?

 

高橋 それまではフェンシングにしか興味がなく、ニュースを見ることもなかったんですが、法学部に入ると周囲のみんなは政治のことばかり勉強していて…。最初のうちは、みんながニュースを見ているから私も見なきゃという感じでしたが、学部での学びを通して「勉強は楽しみながらやる」ということに気付くことができました。同じエペの代表としてやっていた他大学の先輩選手に、弁護士を目指して司法試験に合格した方がいらっしゃって、その先輩の姿を見ているうちに、私も何かを極めることができたらいいなという気持ちが湧いてきました。「勉強は楽しいよ」というのを見せてくれたので、自分もそういうふうになれたらいいなという気持ちで勉強に取り組み、卒業後の進路の選択につながっていると思います。

 

松本 僕はフェンシングに全力を注いでいたので(笑)。それでも文理学部体育学科での学びはとても新鮮なものでした。体の仕組みなど、日頃から自分の体と向き合ってきてなんとなく分かってはいるけれど、詳しくは知らなかったようなことを深く理解できたことは良かったです。しかし、一番刺激を受けたのは、同級生に全国レベルのスポーツ選手が多かったこと。そういう学生と交流できたことは、僕にとって大きな成長につながりましたし、体育学科に入って良かったと思っています。バスケットボールの米須(玲音)選手はクラスが違ったので面識はありませんが、在学中からプロの世界で活躍していること知っていたので、すごい刺激を受けましたね。

 

 

−競技と学業の両立は大変でしたか?

 

高橋 入学してすぐ、コロナ禍でオンライン授業になったことで、代表活動で海外遠征に行っている間も授業を受けることができたので、競技も勉強も両方をやりやすい環境だったなと思います。

 

松本 1年生の頃は、学校に行かずにオンラインで授業を受けるという形になりましたが、それは僕にとっては好ましい形でした。練習を午前と午後にして、夜にオンデマンドで授業を受けるのが習慣になりました。 2・3年生になると海外遠征が増え、学業とのバランスがうまく取れない時もあったのですが、オンライン授業や先生方が個別に課題を出してくださったりと、協力して助けていただきました。対面授業が始まってから直接挨拶に行くと、先生方も優しく、理解してくださいました。そういうサポートはとても有り難かったですし、おかげで無事卒業できました。

仲間たちがいたから、強くなれた

−フェンシング部での活動を通じての学びや成長は?

 

高橋 成長できたかどうかはわかりませんが、チーム全体で1つの目標に向かって取り組むことの大切さと、チームとして喜びを分かち合えるということを学べたのが良かったと思っています。周りが応援してくれることが自分の力になりますし、自分が心折れそうになった時も、「チームのみんなのために頑張らないと」という考えがまた力になるということを知りました。それが日大で一番学んだことですね。

日本代表での活動の合間に帰る大学の部活は「ある意味、息抜きできる場所だった」と話す松本選手。

日本代表での活動の合間に帰る大学の部活は「ある意味、息抜きできる場所だった」と話す松本選手。

松本 僕もほとんど同じです。ずっとフェンシングをやってきましたが、ちゃんと部活動としてやるのは大学が初めてで、それまでは自分だけが強くなることだけを意識していたのですが、大学に入り先輩や後輩、同期ができたことで仲間意識を持つようになりました。

フェンシングは個人競技と見られがちですが、僕はむしろ団体競技だと思っています。対人競技なので、そもそも仲間がいなければ練習も試合もできません。もちろん、個人戦で負けると悔しいし、ライバルの選手が勝つと悔しいと感じることもありますが、いつも一緒に練習している仲間が勝つとそれ以上にうれしく感じます。また、自分のことだけではなく、どう話をすれば後輩たちにわかりやすくフェンシングを理解してもらえるかとか、先輩たちとの関わり方とか、競技以外の部分も考える時間が増えてきて、チームのためにという気持ちが湧いてきました。それも、自分がさらに強くなれたひとつのきっかけになったと思います。

 

高橋 同感ですし、さらに言えば、仲間の応援があるから自分も頑張れるし、チームメイトが頑張っている時は自分も応援して、お互いに「力になれば」という気持ちで応援する。それこそがチームだなと感じるところです。

 

松本 僕にとっては、大学の部活はリフレッシュできる場所でした。代表チームの中では僕がずっと一番年下ですし、先輩たちと仲がいいとはいえ、いろいろ気を使わないといけないことも多いし、年少者の仕事もやらなければいけない。でも大学の部活ではほぼ歳の差はないですし、後輩たちはみんな可愛い。僕にとってはフェンシング部のメンバーに関われることが一番楽しい時間だし、自分自身でいられる「ホーム」でした。

−日本代表としての活動の中で心境の変化などはありましたか?

 

松本 日本代表の活動では、やはり大学の部活では感じられないものがありますね。僕は昨年のパリ五輪の代表選考レースにずっと参加していましたが、そこでは尋常ではないプレッシャーや孤独感も経験しました。代表の中でプレーするのは楽しさがある反面、結果がすごく求められるし、どれだけ練習しても勝てない時もある。それが苦しかったのですが、誰よりもやった自信もあったし、大学に戻った時に自分の経験を伝えたり、成長した部分をみんなにも共有できたことに喜びを感じ、代表で頑張って良かったなと思いました。

フェンシング 高橋栄利佳選手

高橋 私は中学2年生の時に競技者として急激に成長したのですが、その理由がわからないまま進んでしまったため、その後に伸び悩んでしまいました。日本代表に選ばれ、先輩たちといっしょに海外遠征していたものの、なぜ自分が強くなったのかが分からない。基礎を見つめ直す期間が長くなり、怪我も多かったので、選手としての自信を失いかけていました。思うように勝てず、辛い期間であったのですが、それでも、大学1年の時に久々に優勝して、今までやってきたことでよかったんだなとプラスに捉えました。そこからはもう、上しか向かず、日本で1番になれるように、代表チームでの練習では、一緒にいる選手たちは全員倒してやろうというような気持ちでやっていました。その経験から思うのは、「続けること」の大切さです。止めてしまったらそこで終わりですが、私の恩師に教えられた「やってきたことを正解にするために物事をやっていく」という言葉を実践しました。がむしゃらに続けること、自分ができると思い続けることで、スランプを抜け出すことができたと思っています。

−世界と戦った経験から、日本の選手に足りないものは何でしょうか?

 

高橋 シンプルに言ってしまうと、「技術」だと思うんです。単に技術と言いましたが、やっぱり強い選手って本当にシンプルな技で勝ってくる。そのシンプルな技を、「どうやって」「どのタイミング」で使っていくのか、そういうことを日本はうまくできていないから、上位で勝つのが厳しいと感じています。加えて体格差もあり、前に出るタイミングが難しかったり、相手に委縮してしまったりということもあると思うんです。

 

松本 僕はメンタルが課題だと思います。海外の選手は体格が良くて強そうに見えますが、結局は同じ人間です。日本人はすごく練習熱心で、世界一練習していると思っているし、技術もすごく良いものを持っている自信があります。ただそれを試合で出せないのは、完全に「気持ち」なんです。僕も日本だと強い先輩に勝てることがあっても、海外では全然勝てない。なんでだろうと考えた末に、これじゃだめだ、人生をフェンシングに賭けると決意したんです。自分がこれ以上できないというくらいやって。そうすると自然に自信が湧いてきた。自分は誰よりもやっている、自分の技術なら勝てるという自信。やはり一番大事なのは、この「自分がどれだけやったか、自分にどれだけ自信を持てるか」というところで、それが一番のカギなのかなと思っています。

−これから進む道での夢を教えてください。

フェンシング 松本 龍選手

松本 僕はフェンシングを続けていきます。実業団選手のように、ほとんどの時間を練習に充てられる環境で活動していますが、五輪での金メダル獲得を目指しているので、4年ごとのサイクルで競技を続けていくと思います。
そもそもフェンシングを始めたのは、五輪で金メダルを獲った選手をテレビで見て、「テレビに出られるし、お金ももらえそう!」と思ったのがきっかけです。五輪のメダルって本当にすごくて、有名になったり自分がお金持ちになったりしたいと望めば、それを実現できるだけの力を持っているはずなんです。ですが、ただ獲っただけで、自分が何も行動を起こさなければ、「テレビに出る。お金持ちになる」という、自分のなりたい未来像になれないというのも感じています。だから僕は競技を頑張るだけでなく、例えば応援してくださっている方やフェンシングを知らない方とお会いして、自分を応援してもらう環境づくりに取り組んでいきたいと思っています。 まずは2028年のロス五輪に出ることが目標で、フェンシングと言えば松本だよねと言ってもらえるような「ブランディング」をしていきたいですね。

 

高橋 私は実は今、フェンシングはお休みしています。もともと医療や教育に興味があり、そちらの方向に進みたいと思っていたので、医学部受験に向けて一生懸命勉強しているところです。これが母と約束した「引退した後にもう一度自分の学びたいことをやる」ということ。医学部に入り時間ができる、もしくは自分の中で体力があると感じられれば、またフェンシングに戻ることもあるかもしれません。海外を見れば、医者の卵と呼ばれる選手たちもいますし、私がフェンサーとして戻ることで、そういうこともできるんだという1つの指標になると思っています。ただ、実際にドクターになると競技を続けていくのは難しいので、スポーツドクターとして裏方でサポートしたいです。また指導者への興味もあるので、可能であれば選手や指導者として試合に臨みながら、ドクターとして帯同するというのもいいかと。今指導している高校生や、日大の後輩たちが勝ってくれるとうれしいので、そういう形で貢献できたらいいですね。

−最後に、後輩たちへメッセージをお願いします。

 

高橋 私が4年間の中で一番感じたのは、様々なことに挑戦できるということ。勉強やフェンシングと並行して、大学生活の中ではいろいろなことに挑戦できる機会があると思いますから、自分が興味持ったことに、ぜひ挑戦してほしいと思います。

 

松本 僕はこれまでずっと結果にこだわってやってきたのですが、大学に入って「それだけじゃないな」と初めて思えました。もちろん結果にこだわることも大切ですが、大学生活の4年間は今しかないから、練習でしっかり自分を追い込みつつも、競技だけでなく、人とのつながりを大切にして楽しんでほしいですね。

 

 

−今後の活躍を期待しています。ありがとうございました。

Profile

高橋栄利佳[たかはし・えりか]

2002年生まれ。埼玉県出身。与野高卒。2025年3月、法学部卒業。高校1年の時に日本代表として女子エペW杯個人戦に出場。本学入学後は、1年次に全国ジュニア・エペ選手権、全日本選手権エペ団体で優勝。2・3年次の全日本大学対抗選手権(インカレ)では女子エペ団体の2連覇に貢献。3年次にSSP杯SAGA2023フェンシングエペジャパンランキングマッチで優勝。女子エペの日本代表として世界ジュニアカデ選手権ほか、シニアの大会にも数多く出場。本学では強いリーダーシップを発揮してチームをまとめ、卒業にあたっては日本大学学長賞を受賞した。

Profile

松本 龍[まつもと・りゅう]

2002年生まれ。埼玉県出身。東京都立王子総合高卒。2025年3月、文理学部卒業。ジュニア時代から日本代表として活躍。本学では男子エペ種目のエースとして、個人戦では2年・3年次に全日本学生個人選手権大会を2連覇、3年次には全日本選手権大会で優勝を果たした。団体戦でも2年次に全日本大学対抗選手権大会優勝。2年・3年次に全日本学生王座決定戦2連覇を達成した。また、日本代表選手として、‘22年の世界選手権男子エペ団体で日本初の銅メダル獲得に貢献したほか、’23年は杭州アジア大会、アジア選手権、W杯バンクーバー大会で団体優勝など、国際大会においても輝かしい成績を収める。卒業にあたっては日本大学学長賞を受賞した。

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